渡る世間で鬼と逢ひ | ナノ
えんりょ

「これからどうしよう」

漫画やドラマなどでは何度かお目にかかっている科白だが、実際にこんなことを口にしてしまわざるを得ない心境が、こんなにも理解出来る日がくるとは思っていなかった。というか、出来ることなら来て欲しくなかった。
24時間営業のファーストフード店。明音はその、ガラガラの店内で一番人目に付かないテーブル席でがっくりと項垂れる。一応申し訳程度にSサイズのホットコーヒーだけ頼んでみたが、正直その液体も喉を通らない気分だ。

「ひとまず今日の宿を確保した方がいいでしょう。それから職場に連絡してください。明日は警察の聴取もありますから、事情を説明して有休も取るべきです。今すぐに出せるお金はどのくらいありますか?」
「えっと……財布には3000円くらいしか……一応カードとかは持ってますけど、ホテルってどのくらいかかるんですかね」

ホテルなんて、高校の修学旅行で泊まったのが最初で最後だ。カプセルと頭に付くホテルだって、駅前にあるということくらいしか知らない。相場など知る由もない。戸惑う明音と反対に、加々知はこんな時も冷静だった。

「ネットカフェなら3000円あれば十分ですよ。ブランケット等の貸し出しサービスもありますし、下手なホテルより寝心地も良いはずです」
「ね、ネカフェですか」

どちらにせよ明音には未知の世界だ。そもそもPCなど学校ででしか触ったことがないし、インターネットには普段から然程用事も無い。ネットカフェなんて存在くらいしか知らないと口ごもる明音に、「しっかりしなさい」と加々知の叱責が飛んだ。

「私の方で予約はしてあげますので、蘇芳さんはひとまず主任に電話してください。無いと思いますが、有休の件でごねられることがあったら電話を変わってくださいね」
「あ、はい。有り難うございます……」

すちゃ、と自分のスマホを取り出して操作を始める加々知。明音はまだぎこちなくウロウロと視線を彷徨わせていたが、加々知に「早くしろ」と目で怒られて取り敢えず携帯電話を取り出す。もう何年も機種変更をしていないガラケーだが、不便は感じないのだから不思議なものだ。必要最低限にしか使わないお陰で電池の持ちが良いそれで、明音は『主任』の番号を探す。

――あーもう、何でこんなことに……。

最近嫌なこと続きだ。明音は深い溜息を吐く。ちくちくと小さな刺で突っつかれるような嫌がらせだけでも辟易していたのに、それに加えてこんな実生活に害のある災難が降ってくるなど誰が予想できただろう。
銀行の通帳やカード、身分証明書になりそうなものなどは基本的に持ち歩いていたのが不幸中の幸いだった。元々貯金と言えるだけのお金は持っていないが、流石にあのしょぼい鍵しかついていないアパートに金目のものを起き続けることには一応抵抗があったのだ。

「はい。はい……すいません、ご迷惑かけます。あ、いえ、それは何とか……はい、大丈夫です。はい、はい」

然程夜遅くなかったというだけあり、主任はすぐに電話に出てくれた。事情を説明するとある種明音より動転して少々会話に手間取ったが、こちらから言い出すより先に有休を取らせてくれたのは有り難かった。それも明日からの2日。こんなときでなければ、一足早い冬休みだと喜べたのに。

「あ、ども……はい。じゃあ失礼します」

ようやく通話を終えて向かいの加々知に向き直ると、彼は既に電話まで終えていた。そして明音に向けてスマホの画面を出し、「此処に予約入れましたから」と爪の短い人差し指でそこをとんとんと叩く。

「こんなトコにあったんだ……」
「最近は駅の側なら大体何処にでもあると思いますよ。蘇芳さんの名前で予約しましたから、受付で名前を言えばそのまま案内されます」
「ありがとうございます」

取り敢えず、今日は屋根のある場所で眠れるらしい。明音はほおっと安堵の息を吐いた。正直こんな事態は全く想定していなかったので、野宿すら覚悟していた次第である。と、微苦笑混じりに口にした明音に、加々知は表情の読めない顔で首を傾げる。

「率先してネットカフェを予約しておいてなんですが、孤児院に電話すれば部屋くらい貸して貰えるのでは?」
「あー……まあ、それはそうだと思うんですけど」

尤もと言わずとも、ごもっとも。明音は曖昧に笑って視線を逸らす。

「そりゃ……嫌な顔はしないと思いますよ、神父様もシスターも。でも……」

嫌な顔どころか、きっと酷く心配して貰えるだろう。明音にとって彼らが父母であるように、彼らにとっても明音は娘のひとりだ。大切に思われている自覚くらいは、ある。

「心配かけちゃいますよ……ただでさえ、あそこに居た頃には色々やらかしてますし、私」

今でこそ独り立ちしてそこそこにやっているが、明音は間違いなくあの孤児院でも問題児の部類だった。悪戯もしたし、喧嘩もしたし、サボタージュも家出もした。学校で騒ぎを起こして神父やシスターが学校に呼ばれたことも何度かあったし、そのうちの幾らかでは彼らを本気で悲しませたことも記憶している。
それがようやくまともな職を得て、仕送りという形でも恩を返せるようになったのに……これでは逆戻りどころの騒ぎではない。

「今更面倒かけるの嫌だし……っていうかもう夜だし、もう出てった奴のことでいちいち気を揉ませ……ひひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!?」
「おお、良く伸びる伸びる」

両側から頬を摘まれ、びよーん、ぐりぐり。擬音にするとそんな感じだが、実際かなり痛い。鬼の力だからかそれとも加々知が単純に剛力だからかは分からないが、ひたすら痛い。涙目になるほど痛い。痛すぎる。
明音はくぐもった悲鳴を上げてふりほどこうとするものの、加々知の手は一向に外れない。数少ない客が何だ何だとこちらをチラ見し、そして痴話げんかにも見えるふたりのやりとりを見てすぐさま目を逸らした。

「前々から思ってましたが、蘇芳さんは変なところで馬鹿ですね」
「ば、馬鹿……?」

ギリギリと捻られ続けた頬が1分近く経ってやっと解放された。腫れ上がった頬を摩りながら涙目で聞き返す明音に、加々知はフンと鼻を鳴らす。

「良いですか、まずあれだけの規模の火事であれば明日のニュースで間違いなく取り上げられます。今日、今のうちにこのことを知らないで、朝一番の報道で貴方の住むアパートが全焼したなんて知らせを耳に入れる方が余程不孝というものでしょう」
「う゛っっ」

言われてみなくてもその通り。あまりにも真っ当すぎる意見に、当然ながら明音もぐうの音が出ない。明音はびくりと身体を震わせたが、言い返す言葉もなくしょんぼりとしてしまう。加々知は更にたたみかけた。

「相手が心配をしてくれると確信しているなら、尚更きちんと伝えるべきです。報告・連絡・相談を徹底すべきなのは何も会社だけではないんですよ」
「はい……」
「大体、子供時分にそれほどやんちゃというなら、今更家が火事になった程度で迷惑がるような人たちでもないでしょう」
「仰る通りです……」

淡々と言いたいことを言い放った加々知が、自分の分のコーヒーをずずっと啜る。安っぽい紙コップに入ったコーヒーは既に冷め切っているようだった。

「頼れる相手がいるなら、頼るべきです。それが許される立場であるなら、多少甘えたって地獄でも罰は当たりませんよ」

最後に付け加えられた言葉は小さく、静かな店内であっても少しばかり聞き取りに困るほどだった。案の定「え?」と問い返した明音に加々知は答えず、「良いから早く電話しなさい」と明音に額に手刀を落としたのだった。

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