暗き森にも光は射すか | ナノ


▼ 夢幻泡影

両親の夢は、幼い頃から時々見る。3日も4日も続けて見ることもあれば、数ヶ月はご無沙汰のときもある。だが、『見なくなる』ということは一度も無い。忘れかけていれば、そのときに、何となくいつもより意識していれば、次の日も。まるで何かが「忘れるな」と戒めているかのようだと、いつか思った記憶がある。
夢の中では鮮明な両親の声や表情や温もりは、しかし夢から覚めるとまるで幻のように薄れていく。さながら砂時計の砂が零れていくように、覚えていようと思った端から消えていくのだ。

「……ちゃ……」

夢の中の世界は優しい。そして温かくて、甘い。それはほどよく温められた砂糖入りのミルクのようでいて、体中が沈み込んでしまいそうな、ぬるい泥濘にも似ている。
優しくて温かいことばかり鮮明で、目覚めてもその余韻ばかりが残る。既に視界は現実なのに、地に足が着かずふわふわとしてしまう。

「時緒ちゃ……」

だから、夢は好きじゃない。――眠ることは、好きじゃない。

「時緒ちゃんってば!」
「っ、ぁ」

ぱちん。ぱちぱち。瞬きを3回。ようやく意識を定めて視界を認識すれば、仲の良いクラスメート達がやや心配げに自分を覗き込んでいた。

「……ごめん、全然聞いてなかった。何だっけ?」

眉をハの字にしつつ、苦く笑って首を傾げる。ごめん、と両手を合わせる時緒の様子に毒気を抜かれたクラスメートは、「もー」と仕方なさそうに呻いた。

「別にいーわよ。大した話してなかったし。……それより、そうやって目ぇ開けたまま意識飛ばすの止めてよね。死んでるのかと思っちゃう」
「時緒ちゃん、たまになるよね。ほんとは具合悪いんじゃないの? 大丈夫?」

心配そうなクラスメート達に、しかし時緒は『大丈夫』と繰り返すしか無い。実際問題として、別に具合が悪いわけでも何でも無いのだ。身体の調子は至って良好。精神だって健常だ。……ただ、少しばかり夢見が悪かっただけで。

「ほんとに大丈夫だから、あんまり気にしないで」

やんわりと、けれどはっきりそう言えば、友人達はまだ心配そうながらも諦めてくれる。あまり深く掘り下げられても困るから、この辺は素直に有り難い。誰かに言って理解して貰うことも、誰かに解決して貰うことも、時緒は望んでいない。

「……なんかあったら言ってね?」

そう言ってくれる友人の存在は嬉しい。本当に嬉しいから、時緒もにっこりして「有り難う」と返す。力になってくれようとする友人に恵まれた事実に、感謝もする。
けれど、これ以上心を砕いて欲しくないのだ――『自分』のためになんて。

「それより、次の授業って教室移動だよね?」

そろそろ行かないと、と時緒が全て言い終えるよりも、言われたクラスメートが「ぎゃー」だか「わー」だか分からない悲鳴を上げる方が早かった。

「もっと早く言ってよ時緒の馬鹿ー!!」
「えー、それ私のせい?」

とんでもない責任転嫁だ。手を取られ強制的に走らされながら、何だかおかしくなって時緒はころころ笑う。そして手を引く友人達も、それにつられるようにして笑い出す。
何の変哲も無い日常で、何の変哲も無い風景だ。とても現実味があって、取り立てることも無く平和で、殊更日記にも書き残さないような。
だが、そんな時間と温もりが、あの夢を見た日には殊更愛しくなる。

「ばいばーい!」
「また明日ー!」

やっと1日の課程が終わり、三々五々生徒達が散っていく。昨日は時緒に縋ったクラスメートは、今日は一緒に寄り道をしてくれる相手を見つけて先に帰って行った。他のメンバーはいつも通り部活に委員会にデートなので、時緒は1人で帰るが、これも平日が5日はあれば、最低1日はあることだった。

「時緒、ばいばい!」
「ん。ばいばい」

上院町には、上院小学校・中学校・高等学校の3つの公立校がある。そしてその3つの学校はそれぞれ、イラズの森の敷地の一部を使って建てられている。土地そのものが呪われていると言っても過言では無いこの森を使うことで、学校の建設時は大層事故が多発したそうだ。それでも土地が豊富であることもあり、当時の責任者は、怪異や悪霊といった『悪いもの』を、沢山の祠やお堂を建てることで封じた。そしてとうとう建てることに成功したのが、この3つの公立校達なのだ。
そしてこの3つの学校には、それぞれの裏手を、イラズの森を通って結ぶ小道がある。昼間でも薄暗くて気味の悪いこの道を、上院小学校の児童達はあまり使用しないが、中学生や高校生には結構お構いなしに使用されている。時緒も、こうして1人の時は大体この道を使っている。何せ此処を通る方が、鷺川市場にも行きやすいからだ。

「エビクリームコロッケ1つくださいなー」
「はい、毎度!」

馴染みのコロッケ屋で食べ歩き用に1つ買い、あとは市場の店を回る。今日のメニューは既に決まっているので、足取りに迷いはない。

「あっ、時緒さん!? 時緒さんだ! おーい!!」
「! わあ、奇遇だねえ」

丁度コロッケを食べ終えたところで、遠くから名を呼ばれた。聞き覚えた声だと思ってみれば、やはり知った顔。ぱたぱたと駆け寄ってくる『少女達』に、時緒も笑みを返す。
ぶんぶんと手を振ってこちらに来たのは、赤みがかかった茶色の髪をショートヘアにした、とても快活そうな少女である。ブラウンカラーの大きな瞳もくるりと愛らしく、彼女自身の明るい人柄を伝えてくる。日に焼けた小麦色の肌も、彼女の向日葵のような逞しさと、普段は外で走り回っているだろう活発な様子を物語っている。
その後ろから小走りに駆け寄ってきたのは、ウェーブがかかった黒髪の美しい少女。大人びた顔立ちは色白で掘りが深く、異国の血が混ざっていることが一目で分かる。緑色ががかかって見える髪やその瞳には、真紅の薔薇が大層似合うことだろう。
それぞれが異なった意味で『美しい』彼女たちは、裕介たちの同級生である。そして、ひとりは一般の家庭に生まれ育ちながら、もうひとりは古より続く魔女の家系に生まれたが故に、『異界の扉』を開け放った先に生きている。

「こんにちは、カンナちゃんに流華ちゃん。征将君と日向は?」
「俺は此処にいるぜ」

ショートカットの少女の胸ポケットから、イタチに似た生き物がひょいと顔を出す。大きさはハムスターくらい。イタチのようだが狐にも似ている、愛らしい生き物だ。しかし、発するのは鳴き声では無く、きちんと言葉になった日本語。しかも声は若い男だ。
それもその筈で、カンナの家で暮らすその生き物は、ただの動物では無い。『霊獣(イヌガミ)』という種類の、れっきとした神霊である。

「2人も夕飯のお買い物?」
「はい! 今日は流華の家にお泊まりするんです。晩ご飯も一緒に作るんですよ!」
「わあ、素敵。流華ちゃんの家ってことは、レオノーラさんも作るの?」
「勿論ですわ、時緒お姉様。ママったら、カンナが家に来るって凄くはしゃいでて」
「『お姉様』はやめてってば。でも、それじゃあ日向はともかく、征将君は来られないね」

今この場にいない、カンナの幼馴染みである少年を時緒は思い出す。幾ら小学生とはいえ、『レディ』の家に一晩泊まるというのは抵抗があったのだろう。……仮に抵抗がなくても、カンナはさておき流華が許さなそうだと思い直した時緒は、くすくすと口元に手を当てて笑う。

「そうだお姉様、この間お裾分けして貰った糠漬け、とっても美味しかったです!」
「ほんと? 嬉しいなあ」
「ママも凄く喜んでました。糠床の作り方が知りたいって言ってます」
「じゃあ、今度一緒に作ろうか。おうちに行っていいならレクチャーするよ?」
「はい、是非!」
「あ、いいなあそれ! ねえ時緒さん、あたしも良い?」
「勿論。って、そんな大したことしないけどね」

言いながら、またくすくす笑う。楽しかった。幸せだと思った。心から。
何の変哲も無い日常。何の変哲も無い風景。とても現実味があって、取り立てることも無く平和で、殊更日記にも書き残さないような時間
夢のせいで思い出した時緒の『虚ろ』に、しかしそれはとても良く効いた。

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