暗き森にも光は射すか | ナノ


▼ 周章狼狽

マンションのエントランスで美麗と別れた時緒は、すぐさま地獄堂を目指した。少しだけ踵の上がったブーツが音を鳴らすのも構わず、舗装の所々禿げた道を真っ直ぐ歩く。駅近の時緒のマンションから、町外れの地獄堂まではそこまで近くない。普段は気にもならないことだが、今ばかりはその道のりが煩わしかった。

「おじいちゃんこんにちは! 『どこでもドア』使わせて!」

地獄堂は今日も元気に右に傾いている。その不気味さにも、扉の横に立っているはらわた脳味噌丸出しの人体模型の気持ち悪さにも目もくれず、挨拶直後に結構なトンデモ発言を口にした。
が、一応補足すると、事情を知らない人間には『トンデモ』に聞こえるのであって、地獄堂の老人に『どこでもドア』を要求するのは、別に妄言でも無茶ぶりでも無い。

「ひひひ……」

地獄堂の中は今日も薄暗い。時緒がぱたぱたと奥に駆け込んできたのを、老人と飼い猫はそっくりな笑い声を上げて出迎えた。

「上手くやっとるようだの、時緒」
「拙くはないと思うよ。でも笑ってる場合じゃないの。私が悪いんだけど、でも兎に角お願い。早く斬島さんに連絡を取らないと」

ちょっと前まで「今夜会う前に帽子を届けられれば良いな」程度の軽い気持ちだったというのに、とんでもないことになってしまった。自分のうっかりのせいで発生したダブルブッキングに、時緒は軽い目眩を覚えている。
多少遅れる程度ならマンション前に式鬼を飛ばせば良いが、今のままでは『遅れる』どころか、どちらかの約束を『丸ごとすっぽかす』ことになってしまう。美麗との方は「気にしなくても良い」と言われはしたが、実際は彼女が言うほど簡単には済まない。

「落ち着け、時緒。そもそも『アレ』は決まった場所にしか通じん。あの獄卒のいる場所に、都合良く道を繋げるものでは無いぞ」
「あ」
「ひひひひ! 珍しいことよなぁ、お前がそうも慌てるとは!」
「うう……っ」

何とも愉快そうな老人。そして膝の上で丸くなる黒猫。時緒はがっくり項垂れた。全ては自分のうっかりが招いたことだと分かっている分、やるせなさも一入である。

「まあ、そう慌てるな。この世と地獄は次元レベルの差はあれ、距離自体は然程遠くない。地獄の住人にも現世ゆかりの者が数多くおるお陰で、それなりに行き来の手段もある」

嗄れた声で老人が断言したことで、時緒はようやく少しだけ肩の力を抜いた。しかしながら、安堵するにはまだ遠い。一部不可解な老人の言葉に納得しきれず、困り顔は崩せなかった。

「行き来の手段って、『乗り物』のこと? 日本には近畿地方にしかないんじゃなかった?」

次元をわたる『乗り物』は、世界に点在している。ある程度決まった場所にしか繋がらないものが多数であるが、使えば冥界や地獄、精霊界、果ては天界など、様々な次元に殆どリスクなく渡ることが可能だ。
少し前に一度、時緒はかの三人悪たちと、『乗り物』のその1つである『黒い船』に乗ったことがあった。

「少し前まではな」
「……」
「最近、新しく出来たのよ。勿論、この国の政府は知らなんだがな。ひひひひ……獄都の連中も、なかなか大胆な真似をする」

老人はやけに勿体ぶっている。時緒は好い加減やきもきしてきたが、焦っていても仕方ないと何とか自己暗示をかけて落ち着こうとした。
ちら、と目をやった紙袋の中には、当たり前だが出かけ前に入れた、カーキ色の制帽が入っている。これも、届けられるものなら早く届けたいのに。

「時緒」

少し身動いだ老人が、おもむろに自分が向かっている文机の引き出しを開けた。ガタリ、と音を立てて開いたそこの隙間に、枯れ枝のような老人の手が差し入れられる。
特に何かを探すような素振りも見せず、手はすぐに引き出しから抜き取られた。しわくちゃの手には、やや日に焼けて茶色くなった、小さな封筒が摘まれている。

「まずはこれだ、なくすなよ」
「?」

ひょい、と渡されたそれを反射的に受け取り、中身を出す。軽い音を立てて出てきたのは、手のひらの半分弱くらいの大きさの古びた――

「切符?」

印字も、うっすら描かれている背景の模様も、何処かレトロな印象。日付の部分はそう古くないが、ボール紙で出来ているらしいそれは全体的に作りが粗い。大きく刷られた駅名は横書きだが、今の一般形式である「左から右」ではなく「右から左」に読むようだった。

『岸此彼 車列環循』
『デマ京東 デマ都獄』

「……」
「行きと帰りで1枚ずつだ。仕組みはこちらと変わらんから、そこは迷わんだろう」
「え。……え? 待って、おじいちゃんお願い、ちょっと待って」

理解が追いつかない。ぐるぐると狼狽えてきちんと働かない思考回路を叱咤し、何とか状況把握に努める。穴が空くほど手の中の切符を見つめ、そこに印刷された文字を目で追い、脳味噌に理解させる。

「おじいちゃん……あの、もしかして、その新しい『乗り物』って」

恐る恐るといった風情で、老人の顔を窺う時緒。窺われた老人は、猫を撫でながら「ひひひひ!」とまたも楽しそうに笑った。

「昨今の鉄道ブームに乗っかったのかも知れんな。……『あの駅』は大規模な復原工事もあったしの。まあ、詳しいきっかけはどうでも良かろう」
「やっぱりそうなんだ……」
「何を今更。そこにきちんと書かれとるだろうに」

そうだ。確かに書かれてはいる。しかし、書かれていることを素直に現実と受け止めるには、少々行き過ぎている気がしてならない。

「9と4分の3番線みたい……」

と、思わず呟いた時緒に、「そう暢気な代物ではない」と、老人はあくまで愉快そうに笑って言った。

「あくまで『常世』に繋がる列車。現世の停車駅は1つしか無い上、常世の中でも人のとても住めんような場所にも行く。どちらかと言えば『きさらぎ駅』が近い。そして何より、駅員が余所者の『煙管』を決して許さん。うっかり切符をなくせば戻ってはこれんぞ」
「ふうん……」

じっくりと手の中の切符を矯めつ眇めつした時緒だが、やがて神妙な顔で封筒にそれを戻し、丁寧に鞄の奥へとしまった。こういう老人の忠告は、しっかり聞いておくに限るということを、時緒は自らの経験からよく知っていた。

「おじいちゃん、念のため聞くけど、その『乗り物』が来る駅って」

まだ半信半疑、と言った体の時緒。老人は一際大きな声で笑う。

「切符にも書いてあっただろう。……東京駅よ!」

ただでさえ細い金色の目を、弓張り月のように細めて。

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