暗き森にも光は射すか | ナノ


▼ 余韻嫋嫋

亡者の男は、やがて後からやってきた別の獄卒に連れられ、大人しく何処かへ連行されていった。時緒はそれを見えなくなるまで見送ってから、ようやく脚に力を入れてゆっくりと立ち上がる。
傷のせいか失血のせいか、頭痛はまだ残っている。眉間のやや下に手をやってみると、流石に血は止まっていた。額から鼻筋にかけて乾いた血がこびりついて、爪で削るとぽろりと落ちる。

「い、たっ……!」

傷に触れば、当然だがびりびりと痛んだ。結構ぱっくり割れているらしい。ついでに自分の服を顧みれば、ブラウスにもスカートにも結構な血の珠が飛んでいる。茶色の布地のスカートはさておき、真っ白なブラウスに血痕はとても目立った。羽織るだけだったカーディガンは無事だが、ボタンもついていないそれでは血痕を隠すには到らない。

「職質されそう……」
「ぶっっ」

ぼそ、と呟いた途端、側で誰かが噴き出すのが聞こえた。見れば、斧の刃を下に向けて立てた獄卒が、背中を丸めてぷるぷる震えていた。外套をまとい、先程まで持っていた銃を何処ぞへとしまった方の獄卒が、「木舌」と小さく咎めている。

「や、ごめんごめん。笑うつもりは無かったんだけど」

目尻に浮かんだ涙を拭いながら、獄卒は時緒に向かってへらりと微笑んだ。柔和な、というか、何処か気の抜けたような笑みだ。少なくとも、敵意や嫌味の類は欠片も感じない。

「でもまあ、協力有り難う。お陰で応援を呼ばなくても片付いたよ」

今日は本当に人数ギリギリだったから、助かった。そう言って、笑みをたたえた彼は帽子を取り、頭を30度ほど垂れて見せた。
年の頃は20代前半くらいの、斬島より少しばかり年上に見える青年だ。艶やかな黒髪を七三にしているが、ポマードなどでぺたりとさせたような感じではなく、さらさらでお洒落だ。柔らかく緩んだ口元と同じに、目尻は優しげな弧を描いている。
何より印象的なのはその瞳の色で、ただの緑なのかと思ったが、よく見れば少しばかり青みがかかっているのが分かる。きらきらと輝くその色を固有の名で呼ぶなら、緑青……否、もう少し明るい花緑青だろうか。掘りが深めの顔立ちをした美男子だが、同時に愛嬌があって可愛らしい印象も受ける。

「ちょっとごめんね」
「わっ」

ぴとり、と冷たいものが額に触れた。もう1名の獄卒が、濡れたハンカチらしいもので時緒の額の血を拭う。時緒は慌てて半歩離れた。

「あのっ、別に大丈夫なので……」
「駄目だよ。消毒もしてないし。それに女の子が顔に傷を作っちゃいけないよ」

その辺の高校生が言おうものなら、歯が浮きすぎて笑いすら取れそうな科白だ。が、何故か物凄く様になっている。丁寧な手つきも相俟って、有り難いが何だか凄く恥ずかしい。時緒は頬を微かに紅潮させた。

「……有り難うございます」
「どういたしまして」

にこりと微笑む青年の表情は、同じ『笑顔』でも隣の仲間とは印象が随分異なった。みどりの瞳の彼が『柔らか』『緩やか』であるなら、目の前の彼は『穏やか』『爽やか』という言葉が似合う。

「じっとしててね。取り敢えず拭いちゃうから」

腕を伸ばして時緒の顔や首元の血を拭う彼は、涼しげな印象の美青年だった。こちらは斬島と同い年くらいに見える。顔のパーツ1つ1つをとってみても何処か繊細な印象で、帽子から伸びた細い髪の毛は、さらさらとした桑染色。長い睫毛に縁取られた瞳は、快晴の空をそのまま切り取って閉じ込めたかのようだ。
同僚と同じ制服に外套を纏った彼は、一見して仲間よりも頭半分近く背が低く、身体の線も細く見えた。しかし華奢かと言われればそんなこともなく、寧ろ比較対象が190近い長身でがっしりしていることを考えると、中肉中背かもう少し細いか程度だろう。

「取り敢えずこんなものかな。絆創膏も貼ってあげたいけど、ちょっと傷が大きすぎるね」

整った柳眉をきゅっと寄せた青年に、時緒は「大丈夫なのでっ」と少々強く答えた。

「あの……助けて頂いて有り難うございます。余計なことをしてすみませんでした」

時緒は荷物を手でまとめたまま、深々と腰を折った。
この2人に時緒を咎める気はないようだが、人質に取られたり仕事中に口を挟んだりと、結構とんでもないことをやらかしてしまった自覚はある。今更しおしおと萎縮する時緒に対し、緑目の獄卒がへらりと手を振った。

「気にしなくていいよー。結果的に早く済んだし、君はどっちかっていうと被害者だしね」

ただ、ちょっと一緒に来て報告は手伝って欲しいかなあ。そう言った彼の笑顔には、ほんの少しだけ苦みが混じった。報告、というやけに現実的な単語に、時緒は少し驚く。

「……」

普段であれば一も二も無く頷くところだが、生憎時緒は今、此処にただ遊びに来ているのではない。ただのお遣い或いは自分のミスの後始末と言えばそれまでだが、自分以外の他人が関わる用事で此処にいるのだ。夕方には別件で予定が入っているし、あまり長々と拘束されるとなると――勝手であるのは分かっているが――少し、困ってしまう。

「あの、大変失礼ですが、それはどのくらいお時間が……」

かかるものなのでしょうか、と続く筈だった言葉は、しかし最後まで紡がれることはなかった。

「時緒ちゃん!!」
「! 蒼龍さん」

低い声が鋭く時緒を呼んだ。ぱっと振り返ると、黒いスーツ姿の藤門蒼龍が、少々慌てた様子でこちらに走ってくるのが見えた。表情が微かに強張り、何より先程別れたときは竹刀袋にしまわれていたはずの神剣『天臨丸』が、剥き出しのまま彼の手に握られていた。心なしか、普段から隙の無い気配が、更に鋭く磨かれている。
明らかに臨戦態勢を解いた直後、という様子に、時緒もつられて表情を強張らせた。

「無事では……ないようだね」

時緒の真っ正面に立った蒼龍は、頭のてっぺんからつま先まで時緒の様子を確認し、割れた額を睨むように見つめて言った。

「戻るのが遅くなってすまなかったね。怖かっただろう」
「いえ、そんな」

時緒はふるふると首を横に振る。蒼龍は悲痛な面持ちだが、時緒は別段恐怖を覚えてはいない。多少痛い思いはしたし、死を覚悟しもしたが、それと恐怖は別物だ。苦痛も死も、恐れとは必ずしも直結しない。

――常日頃から意識しているものを、今更恐れることなどあるはずも無い。

「申し訳ないが、話は後ででも出来るだろう。先に彼女の治療をさせて頂きたい」
「ええ、どうぞどうぞ」

蒼龍の言葉には苛立ちからか少々険が籠もっていたが、緑目の獄卒はへらりと笑いそれを受け入れた。

「おでこと首出して」
「はあい」

片手で前髪を上げる時緒。白い額にぱっくりと開いた痛々しい傷に、蒼龍の大きな手が翳される。するとそこから柔らかな光が生まれ、傷口に染み入るように降り注いだ。
大霊能力者・藤門蒼龍の十八番(の、1つ)、ヒーリング。額と首筋にじわりと温かな感覚が生まれ、痛みが急速に薄まっていく。ほう、と時緒が息を吐いたそのとき、

「ああ、そうかあ」

のんびりとした声が、ふとその場に割って入った。

「木舌?」

同僚が突然口を開いたことに、天色の瞳の獄卒が首を傾げる。きのした、と呼ばれた青年獄卒は、にこにこと笑いながら時緒の顔をとっくりと見つめる。物珍しげにも見える顔で、彼はやがて半ば確信を得た口調で尋ねた。

「君、ひょっとして結城時緒ちゃんじゃない?」

と。

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