渡る世間で鬼と逢ひ | ナノ
おくがい

何やかんやで掃除を終わらせた明音達は、これ以上余計な用事を言いつけられないうちにさっさと退散することにした。但し家に真っ直ぐ帰ることはなく、加々知との約束に従って帰宅ルートを少し外れた道を歩く。

「蘇芳さん、此処は確か……」

当たり障りの無い話題で場を持たせながらやってきたのは、先日の歓迎会で使ったカフェバー『Pomegranate』だった。個人経営の店であることに加え、カウンターやテーブル席しかなさそうな広さである。

「言いたいことは分かりますけど大丈夫ですよ。こんにちはー」

「お前人の言ったこと聞いてたのか」と言わんばかりに渋面を作った加々知をさらりと流し(たまには良いだろうと思っている)、明音は店の扉を開けた。ドアベルがちりんちりんと軽い音を立てる。

「いらっしゃいませ」

先日もいたアルバイトの青年に会釈を返す。テーブル席に案内しようとした彼を制した明音は、「上空いてません?」と小声で尋ねた。まだ客入りはそこまで多くないものの、手前のテーブルには女性客が数人既に居座っていた。

「えーと、少々お待ちください」

少し驚いた顔をした青年が、営業スマイルを戸惑い顔に変えて厨房へと引っ込んでいく。そしてすぐに戻ってくると、やはり先ほどの明音と同じく小声で「どうぞ」と手で店の奥を指した。

「場所は分かりますか?」
「大丈夫です。加々知さん、こっち」

こっち、と明音が先導したのは店の外だった。首を傾げつつも加々知が無言で後を追ってくるのを確認した明音は、店を出てすぐ、向かった右側に設置された階段をそろそろと上っていく。階段は屋上、というか広めのベランダのような場所に繋がっており、そこには店の中に設置されていたテーブルと椅子、それから点灯していないアンティーク調のランプが設置されていた。

「個室じゃないですけど、誰もいないし此処なら大丈夫ですよね?」
「……まあ、そうですね」

少々面食らった様子の加々知に、明音は少しだけ満足した。人に聞かれないで話が出来る場所、という条件を提示された明音が、真っ先に思いついたのが此処である。加々知の意表を突けたということが、何だか物凄く楽しい。溜飲を下げた、という言葉が一番近いのかも知れなかった。

「此処好きなんですよ、眺め良いし、実は主任も知らないから誰も来る心配ないし」
「そうなんですか?」

加々知の細い目が少し見開かれた。明音は笑いながらひとつ頷く。

「ほら、此処料理美味しいしお酒も多いけど、うちの職場の人みんなが知ってるじゃないですか。だから『たまには此処でも1人だけで飲みたいー』みたいなこと言ったら、次来たときにマスターがこうして席作ってくれて」
「明音ちゃんにはいつもご贔屓にして貰ってるからね」
「あ、マスターこんばんはー」

いつの間にかやってきていたらしい『Pomegranate』のマスターが、2人分のお茶(温かい緑茶だ)の入った湯呑みを持ってやってきていた。建物内部へと繋がる扉を開けてやってきたところを見るに、どうやら内部にも此処に繋がる階段があるらしい。

「だからまあ、主任にも枕木さん達にも内緒なんです。加々知さんも言わないでくださいね。此処で1人飲みするってとこに意義があるんで」
「若い娘がいっぱしの飲んべえのようなことを……」
「飲んべえですもん。あ、言っておきますけど未成年時代はお猪口一杯たりとも飲んでませんからね、念のため」
「そうですか。まあ裁判で分かることですけどね」
「嘘じゃないですよ!」

酒と煙草とクスリはしてません! 煙草とクスリは今も! ぎゃーっと大声を上げた明音を、加々知は「喧しい」とたった一言で切り捨てる。そして何だか微笑ましいような苦いような複雑そうな顔をしていたマスターに、「取り敢えず熱燗2つ」とオーダーを出した。

「蘇芳さん、食事のご希望は?」
「イカの塩辛とエイヒレは鉄板なんでそれで」
「つまみじゃなくて夕食を選びなさい」
「えー……じゃあ、唐揚げで」
「えーじゃありません。それと海草サラダとホッケをお願いします」
「はい、畏まりました」

にこやかに去って行くマスターを見送り、2人でまずはお茶をすする。12月に入ったとはいえ今年はまだ気温が例年に比べ高く、ダウンジャケットなどが必須になるほどの寒さではない。これから酒で身体を温めるということもあり、寒空の下で飲み食いをするということに、特に抵抗は生まれなかった。

「随分親しいんですね」
「え?」
「此処の主人とです」

もっともと言えばもっともな加々知の言葉。明音は「あー」と視線を余所にやった。そもそも明音がこの店を知ったのは主任の紹介で、その主任にも知らされていないこの席を明音が知っているというのは――別に疚しいことは何もないとはいえ――確かに不自然ではある。……かも知れない。

「確かに付き合い自体は短いですけど……私多分主任よりもこの店来てますから、多分それでだと思いますよ。週1か……最低でも2週間に1回くらいは来てますもん。主任は他にも行きつけ一杯ありますし、お酒もそこまで強くないですからね」
「ほう」

ずず、と湯呑みを啜る鬼灯には妙な貫禄があった。その鋭い目が言葉の裏の裏まで探ろうとするかのように、じいっと明音の目を見ている。何だかきまりが悪かったが、此処で目を逸らしたら負けるような気がした明音は、逆に何だコノヤロウと言わんばかりに加々知の目を見返した。

「はい、熱燗と、これお通しね。あと、こっちはちょっとサービス」

何とも絶妙なタイミングで戻ってきた店主が、湯気の立つ銚子とお猪口、それから幾つかの皿をテーブルに並べる。サービス、と言って出されたのは揚げたてのフライドポテトで、ケチャップとマヨネーズが添えられていた。

「わっ、やった。有り難うございます!」

顰めっ面をほどいて明音が微笑むと、初老のマスターはにこりと笑みを返してまた戻っていった。相変わらず優しい人だ。明音はご機嫌でポテトを摘んだ。揚げたては美味しい。

「やっぱり仲が良いですね」
「まあ……っていうか何か疑ってます? 言っておきますけど昼ドラみたいな下品な関係性はこれっぽっちもないですよ」
「それはそうでしょうね」
「どういう意味ですか」

きっぱりとそう言い切られては、逆に複雑なものが出てくる。明音は折角マスターの親切と、ポテトの美味さでほぐれていた表情筋を再び強張らせた。

「てか加々知さん、話があるから今日誘ったんですよね? そろそろ本題入りません?」

十中八九飯の美味くなる話題ではないだろうが、何も聞かず食事だけ堪能することなど多分出来まい。互いのお猪口に熱燗を注ぎ、おざなりに「乾杯」をして口を付ける。
温められたアルコールが身体をぽかぽかと温めるが、心の何処かは浮つくことがなかった。

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