暗き森にも光は射すか | ナノ


▼ 棣鄂之情

洋菓子か和菓子かと言われると、時緒はどちらかと言えば和菓子が好きだ。あんこや杏仁豆腐の甘さが好きで、おはぎや泡雪羹、あんみつ程度ならば自分で作ったりもする。しかし洋菓子は洋菓子で好きで、1週間に一度くらいはおやつが洋菓子になる。
今日は、その1週間に一度の『洋菓子な気分』の日だった。

「今日は紅茶で良いですか?」
「ああ」

湯呑みと急須に比べれば使用頻度の低いカップとティーポットを取り出し、あらかじめお湯でそれらを温めてから紅茶を煎れる。

「夜のお菓子は太るって言いますけど、不思議と夜食べる方が美味しいんですよねえ」

砂時計で時間を計るのも慣れたもの。湯気の立つ琥珀色の液体を2つのカップに注げば、ダージリンの香りが、まるで花が綻ぶようにふんわりと広がる。

「斬島さん、ショートケーキとプリンとどっちが良いですか?」
「別にどちらでも良いが」
「駄目です。斬島さんが選んでください」

鷺川市場近くのケーキ屋で買った、イチゴのショートケーキと抹茶のプリンを、うきうきと皿にのせる。ケーキを直接見た斬島が、然程間を置かずプリンの方を指したので、時緒はすぐにそちらを彼の前に置いた。

「プラスチックのスプーンで良いですか?」
「ああ」

ケーキを買ったときに一緒につけられた、使い捨てのスプーンを1つ渡す。時緒も同じものをつまみ上げ、周りを包むビニールを破いて捨てた。

「今日は来ませんね、あの子達」

あの子達。その単語に、スプーンでプリンを掬い上げた斬島もふとその動きを止めた。

「そうだな」
「まあ、来ても今日はおやつ無いんですけど。……そう考えるとタイミング良かったなあ、裕介君達も」

あの豆大福、一昨日貰ったばかりだったんですよ。
子供達の何とも言えない運の強さに、時緒は肩をすくめて苦笑した。あれは実は日本有数の老舗和菓子屋の銘菓で、ついでに1日あたりの数量限定品という結構なレアものだったのだが、当然その事実は時緒以外知らない(舌の肥えている裕介なら、或いは当たりをつけたかも知れないが)。
鼻が利くんだろうと、斬島がいつも通りの無表情で答えた。

「俺の同僚にもそういう奴がいる。勘が良いのか、誰かがこっそり隠しておいた菓子だとか、任務先から買ってきた土産だとかを、それこそいの一番に見つける。あの探知能力の高さはいっそ見習いたいほどだ」
「それは凄いですねえ。あ、でも、てつし君もそういうところあるな。前に私が地獄堂に貰い物のチーズケーキ持っていったことあるんですけど、冷蔵庫の一番奥に入れておいたのにすぐ見つけちゃって」

小さなスプーンでショートケーキを切り、口に運ぶ。生クリームはもう少し甘くない方が好みだったが、普通に美味しい。最近はコンビニスイーツなるものも随分浸透してきたようだが、本職の洋菓子店もまだまだ負けていない。
美味しいですねえと時緒が微笑むと、斬島も小さく頷いた。彼がその大きな手で、ちまちまとプリンを掬って食べている様は、何だか妙に可愛らしい。

「同僚の1人が、こういう菓子をよく作る。佐疫というんだが、手先が器用で作るものは何でも美味い。この間は……何だったか、チョコレートのケーキを作っていたな。薄い層が幾つも積み重なった、固くて四角い形のケーキなんだが」
「層が重なってる、固くて四角い……オペラかなあ? 美味しいですよねーってちょっと待ってください。その『さえきさん』ってオペラ作れるんですか!? 凄いですね!」

オペラ、もといオペラケーキとは、フランス発祥の美しいチョコレートケーキである。シロップを染み込ませたビスキュイ・ジョコンドという生地に、ガナッシュやコーヒーバタークリームなどで層を作り、それをチョコレートで覆う。この『層を作る』という工程がとても難しいため、上級者向けの菓子に分類されるのだ。

「佐疫は割と多趣味なんだが、特に菓子作りに関しては屡々腕を振るいたくなるらしい。相伴に与るのが楽しみだ」
「聞いただけで上手なの分かります。凄いなあ、レシピとか聞いてみたいかも。他にも何かされてるんですか?」
「最近はピアノを習っているな。まだ練習中だからとあまり聞かせてはくれないが」
「ひぇえ……女子力たっかあ」

『ピアノ=女子』のイメージは偏見だが、しかし凄い。本当に何となくだが、ふわふわくるくるの髪が美しい、睫毛の長い色白の美少女を想像してしまう。レースのワンピースと、淡い色の日傘が似合いそうなイメージ。これでカサブランカの花束でも持っていたら、最高に絵になるだろう。

「佐疫は男だぞ」
「あ、そうなんですか」

実に鋭い斬島のツッコミ。時緒は慌てて、脳裏に描いていた『深窓の令嬢・さえきさん』のイメージを消しにかかった。性別を聞いていなかったとはいえ、独断と偏見で男性を女性と間違えるとは失礼極まりない話である。

「しかし、美味いケーキではあったんだが、平腹……さっきの鼻が利く同僚がほぼ1人で食べてしまってな。食いっぱぐれた他の同僚が随分怒ったものだ」

谷裂も田噛も、佐疫の菓子は良く食べる。木舌も、酒飲みの割には甘い物が好きだ。肋角さんも、別に甘味が苦手ではないらしい。云々かんぬん。
ぽんぽんと音が聞こえるように錯覚するほど、知らない名前が次々と斬島の口から零れていく。
さえき。ひらはら。たにざき。たがみ。きのした。そして、ろっかく。人間にも比較的いそうな響きの名前だ。普通に考えれば『佐伯』『平原』『田上』『木下』『六角』辺りが妥当な字と思われる。が、恐らくは斬島が『霧島』や『桐島』でないのと同じで、何処かに忌み字が使われているのだろう。

――そういえば。

ふと、頭の中に疑問が浮かぶ。しかし今此処で聞いて、この話題が終わってしまうのは惜しかったので、時緒はそれを喉の奥に押し込んでしまうことにした。代わりに、瓶から零れた金平糖を拾い上げるように、斬島の『同僚』の名前を会話で拾っていく。

「『ひらはらさん』や『たにざきさん』達は、お菓子は作られないんですか?」
「谷裂は夕食をたまに作るが、割合手軽なものが多いな。俺も人のことは言えないが。平腹などは平気で包丁やら食材やらを振り回すから、そもそも単独で厨房へ立ち入ることが禁止されている」
「それは……凄いですねえ」
「木舌は割合上手いが、酒の肴になるようなものが多い。田噛は……あまりそもそも厨房に立たないな。ギターも嗜んでいるから、手先は器用なんだが」

うーん、聞けば聞くほど面白い。時緒は脳内で唸った。
先程の斬島が言った『十把一絡げには出来ない』の意味がとてもよく分かる。個性的も個性的。斬島自身を含め、十人十色とはこのことを指すのだろうと思えるくらい、『獄卒』なる方々は個性が強いらしい。

「面白い職場ですねえ」

斬島の周囲は、さぞ毎日が賑やかなことだろう。半分ほどになったケーキを呑み込んだ時緒は、ゆうるりと目元を和ませた。斬島は相変わらず表情に乏しいが、しかしよく見れば、その雄弁な深い瑠璃色の瞳は、普段より少しだけ忙しなく動いている。記憶を掘り起こすように何処か遠くを見たかと思えば、急に視線を落としたり、はっとしたように時緒を見据えたりする。

「斬島さんの『家族』って、同僚の方達のことだったんですね」

そして話を聞いているうちに、時緒はようやく合点した。彼の考える家族像と、『社員寮のような屋敷』『一緒に生活している同僚』がどうしても結びつかなかったのだが、要はそういうことだったのだ。
家庭は家庭、職場は職場、学校は学校、と無意識にはっきりと区切りを入れていたからこそ生まれていた違和感が、氷解していく。斬島にとって、仕事の同僚こそが家族であり、兄弟。だからこそ彼は、『他』の帰る場所など無いし、求めてもいない。
そんな繋がりが持てるのであれば、確かに、血縁も婚姻も大した重みはないだろう。互いに『家族だ』と、自然に称し合える関係性を築いた相手がいる。本音をぶつけ合えて、仕事も助け合えて、時に喧嘩をしながらも憎みきらない。好き合いながらも、互いを尊重できる。
頼れども依存はせず、手助けはしても過度には甘やかさず、罵れど呪詛は吐かず、愛しながらも盲信はしない。

「素敵ですねえ」

それはきっと、堪らなく温かくて、心地よいものなのだろう。
想像するだけで、泣いてしまいたくなるほどに。

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