渡る世間で鬼と逢ひ | ナノ
じけん

「刺草先生……ですか」

明音の言葉を反復した加々知に、動揺は見受けられなかった。ただ何か思うところはあったようで、呟きには何処か噛み締めるような響きがあった気がしていた。

「その事件が起きるまでは、うちの学校、教師と事務員はそこまで仲悪くなかったらしいんですよ。事務員で当時からいるのは主任と、あと枕木さんくらいですね。だからお2人のどっちかに聞く方が多分色々分かると思いますけど……」
「客観性に欠けるので最初に聞くのは遠慮したいですね」
「ですよねー」

おばちゃん事務員代表の枕木は言わずもがな、主任も枕木達ほどあからさまではないが、教員達への敵愾心らしいものがある。正直明音も彼らの影響を受けていないとはいえないのだが、若い分まだ他の年若い教員達とはそれなりに付き合いが出来ていた。

「えーとですね、正確に言うと確か……8年前だったかな? うちの学校で盗難騒ぎがあったらしいんです。盗まれたのは当時何処かの学年で徴収してた副教材だか何だかの雑費で、一人頭分もそんなに高くないものだったらしいんですけど」

それでも盗難は盗難。しかし発生したのは学校ということで、なるべく内々で片付けようということになったらしい。被害額としては5万程度だったらしいが、それでも保護者への説明より警察への連絡より先に「身内で犯人を捜してこっそり処理しよう」となったあたり、社会の汚さが透けて見えるというものである。
まあ、そんなことはさておくとして。

「で、そこで例えば当事者の教師とかがこっそり補填するって話になったならまだ良かったんですけど……」
「犯人捜しでも始めたんですか?」
「Exactly(その通りでございます)」

実際にその『犯人捜し』がどのように行われたのか、明音は当然具体的なことは知らない。だが素人が警察のような捜査を行える筈もないので、ありがちな状況証拠を集めることに終始したのだろう。
そしてその状況証拠であぶり出した犯人というのが、当時20歳、つまり明音と同い年だった新米の事務員だった。

「その事務員は短大卒の女性で、社会人一年目だったそうです。集めた雑費が盗まれたのは教室で、担任も生徒も体育の授業でいなかった時間帯だったらしいですね」
「そもそも何故その集めた雑費を鍵もかけられない教室に放置したんですか?」
「私に聞かれても困りますよそんなん」

ただまあ、加々知のその科白には明音も全面同意するところである。

「とにかくですね、盗まれたその時間帯、その教室に、その新卒事務員が入ったのを見たって人がいたんです。その目撃者が刺草先生だったんですね」

刺草はまだそのとき今の学校に来て短かったが、それでも教師としてのキャリアはそこそこだった。おまけにあの性格は事務員だけでなく教員にも遺憾なく発揮され、あまり強気な者のいなかった当時からかなり発言権があったらしい。ちなみに当初の主任や枕木は「嫌味な先生」という印象を抱いていたものの、そこまで毛嫌いしてもいなかったそうだ。

「刺草先生はもう本当完璧にその事務員が犯人だって決めつけてて、それで他の先生達も刺草先生に押される形でその事務員を犯人扱いしちゃったらしいんです。主任や枕木さんは『そんな筈無い』ってかなり庇ったって聞いてます」

若い事務員は気立ても良く明るく、それこそ年上ばかりの職場では随分可愛がられていたらしい。そして仕事も出来たそうだ。

「本人も否定したみたいです。でも刺草先生が見たって言って聞かないし、何よりその事務員さん、母子家庭出身であんまり経済的な余裕もなかったらしいんですよね。そういう事情もあって、とにかく無くなったお金は彼女が負担することになっちゃったらしいんです」

だがしかし、身に覚えの無い犯罪の犯人に仕立て上げられ、更には金まで払わされるとはどれほどの屈辱と負担だっただろう。かなりキツイ態度で尋問されたそうだが、彼女はそれでも一歩たりとも引かなかったそうだ。勿論話し合いは数日から数週間にわたり、その間も出勤していた彼女は、刺草を始めとする教師陣から凄まじい嫌がらせを受けたらしい。

「内容としてはテンプレ的なものだったそうです。靴を隠すとか私物をゴミ箱に捨てるとか、まあなんか小学生の虐めかって感じですけど」
「虐めなんぞする人間の精神年齢なんて小学生以下に決まってますからね」
「言いますね加々知さん。概ね同意しますけど」

喋り続けると喉が渇く。お互いに何となく熱燗を注ぎあい、同時にぐびりと呑み下した。

「ええと。で、彼女は結局お金は払ったそうです。それが無いと生徒の授業も進まないし、でもそうすると『やっぱりお前が犯人だったんだな』みたいな空気がますます出来ちゃうんですよね。虐めがそこから更に凄くなって、主任達が庇っても本当焼け石に水状態だったみたいです。それでとうとう……」
「自殺ですか」
「はい」

結局、その女性事務員は学校で自ら命を絶った。教員の虐めに耐えかねたのか、それとも死でもって自らの潔白を晴らそうとしたのかは分からない。彼女は遺書を残さなかったそうだ。残したも仕方ないと思ったのかも知れない。
彼女の喪主を務めたのは主任だったと聞いている。母子家庭だったその事務員の母親は、彼女が就職して間もなく病で亡くなってしまったらしい。離婚して家を出た父親の居場所は掴めなかったため、上司として主任が自ら名乗りを上げたと聞いている。
教員は副校長(当時は教頭だが)が代表で出たが、それ以外は誰も出席しなかったそうだ。

「まあ、そんな感じです。元々そこまで仲良くなかったんですけど、そこから先生方と事務員側の仲の悪さが決定的になったんですね」

今となっては8年も前のことだが、それでも当事者だった刺草が教員側にいるし、当時を知る主任と枕木も残っている。故に対立模様は今になっても続いているし、正直今の話を聞いてしまうと、事務員側の人間としてはあまり進んで教員と仲良くはなりたくない。

「まあ、仕事ですからそこは割り切りますけどね。虐めの空気って色んな意味で抗いがたいってのは分かりますし。胸くそ悪いけど」
「蘇芳さんどちらかというといじめられっ子ですよね」
「そりゃあそうですよ。親無しですし。やられっぱなしでも無かったから友達もいましたけどね」

明音は元々気の弱い方ではない。そうであったなら中学時代に堂々と学校をサボタージュしてゲームセンターに入り浸ったりはしなかっただろう。上履きに画鋲を入れる悪戯を繰り返していたクラスメートを捕まえ、渾身の右ストレートをかましてやったことは鮮明に覚えている。

「ただまあ、学校の先生が母の日に『お母さんのいない蘇芳さんはこっちね』なんて笑顔で白いカーネーション渡してきたときは軽く殺意が芽生えましたけど」
「……すみません。蘇芳さんの世代にそんな時代錯誤なことをする教師がいたことにまず驚きました」
「私もびっくりしました。幸いPTAが問題視してくれてその先生翌年には別の学校に飛ばされましたけど」
「飛ばされた先の学校は良い迷惑ですね」

それは確かに。

「とはいえ、やはりこの世もあの世も変わりませんね。自分の力でどうしようもないことを嘲って何が楽しいのか」

やれやれと首を横に振る加々知だが、その声色は何処かやりきれないような、虚しさのようなものが滲んでいるようだった。そういえば彼も孤児だと言っていたなと、明音は今更ながらに思い出す。きっと今こうして堂々としている彼も、みなしごと言われて苦労した時代があったのだろう。
……勿論、明音以上に彼が言われっぱなしだった訳が無いが。

「……」
「? 加々知さん?」

徐に屋内への扉を見やった加々知。その不自然な視線の向け方に首を傾げると、彼は「いえ」と軽くかぶりを振った。

「注文の残りがまだ来ないなと思いまして」
「え? あ、ホントだ。塩辛とエイヒレまだ来てない! あと唐揚げ!」

今気づいたと声を張る明音。「うるさいですよ」と加々知が冷たい眼を向けてくるが、明音にとっては塩辛とエイヒレが無いと酒を飲んだという気がしないのだから仕方ない。唐揚げはあくまでオマケだ。

「お待たせしました、お時間かかってすみません」

そんな明音の叫びを聞き届けたかのように、何とも絶妙なタイミングで店のマスターが料理を運んでくる。小鉢に盛られたイカの塩辛と、平皿のエイヒレ、それから唐揚げ。
苦笑を浮かべて遅くなった旨を謝罪するマスターへ向けられた、加々知の訝るような視線。あからさまはなかったそれに、食べ物に気を取られた明音が気づくことは幸か不幸か無かったのだった。

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