暗き森にも光は射すか | ナノ


▼ 呵々大笑

「今日はここまでにしましょう」

最初に出発してからどれだけ歩いただろうか。数度の休憩と、時折道に迷わせてくる怪異のイタズラを挟み、『チェックポイント』の3つ目に到達したところで、時緒がそう言った。

「大体これで4分の1です。私の足に合わせて貰ったから、斬島さんに実感あるか分からないですけど」

広げた地図を見れば、明滅する青と白の光から、灰色の筋が一本、曲がりくねりながら伸びている。ぐにゃぐにゃのその曲線が、丁度斬島と時緒が出発した場所から伸びているのが分かった。線は紆余曲折を繰り返しながら、確かに森の丁度4分の1程度をうねっている。

「……こんな時間か」

胸元から懐中時計を取り出した斬島が、少し驚いた声で呟いた。出発した当初確かめた時刻からは、既に3時間ほど経過している。

「戻ろう」

パチン、と時計を閉じて頷く彼に、時緒は「こっちです」と方向を指さした。大きく傾き、殆どが朽ちて苔生している小さなお堂に背を向ける。この森の怪異を調伏しようとして失敗し、後に残されてしまった形だけの堂だ。

「おいで」

その屋根にとまっていた白い鳥が、すうっと飛んで時緒の指にとまる。そしてそれはすぐに姿を消し、元の髪の一筋となった後、ポッと炎を灯して消えてしまった。

「斬島さんのお陰で凄くスムーズでした。有り難うございます」
「いや……俺も正直助かった。単独で此処を歩き回るのは骨が折れる」
「そうですか? ……それなら、良いんですけど」

面と向かって「助かった」と言われると、何だか照れくさくなってしまう。時緒は己の唇に指を押し当て、微かな面はゆさを押し殺す。

「……帰りましょうか」

10秒近くそうして、ようやく緩んだ表情筋を引き締められるようになってから歩き出す。行きと違い、帰りは簡単だ。一番近い場所から外に出れば良いので、歩く距離もさほどではない。
程なく歩くと森の端っこは案外あっさりと現れ、少し古くペンキのはげたガードレールが横たわっているのが見えた。

「よ、いしょっと」

両手をガードレールに引っかけ、やや苦心しながら乗り越える時緒。その時緒より上背のある斬島は、時緒の腰上まであるそれを、ひょい、と軽く跨ぐ。体格差も身長差もあるのだから当然と言えば当然だが、少し切ない。

「どうした?」
「……いえ」

そしてそれを口に出そうものなら100%八つ当たりになるので、時緒は敢えて何も口にはしなかった。

「何はともあれ、お疲れ様です、斬島さん」
「嗚呼、お前も……」

きゅう。不自然な音が響き、何か言わんとしていた斬島の言葉が遮られる。ぱっと両手で自分の口元を覆う時緒。視線は下に降りて、自分の腹へ。

「す、すみませっ」

きゅうう、ともう少し長く、同じ音。いつの間にかカンテラはしまわれており、申し訳程度の街灯の下で、その頬が赤く染められている。

「……すみません」

嗚呼、もう。何故このタイミングで。幾ら気を抜いたからといって、これは無い。これだけは無い。どうしようもないけれど、この恥ずかしさをどうしてくれよう。
あうあうと、言葉にならない悲鳴を上げながら、斬島と自分の腹との間で視線を行き来させる。上下に繰り返される眼球運動のせいで目が乾いて、羞恥心と合わさって涙が浮かんだ。
と、そこに。

「腹が減ったな」

先程までと変わらない、斬島の落ち着いた声が振ってくる。気を遣わせてしまった……と少しばかり焦った時緒が顔を上げた、その途端。
文字にするなら、ぐぎゅう、とか、ぐうう、とか、そういう類の音が鳴って。

「……」
「……」
「……」
「……っっふ、」
「……」
「……あは、あははは!」

真面目な顔で腹をさすった斬島の様子が、何だか酷くおかしい。というか、この状況そのものがとても可笑しい。
こんな時間に、こんな場所で、人間1人と獄卒1人(?)。揃いも揃って腹を空かせて、空腹音を響かせる。何て滑稽なんだろう。笑いが止まらないではないか。

「ご、ごめんなさ……ふ、あは、あはは、嗚呼もう、何これ……あははは……」

くだらない笑いだ。分かっているが止まらない。笑って笑って、時々謝る。戻ってきそうなそれを押さえて、深呼吸を数回。すう、はあ。吸う、吐あ。

「……すいません、何かツボに入りました」
「そうか」

そしてこの真顔である。このひと(獄卒だけど)笑ったりするのかなあ、なんて少し失礼(かも知れない)ことを考えつつ、時緒は目尻の涙を拭った。嗚呼、こんなに大声で笑うのは久しぶりだ。普段から笑顔は安売りしているけれど、此処まで笑い転げるのは本当に珍しい。

「斬島さん」

地図をしまったザックを背負いなおし、時緒はにっこり微笑む。

「なんだ」

斬島の表情は動かない。冷たい印象はさほど無いが、不思議なくらい鉄面皮だ。

「良かったら、うちに寄りませんか。肉じゃがとお味噌汁ならご馳走できますよ」

あとソーセージと、出汁巻き卵もあります。ご飯も今頃炊けてるし、多めに作ったからお代わりもおつけしますよ。キュウリとキャベツの糠漬けもあります。
にこにこにこにこと、何のてらいもなく次々と食べ物を列挙する時緒。主に『肉じゃが』と『味噌汁』の辺りでぴくりと眉を動かした斬島。ちなみにソーセージはそうでもないが、出汁巻き卵も魅力的だったらしい。
そして、駄目押しとばかりに白米と糠漬け。

「……世話になって、良いだろうか」
「はいっ」

ややあって、少々遠慮がちに尋ねてきた青年に、時緒はうきうきと頷いたのだった。

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