渡る世間で鬼と逢ひ | ナノ
かがち

「じゃあ年も近そうだし、蘇芳さん面倒見てあげて」
「あ、はい」
「……」
「あらあ! いいわね明音ちゃん!」
「羨ましいっ!」
「あはは……」

朝会のあと、そう言って自分のデスクに戻った主任に頷き、明音は改めて『加々知鬼灯』と名乗った男性に向き直った。高い背丈、それなりの肩幅、端正な顔、そして角。
……見間違いでは、ない。

「じゃあ、まず事務室の備品について説明しますね」
「お願いします」

もしかしたら話しかけても碌な対応されないかも知れないと思っていたが、思いの外加々知は普通に答えてくれた。いつの間にか、あの剣呑な睥睨も成りを潜めている。明音は少しだけほっとすると、そんなに広くはない事務室の主な備品について説明し始めた。

「この棚に文房具の予備があります。あとこっちの鉛筆削りとか、テープ類は自由に使ってください。足りなくなってきたら発注しますので、そのときは鈴原さんか私に一声ください」
「わかりました」
「あとはこっちが複合機ですね。使い方は分かりますか?」
「大体は。前の職場でも似たようなものは使ってたので」
「分かりました。あ、こっちがコピー用紙のストックと、トナーです。新しいの開けたら、こっちの台帳に記入してください」
「はい」

加々知の受け答えはとてもハキハキしていて、見るからに仕事が出来そうだった。メモを取る様子はなかったが、聞き流しているだけという感じでは全くない。

「加々知君、わかんないことあったら何でも聞いてね!」
「あたしたちみーんな古株だから、何でも知ってるからねっ」
「はい、有り難うございます」

おばちゃんたちの言葉にきちんと礼を言ってから、加々知はあてがわれた仕事に取りかかり出す。デスクの書類に目を向ける間際、彼が強い視線で明音を見据えたことに、明音は気づいても何も言わなかった。

「加々知君、見るからに出来る男ね」
「ほんとほんと。前は何処で働いてたのかしら」

そんなひそひそ話も聞こえているだろうに、加々知に気にした様子は無かった。そして驚いたことに……というわけでもないが、実際に加々知は『出来る男』だった。最初は見慣れない書類の形式に少し困ることもあったようだが、ものの30分ほどで勘を得たらしく、テキパキと仕事の山を片付けだしたのである。
明音が片手では抱えきれないほどあった書類が、見る見るうちに減っていく。次の授業までに生徒の人数分コピーしてホッチキスでまとめといて、と3年生の学年主任がおいていったプリントの束が、綺麗に整頓されて積み上げられていく。果ては、

「手伝いますよ」
「え、加々知さんもう終わったんですか?」

と、人の仕事にまで手を貸してくれる始末。
当たり障り無く、礼儀正しい、けれど愛想だけが欠けた加々知は、しかしそのクールな態度が良いとおばちゃん事務員達にも好印象を植え付けたようだ。そしてその真面目そうな態度は、主任のお眼鏡にも適ったらしい。
そして明音自身も、時々意味ありげに視線を向けられる以外は、加々知に不満などはなかった。寧ろ、本当に猫の手でもあればマシかという忙しさが、体感的に3割は減った気がするのだ。それくらい、加々知は仕事が良く出来た。

「加々知さん、事務仕事すごく慣れてます?」
「ええまあ、長く勤めていたところも事務だったので」
「へえ……でも、加々知さんならもっとこう、会社の経営的なことも向いてそうですけど」

事務というと、どうしても裏方、下っ端の仕事の印象がある。無ければ困るが、「誰でも出来る仕事でしょ」と軽んじられることも多いのだ。明音の言葉に、しかし加々知はきっぱりと言った。

「数字を管理するのは趣味じゃありません。私はあくまで『人』相手の仕事がしたいので」
「ひと、ですか」
「ええ、『人』です」

それは果たして、『人間』という意味なのか、それとも、自分達と同じ『もの』に対してのことなのか。少しだけ気になったものの、結局その問いが明音の口から出ることはなかった。
そして、昼休み。

「蘇芳さん」
「はい?」

各自、持参した弁当を取り出したり、或いは一服しに校舎裏に向かったりとしている中、コンビニの袋を持った加々知が、不意に明音の横に立った。

「よろしければ、この後校舎内を案内して頂けますか? 今朝方校長先生にお願いしたのですが、一度では覚えきれなくて」
「……はい。勿論いいですよ」

凪いだ眼を見上げ、明音はやんわりと微笑んで頷いた。加々知の表情は、読めなかった。

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