暗き森にも光は射すか | ナノ


▼ 貴顕紳士

強いて文字で表記するならば、ガタガタ、とかゴトゴト、が近い――そんな音が遠くから聞こえてきた。それは規則的なリズムを刻みながら、少しずつ少しずつ、こちらに近づいて来ている。
次いで耳朶を叩いたのは、テレビドラマや旅番組で時折耳にする汽笛の音。線路沿いに遠くの山の方を見やれば、黒い塊が少しずつこちらに走ってきているのが見える。

――蒸気機関車。

ある程度予想はしていたが、実際に目にした『乗り物』のスケールに時緒は瞠目する。以前乗った『黒い船』はもっとこぢんまりとしていて、もっとアナログなものだった。乗った経験こそないが、馴染みのある姿形の『これ』で次元を行き来するのだと言われると、それこそ本当に映画か絵本かの話のようだ。

「『銀河鉄道の夜』……」
「ああ、確かに雰囲気はこんな感じかも知れないね」

時緒の唇から零れた独り言に、蒼龍は小さく笑った。汽車の出入り口を手で開き、当たり前のように時緒の手を引いて中へとエスコートする。洗練された紳士の所作だ。時緒は少し照れくさくなりながらも礼を言う。
2人がけの座席が左右に並んだコンパートメントの中で、適当な席の窓際に腰掛ける。蒼龍は「失礼して良いかい?」と律儀に断りを入れてから、通路側に座った。頭上には荷物棚があったが、彼はアタッシュケースをそこに入れようとはしなかった。

「……」

辺りを見回せば、時緒と同じように列車を待っていたのだろう者達が、次々に乗り込んでは座席を確保している。それは例えば首を3つも持った大男であったり、一つ目の小坊主であったり、或いは全身がびしょ濡れで鱗に覆われた女であったりした。
恐らく『人間』の乗客は、時緒と蒼龍くらいだろう。車室はあっという間に、様々な妖気や霊気が混じり合った空気に満たされた。

「時緒ちゃんは、どうしてこの列車に?」

迷い込んだ訳じゃないんだろう、君に限って。そう続けた大霊能力者は、真面目な顔をしていた。しかしながら、特に怒っている様子は無い。

「分かっていると思うが、この列車は所謂『あの世』行きだ。移動手段としては確実だが、行き先は何処も生者にあまり優しくない。大方地獄堂のオヤジさん関係なんだろうが、私としてはあまり関わって欲しくないところだ」
「あー……やっぱりそうなんですねえ」

時緒はくすくすと笑った。のんびりとした少女の口調に、少しだけ蒼龍の表情に苦いものが混じる。「笑っている場合じゃないぞ」とでも言いたげだ。

「大丈夫ですよ。私が用があるのは多分安全なところか、私1人でも問題の無いレベルの危険度の筈です。そうじゃなきゃ、幾らおじいちゃんでも私だけを此処に来させる訳ないですから」

地獄堂の老人は、人間という生き物に対して恐ろしく冷徹だ。自らを律し、自らの行いに責任を取れないような奴は、何がどうなっても自業自得。死のうが地獄に落ちようが何しようが勝手にしろ、というようなことを平気で言う。
が、少なくとも弟子……という程のものではないが、交流のある時緒や三人悪達には、それなりの情らしいものがあるらしい。普段は斜に構え、冷たく皮肉っぽい物言いしかしない彼の老人は、しかし時折しみじみと、静かな労りに満ちた言葉を紡ぐのだ。

「それにおじいちゃんなら、私と蒼龍さんが此処で会うことも分かってたと思います」
「嗚呼それは……確かにそうだろうね」

はあ、と蒼龍が額に手をやった。呆れているのか、疲れが出たのか、多分両方だ。時緒は微苦笑を浮かべ、手荷物である紙袋を広げ、その中を見せる。蒼龍が目を剥いた。

「それは……!」
「あ、やっぱりご存じなんですね。一昨日からイラズの森の監査に来ている獄卒さんがいるんですが、その方が忘れて行かれたんです。だから、届けようと思って」

イラズの森。その単語に、蒼龍は「嗚呼」と再度溜息を零す。

「確かに、あそこは定期的に見ておいた方が良いだろうね」
「でしょう? それと、あともう1つありまして」

と言いながら、時緒は徐に、膝に載せていた鞄を開く。そして中から、卒業証書を入れるよりも少し細い丸筒を1本取り出した。

「おじいちゃんから預かりました。届けてくれって言われてます」

黒いその筒の中心には、朱色の封印がある。花のような文様と細かな文字が描かれているが、これがどうやら呪いになっているらしい。そのお陰で、時緒が試しに開けようとしても、全く破れる気配がない。恐らくは届け先の者にしか開けられないようになっているのだろう。蒼龍は難しい顔で印を撫でた。

「どうやら、届け先は随分と地位の高い相手のようだね」
「え?」

蒼龍の指が、朱色の印を幾度もなぞる。首を傾げた時緒に答える声は、少しだけ硬い。

「此処の花の印だが、これは彼岸花を意味している。彼岸花は『地獄の花』であり『天上の花』。つまり、地獄ではもっとも尊ばれる花の1つなんだ。これを扱える者は、地獄でも決して多くない。それこそ十王やその側近くらいだろうね」
「そうなんですか? でも……」

視線をあらぬ方向に彷徨わせ、時緒はこの筒を預かった際のことを思い出す。例によって文机の引き出しからこの丸筒を取り出した老人は、ひょい、と手に持ったものを時緒に投げて寄越した。

『物はついでだ、時緒。お前、これを獄都まで届けてこい』

八百屋に行くならついでに隣の魚屋に行ってこい、とでも言うような、大変軽い様子だった。時緒は眼をぱちくりさせて、何だか分からない筒と、老人を見比べた。

『……斬島さんに渡せば良いの?』
『それでも構わんが、出来ればお前が直接渡す方が良い。あの生真面目な獄卒なら、お前がそう言えば案内も買って出るだろう』

『良いか時緒。それの届け先はな……』

「時緒ちゃん?」
「っ、あ、すみません」

いつの間にか少々考え込んでしまっていたらしい。心配げな蒼龍にぺこんと頭を下げた時緒は、取り敢えず筒を再び鞄へとしまった。中身は不明だが、取り敢えずこれが重要なものらしいことは分かった。無くしてしまったら一大事である。

「まあ、その印があるということは、届け先は十中八九閻魔庁だろう。私も用事は閻魔庁だから、一緒に行こうか」
「良いんですか?」
「勿論。というか、オヤジさんは多分これを狙ってるんだろうからね」

相変わらず食えない人だ。蒼龍は言って肩を竦める。時緒もつられて微苦笑を浮かべた。

「じゃあ、お願いします」

地獄堂の老人の話ではもっと気楽な印象だったのだが、蒼龍が嘘を言っている筈も無い。柔和な笑みを浮かべる彼に「有り難うございます」と頭を下げた時緒は、気疲れした己をいたわるように深呼吸をした。

「あ……っ」

丁度そのとき、ガタン、と車体が大きく揺れた。それに驚く間もなく、窓から見える景色が視線の下方へと沈み込む。数秒遅れて、それは景色が下に沈んでいるのではなく、今乗っている車体が上に浮き上がっているせいだと気づいた。
浮き上がる蒸気機関車。下へと遠ざかる景色。まるで飛行機のようだが、それよりももっと緩やかだ。時緒のテンションは俄に上昇した。

「凄いなあ。ほんとに銀河鉄道みたいですねえ」

しかし、やがて車体の周囲は濃い霧に包まれ、景色はおろか青空すら段々と見えなくなっていく。空の青さが白い霧に塞がれ、間もなく周囲は霧と暗闇に閉ざされてしまった。

「次元を渡るときは、何処でも大体こんな感じだよ」

苦笑気味の蒼龍の言葉に、成る程と時緒は納得した。どうやら、あの童話ほどの幻想的で素晴らしい体験は出来ないらしい。
しかし一応納得はしても、期待していた分がっかりはする。時緒は小さく溜息をつくと、代わり映えの無くなった窓の外から視線を外し、再び鞄を開けた。そしてその中から、小さなソーイングセットと、折りたたまれた麻布を取り出す。

「刺繍かい?」
「はい」

布に刺繍枠をはめ直しながら頷く。時緒の慣れた手つきを見つめていた蒼龍は、ふとその布にあしらわれつつある花を見て目を丸くした。

「……変わったモチーフだね」

目の覚めるような『赤』の花に視線を落としたまま、蒼龍は彼にしては率直な感想を漏らした。気を悪くすることも無く、時緒はにこりと笑う。

「好きなんです。――この色も、曼珠沙華も」

[ back to index ]

「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -