暗き森にも光は射すか | ナノ


▼ 和光同塵

元々『イタズラ大王三人悪』などと呼ばれ、やりたいことがあれば遅刻もサボりも何のそのという彼らである。
その自由さを時緒も分かってはいるが、それでも小学校は義務教育で、通っている親には多少の負担がかかっている。譲れないものもあるだろうし、やんちゃ盛りの子供の好奇心は貴重だ。しかしそれでも、あまり蔑ろにして欲しくはない。

「別に俺等、今更ちょっと遅刻しても……」

てつしが唇をへの字に歪める。良次もその隣で物足りなさそうだ。そんな中、明確に時緒の意図をくみ取った裕介が、涼しげな顔をして2人を宥める。

「良いから帰ろうぜ、てっちゃん。学校は時緒姉だってあるんだし」

そう言いながら、ちらと微かに首を傾け、時緒の表情を窺う。やんわりと笑んで、「ごめんね」と時緒が謝れば、もう駄目押し。
色素が薄いせいか、線の細さのせいか。兎に角見るからに弱々しげな時緒のお願い事に、根っこの優しい彼らはあまり逆らえないのだ。

「じゃーな時緒姉、斬島の兄ちゃん、おやすみー!」
「時緒姉ときーちゃん、おやすみなさーい!」
「おやすみ、2人とも」
「はい、おやすみ。ちゃんとみんな学校行くんだよ?」

「気が向いたらな!」と、跳ねっ返りの言動をやめないのは、もはや本性の問題か。捨て台詞のようなてつしの言葉に思わず噴き出した時緒は、笑いをぐっと呑み込んで後ろの斬島を振り返った。

「すみません斬島さん、長いことお相手して貰っちゃって」
「……いや」

食事中は外していた制帽を、再び目深に被った斬島はゆるりと首を振る。帽子のつばによって陰の落ちたその面差しには、青い瞳が2つ、満月のようにぽっかり浮き出ているように見えた。

「だが、生者の子供にこうも関わったのは初めてだ。元気の良いことだな」
「あの子達はいつも特別元気ですよ。……いつの間にか『こっち』に足を踏み入れていたときは驚きました。全然いつもと変わらなかったから」

あの日のことは鮮明に覚えている。その日時緒は、夕飯の買い物帰りに立ち寄った交番で、顔見知りの巡査と珈琲を片手に談笑していた。……そこに突然現れた、土で汚れたしゃれこうべを持った従兄弟の姿。
二つ池にあった。幽霊が出るというから試しに行ったら見つけた。そう冷静に語った裕介。明らかに本物のそれに驚いた巡査の横で、時緒も酷く驚愕した。子供が持つにはいただけない頭蓋骨にではなく……頭蓋骨を持ってきた裕介の、真剣な、けれど、不思議な高揚感に満ちた表情に。
それは紛れもなく、地獄堂の老人に『術士』として導かれた時の自分と、同じ顔だった。

「でも、良い子達でしょう?」

真っ直ぐな子達だ。裕介だけは少しばかり『大人』に成りすぎている感があるが、それでも彼らはまだ子供だ。大人の庇護を必要として、その中で目一杯翼を広げている。
そしてその時々で、『子供』の枠も『徒人』の枠も飛び越えて、色々なものを救ったり戦ったりしてきたのだ。

「そうだな」

斬島は小さく頷いた。嘘の無い声音だった。時緒の表情がやんわりと緩む。

「……もうこんな時間ですね」

気づけば、時計の針は既に0時を回っていた。テーブルの上に置いてある、タイマー付きのデジタル時計を覗き込んだ時緒は、小さく息を吐いた。
基本的に人間の活動時間は昼だ。獄卒はどうか知らないが、それでもあまり長い間拘束していれば、仕事や体調に差し障りが出てもおかしくはない。

「すみません、本当に長いこと居て貰っちゃいました」
「気にするな。俺もそれなりに楽しんだ」
「……有り難うございます」
「?」

「何故礼を言う?」と首を傾げる斬島に、「言いたくなったんです」とだけ時緒は返した。
子供達の去った部屋は、殊更静寂に充ち満ちているように感じられる。

「それより斬島さん、明日からの予定なんですけど……」

斬島の任務期間は5日。1日は予備日と考え、4日で任務達成出来るように計算している。今日と同じだけの距離を、あと3日かけて歩く。とはいえ時緒には昼間学校があるし、斬島とて何もこの任務だけが仕事というわけではないだろう。短い期間とはいえ行動を共にする以上、お互いに迷惑をかけないための決め事は必要である。

「取り敢えず、明日も今日くらいの時間からで良いですか?」
「ああ」
「待ち合わせる場所はどうします? 今日出たところ? それとも地獄堂?」

生まれたときからこの町にいる時緒と違い、斬島は当然だが上院町の地理には詳しくない。変なところを指定しても合流できないだろうと考え尋ねると、斬島は少し考えた後、ふるりと首を横に振った。

「いや、俺がまた此処の下まで来よう。その方が分かりやすいし安全だ」

きっぱりと言い放たれた斬島の言葉に、時緒は微かに瞠目した。表情には一切表れていないが、これはもしや、気遣われているのだろうか。

「どうした?」

驚きからすぐ立ち直れないでいると、きょとん、と幼い仕草で首を傾げられた。何だろうその反応。これはもしかして、驚いている自分が可笑しいのか。時緒はぐるりと混乱する頭で考えて、悩みそうになって……すぐにそれを放棄した。

「じゃあ、お願いします。お手数おかけしますけど」
「別に手間じゃない。それに、あの森や店の近くは穴を開けづらいからな」
「穴、ですか」
「そうだ。俺達はそこから獄都と現世を行き来する」
「ごくと」

また耳慣れぬ単語が出てきた。鸚鵡返しに辿々しく繰り返した時緒に、「地『獄』の『都』だ」と斬島は率直な説明を下す。

「じゃあ、もし何かあって遅れそうになったら?」
「そのときは此処の下に式鬼を寄越してくれ。俺の場合は……同じようにそれと分かる遣いをやることにする」
「分かりました」
「では、俺はもう戻る。こちらこそ長居してすまなかった」
「お粗末様です。……あ、そうだ斬島さん、もう1つ」
「何だ」
「明日からの夕飯、どうします? 此処で食べて行かれますか?」
「……」

ついでとばかりに尋ねた内容だったのだが、斬島は、事によれば先程までより余程真剣な顔をして悩み出した。死神だとか獄卒だとか、そういう常世の存在は世俗的なこととは無縁だと思っていた時緒であるが、今日1日でその印象はかなり覆された。
他の2つは知らないが、生存三大欲求のうち『食欲』について、彼は(或いは獄卒は)人間より少々貪欲ですらあるらしい。

「……迷惑で無ければ」

ややあって、押し殺したような、遠慮がちな声が響く。時緒は再度、噴き出すのをぐっと堪えた。

「任せてください。メニューのご希望はありますか?」
「いや、そこまではない。任せる」
「分かりました。多分和食っていうか、普通の家庭料理になると思いますけど」
「十分だ」
「有り難うございます。嫌いな食べ物とか、アレルギーとかは?」
「特にない。強いて言うなら米が好きだ」
「ふふ、分かりました」

これで話し合うべき事は全て話した。帽子を被りなおし、刀を伴って玄関へと向かう斬島を、時緒はスリッパに通した足で追いかける。

「今日は有り難うございました」
「お互い様だ。こちらこそ、これから3日世話になる」
「ふふふ……そうですね。よろしくお願いします」

何とも不思議な縁だ。改めてそう思いながら、扉を開けた斬島を見送る。彼は扉を開けて部屋の外に出ると、普通のマンションよりも広いその廊下の床を、刀の鞘でトン、と叩く。すると不自然な陽炎が立ち上り、ゆらり、と空間の一部が歪んだ。
嗚呼、これが『穴』なのか。某近未来の猫型ロボットが、タイムマシンで出すような丸い穴を想像していた時緒は、少しだけ自身の安直なイメージを羞じた。

「では」

そして羞じているうちに、斬島は再度帽子を外し、小さく目礼だけして、その歪みの中に融けてしまった。……融けてしまった、というのは見ていた時緒の表現で、実際は彼はただ『通り抜けた』だけなのだろう。しん、と静寂が耳を打ち、斬島がいた痕跡はもう見当たらない。

「……寝よう」

時緒は自分に言い聞かせるように呟き、扉を閉めた。正直目は冴えていたが、もう好い加減布団に入らないと明日に響く。
長い1日の、とても長い夜だった。そう思わず逡巡しながら、時緒は怠さに似た疲れを今更自覚したのだった。

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