暗き森にも光は射すか | ナノ


▼ 和気藹々

「ちょっと厄介なことになりましたねえ」

メインディッシュ(という程洒落たものではないが)の入った鍋に火を入れながら、時緒は独り言のようにぼやいた。既に炊きあがったご飯が入った炊飯器を開くと、溜まっていた水蒸気と一緒に、炊けた米の良い香りがふわりと広がる。『保温』スイッチを切るだけして、冷蔵庫から買っておいた『具』を幾つか取り出していく。
鮭フレーク、梅干し、明太子、辛子高菜にシーチキン。シーチキンと鮭フレークの缶を開けにかかりながら、合間合間で焦げないように鍋を混ぜる。その途中で少し手を離し、ネギとわかめの味噌汁を温め始める。

「そうだな」

手を洗ってリヴィングに入ってきた斬島が、至極真面目な様子で頷いた。取った制帽を手持ちぶさたに弄りながら、深い瑠璃色の瞳を幾度か瞬かせている。相変わらず表情は薄いが、厄介、という気持ちはやはりあるようだった。
彼の感情は、表情よりもその声や瞳が雄弁に語る。出会って2日もあれば、時緒にもそのくらいは分かる。嵐の形跡もない漣のような印象を覚える低い声は、調子を崩されるとほんの少しだけ高くなるようだった。

「まあでも、あの森に警察が立ち入って遅くまで居座るってことはないと思います。地元の人間はあそこが危ないってよく知ってるし、夜に捜索したって暗くて人なんか見つかりっこないですから」

怪我するのがオチですよ。などと喋っているうちに、味噌汁が温まってきたようだった。時緒はまず沸騰させないように先に火を切り、次いでビニールの薄い手袋を両手に嵌める。使い捨てのそれをなんどか引っ張って手に馴染ませると、次にラップを広げてそこにご飯を盛り始める。
帰りがけに三田村巡査が語ったところによると、流石にイラズの森を丸ごと捜索する大捕物にはならなそうだということだった。しかし上院町は警戒区域に指定されたらしく、見回り・聞き込みの警察官が大幅に増員されるとのことだった。

「時間をずらした方が良いか?」
「んー」

手際よく具をご飯の中に入れ、ころころと綺麗な三角形にしていく。まずは鮭、次に梅干し、明太子、辛子高菜。シーチキンは皿にあけ、マヨネーズと和えてから入れていく。

「……検討事項ですね。明日は土曜日だし、明るいうちにちょっと様子見てみます。三田村さんも、差し障りのない範囲でなら、警察の人の配置とか教えてくれるだろうし」
「手間をかけてすまない」
「とんでもない。斬島さん1人なら何の問題もない話じゃないですか。寧ろ私が話をややこしくしてるのに、そうやって謝られたら立つ瀬がないです」

大きめのおむすびを幾つもこしらえて皿に盛る。味噌汁をよそい、最後に残った鍋の火を消す。朝のうちにホーローから取り出しておいた人参と椎茸の糠漬けを使った鍋焼きうどんは、見るからに味が染みている。出汁と醤油の香ばしい匂いが、ふわりと室内に広がって食欲をそそった。
いただきます、とほぼ同時に手を合わせて斬島はまずうどんに箸を伸ばし、時緒は味噌汁を啜った。

「美味いな」
「ふふ。嬉しいな。有り難うございます」

ちゅるりと啜ったうどんを噛めば、かつおの出汁と薄口醤油、それから微かに麹の風味が一気に溢れてくる。少し濃いめに味付けられたそれは、一緒に出されている握り飯を食べるとほどよく中和されて美味かった。

「そういえば、ちょっと気になったんですけど」
「何だ?」
「斬島さん、今は此処で食べてますけど、ご飯は普段どうされてるんですか?」

斬島が、というより、『獄卒』という存在が、極々普通にものを食べるという驚きは既に無い。『鬼』だという彼はそれでもほぼ人間と外見が変わらないし、言葉も通じている。寧ろこの見た目でうっかり人肉でも食われようものなら、普通の人が思い浮かべるオーソドックスな外見の『鬼』がそういうことをしているよりもトラウマになりそうだ。
彼がこうして時緒の調理したものを普通に、それこそそこらの若者より行儀良く食べているところを見る限り、普段から似たようなものを摂食しているのは間違いないのだが。

「普段は屋敷で食べているな。手伝いの方が来て、朝食と昼食は作ってくれる」
「お手伝いさんですか」
「ああ。俺を含め、屋敷の連中は殆ど家事が出来ないからな。それに数が多いから、自分だけ自炊や洗濯をするというのは難しい」
「そんなにいらっしゃるんですか?」
「屋敷の獄卒は俺を入れて十、何人だったか……。男ばかりの上に基本は任務第一だから、家事までなかなか手が回らない」

などと言いながら、斬島はひょい、とお椀と箸を手に肩をすくめる。

「お屋敷ってことは、皆さん同じところに暮らしてるんですか? 社員寮みたいな?」
「寝室は各自にあるが、他は共有だから寮に近いものではある。が、あそこは家だな。寮とは違う。俺達はあの屋敷以外に帰る場所など無いし、新たに持つ必要も無い」
「――そう、なんですか?」

奥歯にものが挟まったような相槌を打つ時緒に、「どうした?」と斬島は首を傾げた。時緒はしかしそれには答えず、苦笑を添えてゆるりと首を横に振った。そうして誤魔化すように、「それより」と口を開く。

「同僚の方って、どんなひと達なんですか?」
「……十把一絡げには言えないな。誰も彼もが癖も灰汁も強い」
「え、みんな斬島さんみたいなんじゃなく?」
「どういう意味だ。それは」
「あっ、違います違います。変な意味じゃなくて」

心なしか斬島の声音に胡乱げなものが混ざる。時緒は慌ててぱたぱたと箸を持っていた右手を振った。

「私は斬島さんしか獄卒さんを知らないから、私の中では斬島さんが獄卒さんのスタンダードになっちゃってるんです」
「少なくとも、俺を基準と考えるのは間違いだ。俺より優秀な者も、腕が立つ者も、要領の良い者も数多くいる。お前達だって、『人間』の一括りで得手不得手や性格は決められないだろう?」
「あはは。それはそうですね、ごめんなさい」

斬島が適当に選んだ握り飯を食む。大きくかぶりつかれたそれは、一口で全体の3分の1近くの体積を無くした。

「……マヨネーズ?」
「はい? あ、ツナマヨですね。嫌いでした?」
「初めて食べた。面白い食べ合わせだな」
「そうですか? 割とメジャーな食べ方だと思ってたんですけど」
「俺は普段は梅干ししか食べない」
「あはは。さては外食の時も同じメニューしか頼まないタイプですね」
「そうだな。慣れた味が一番舌に馴染んで美味い」
「気持ちは分かりますねえ。えーと、梅干しこっちですよ。ツナマヨは口に合わなかったら残してください」
「いや、大丈夫だ。これはこれで美味い。マヨネーズも米には合うんだな」
「人によってはご飯に直にマヨネーズかけるらしいですよ。どばーって。試します?」
「血圧が上がりそうだから止めておく」
「ふふふっ、そうですねえ。私もお勧めはしません」

時緒は口元に手を当て、楽しげに笑う。

「……うどんはお代わりあるか?」
「ありますよー。多めによそいます?」
「いや、今と同じくらいでいい」

それは私基準で大盛りですよ。などと言いながら、時緒の分より1.3倍はあるうどんを新しくよそう。
大皿のおにぎりは、既に3分の1が消えていた。

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