暗き森にも光は射すか | ナノ


▼ 離合集散

実を言うと、少々不安ではあったのだ。
幾ら地獄堂の老人の采配とはいえ、何の連絡も取らず見ず知らずの異界に足を踏み入れ、その上で何処にいるかも分からない知り合い1名に会う。結構な無茶ぶりであるのは言うまでも無い。
地獄は昔の絵物語にあるようなおどろおどろしい刑場ばかりの場所では無く、その上時緒が思っていたよりもずっと広く、『ひと』も多かった。式鬼を使おうが地図を使おうが、いざ探すとなれば相当時間がかかったに違いない。

「良かったあ。お会いできなかったらどうしようかと思いました」

時緒はこの必然染みた幸運に、心の中でとてもとても感謝した。

「その血はどうした?」
「え?」

対して、昨日見たとおりに制服をかっちりと着込み……但し制帽は被っていない青年は、その涼しげな青い瞳を軽く見開いていた。いつも帽子に隠されている前髪は短く、青白い額を殆ど隠していない。
「何故此処に」でも「何の用だ」でもない言葉を紡いだ斬島の視線は、時緒のブラウスに散った血痕に注がれている。

「ちょっとドジ踏んじゃいまして」

職質案件ですよねえ、と時緒はブラウスの染みを撫でて苦笑する。しかしその緩さと裏腹に、斬島は俄に厳しい顔をしてみせた。

「怪我をしたのか? 傷は何処だ? 手当ては済んだのか? 医者にかかった方が良いと思うが……」
「わっ」

不意に伸びた斬島の手が、時緒の前髪を押し上げる。思いがけない肌の感触に驚く時緒を余所に、青い瞳がもう癒えてしまった傷を探した。
少々無遠慮でらしくない彼のアクションに衝撃を受けつつも、心配されていることは分かった。ので、時緒はそこには触れずに微笑む。

「もう治して頂いたので大丈夫です。それより、これ」

1歩下がって距離を取り、小さめの紙袋に入れていた制帽を取り出す。一応小さな皺を叩いて伸ばしてから渡してやれば、斬島はぱちぱちと瞬きを繰り返した。差し出された自分の帽子を受け取りつつも、自分の手に渡ってきたそれと、穏やかに笑んだ時緒を交互に見比べる。

「このためにわざわざ?」
「はい。……と、言いたいんですけど、どちらかというと別件がメインでして。お仕事中に申し訳ないんですが、この後何処かで少しお時間頂けませんか?」

軽く両手を合わせ、拝むようにして時緒が尋ねると、斬島は特に迷った様子も無く「分かった」と1つ頷いた。

「これから上司への報告があるが、その後なら特に問題無い。それでも良いか?」
「有り難うございます。あ、それともう1つ……」
「あー、君たち。ちょっと良いかい?」

地獄堂の老人から預かった用件を伝える前に、割って入る声。斬島が首を傾げ、時緒は「あ」と口を開く。

「取り敢えず、時緒ちゃん。そろそろ分かるように説明してくれるかな?」

さっきから私1人で置いてきぼりなんだけどね、と微妙に引き攣った笑みを浮かべる美丈夫、もとい藤門蒼龍。半分くらい彼の存在を忘れてしまっていた自分を自覚した時緒が、泡を食う勢いで平謝りしたのは言うまでも無い。

  ◇◆

――15分後。

「待ち合わせは?」
「獄都駅の正面入り口」
「遅れる場合は?」
「式鬼で連絡」
「待ち合わせ場所には?」
「誰かに付き添って頂きます」
「危ないことがあったら?」
「回避、逃走、助けを求めます」
「反撃は?」
「極力しません」

打てば響く、会話の応酬。時緒の答えに満足した蒼龍が、やっと竹刀袋にしまった天臨丸を肩にかけて出発の体制を取る。

「では、私は先に行くとしようか。……いいかい、くれぐれも危ないことはしないように。くれぐれも、だよ」
「はあい」

くれぐれも、を何度も強調してから、蒼龍はようやくその場を立ち去った。「お気を付けて」と軽く手を振る時緒は微妙にぐったりしている。普段てつし達をお説教するときは諭すか怒鳴るか拳骨を落とすかの3択なのだが、彼はどうにも時緒に過保護らしい。傾向としては『諭す』に近いのだが、兎に角くどくどと長いのだ。

「時間かけちゃってすみません」

一応その『時間』の中には、谷裂から蒼龍への事情聴取も含まれていたのだが、それはそれ、これはこれ。申し訳なさげに頭を下げた時緒に、ひらりと手が振られる。

「いやいや、面白かったよ。『蒼き龍』も人の子だったってことかな」

珍しいものを見たと、木舌が笑った。どうも彼は蒼龍と顔馴染みだったらしい。本人曰く「閻魔庁で会ったことがある」そうだが、当時どういうやりとりが、どんなきっかけで発生したのかは分からない。

「じゃ、俺達も館に戻ろうか」

こちらもうっすらと笑みをたたえた佐疫が言う。彼の手にはもう、小さなリボルバーはおろか何の銃器も握られてはいない。ただ、外から移ったのではない濃い硝煙の香りが、彼が先程まで間違いなく銃を操っていたことを物語っていた。

「当然だ。これ以上肋角さんをお待たせする訳にはいかん」

金棒を肩にかけ、谷裂が唇を歪めた。どちらかと言えば細く、つり上がった目が、時緒の手の中にあるものを睨むように見下ろす。

「『それ』の件もあるしな」

現世の薬屋如きが何故その印を。不審を隠さない彼の言葉に、時緒は苦笑を返すしかない。薬屋とはいっても店主は明らかに『異界の者』なのだと説明したのだが、彼が納得出来ていないのは一目瞭然だった。

『遣いだと?』
『はい。おじいちゃ……地獄堂の主人から斬島さんの上司の方にと、これを』

そう言って時緒が鞄から出したのは、先程蒼龍に見せた、文書入りの筒である。獄卒である彼らは当然、それに封をした印の意味も知っていたらしい。その時見せた驚きは、多分それなりに大きなものだった。

『取り次ぎは全然問題ないけど、おれ達の館は閻魔庁とは別だよ?』

ほぼ完全に独立してるからね、と教えてくれたのは木舌だった。てっきり閻魔庁に行く蒼龍にくっついて行けばどうにかなると思っていたので、時緒も時緒でそれなりに驚いた。

『参ったな。私もそろそろ時間が押しているんだが……』

そしてその思い込みは蒼龍も同じで、自身の用事のついでに時緒を送り届けるつもりだった彼は、少し拙そうに眉を寄せていた。どうも彼は身分のある誰かに会う約束をしていたようで、アポイントもきちんと取っていたらしい。
お遣いの相手が閻魔庁にいない以上、術師としての実績も殆ど無い時緒を迂闊に連れて行くわけにはいかない。悩ましい顔をした蒼龍に、代替案を出したのは佐疫だった。

『じゃあ、こういうのはどうかな?』

曰く、時緒は斬島にも他の用事があるようだし、自分達は報告の際に時緒に同席を願いたい。ならば一旦蒼龍は単独で用事を済ませ、時緒は自分達について来れば良い。お互いに所用を済ませた後で落ち合えば何の問題もない。不安なら、待ち合わせ場所へは獄卒の誰かが時緒を送り届けるようにする。
蒼龍はそれでもまだ心配なようだったが、しかしそれ以上の案も浮かばなかったらしい。そういうわけで結局、時緒と蒼龍は此処で別行動することと相成ったのだった。

「行くぞ、時緒」
「はい」

蒼龍が去って行った方向を何とはなしに眺めていた時緒は、斬島の呼ぶ声で我に返った。見れば谷裂はもうすたすたと反対側に向かって歩き出しており、佐疫も木舌もそれに続こうとしていた。
律儀に待っていてくれたらしい斬島の隣に並ぶ。それをきちんと確認してから歩き出す青年は、いつも通りの美しい姿勢と歩き方をしていた。

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