渡る世間で鬼と逢ひ | ナノ
ほうかご

多くの公立学校の例に漏れず、明音の働くこの小学校にも所謂『校庭開放』の時間がある。昨今の安全管理問題から以前よりは閉鎖的になったものの、都心からやや外れた場所にあるこの学校では、毎日割と多くの生徒達が放課後を此処で楽しんでいた。

『間もなく4時半になります。校内に居る生徒の皆さんは帰り支度を始めましょう。帰宅するときは家の近い友達となるべく一緒に、車や知らない人に気をつけて帰りましょう』

この学校では、校庭開放終了の放送は事務員が行う。放送が終わればすぐに外に出て、まだ遊ぼうとしぶとく遊具にしがみついたり隠れたりする子供達を追い立てにかかるのだ。

「こーら、早く帰んなさい!」
「はーい!」
「蘇芳さん、さよーならー!」
「さよならー!」

10名弱いる事務員達の中で、明音の立ち位置はほんの少し特異だ。というのも、自分達の担任や音楽などの特定の教科を担当する教員の名前くらいしか覚えないだろう学校の生徒達も、『蘇芳さん』つまり明音を知っているという場合が結構あるからだ。

「はい、さよなら。また明日ね」

幼い頃から院で幼い弟妹(勿論血は繋がっていないが)の面倒を見ていた明音は、事務員になって以来積極的に生徒達に関わってきた。他の教員や事務員の多くよりも年齢が彼らに近いこともあって、明音は彼らの間で「年の離れた姉」のような地位を確立しているらしい。自分達の担任や特定の教科担当の教員しか覚えていなくとも、『蘇芳さん』の名前は知っている、という生徒は、実のところ結構いるのである。

「待てそこの3年生! ボールは使ったらちゃんと戻す!」
「げっ! 見つかった!」

そして明音もまた、比較的よく会話をする生徒や、わざわざ自己紹介をしてくれた生徒の名前と顔と学年は全て一致させている。自分をきちんと個として認識してくれる相手がいるというのは、大抵の人間にとって嬉しいものだ。子供も大人も、大して差は無い。

「逃げろ!!」
「待たんかこら!」

ランドセルを背負って逃げようとする子供達のうち、1人を掴んで捕まえる。そうすると3人でいた彼らは、残った1人を犠牲にはせずつられて立ち止まる。こういう些細な気遣いというか、友情らしいものが、明音にとってはとても愛おしいのだ。

「ちょーっと片付けるだけでしょうが。ほら、自分でやる!」
「はーい……」

院の子供とは違い、余所の子供である彼らの小生意気な口調に手を上げるわけにはいかない。昨今の教育委員会やPTAは体罰に厳しいのである。本当ならこうしてランドセルを掴む行為すら怪しいかも知れない。ので、早々に子供達が逃走を諦めたことを確認した明音は、その手をさっさと離して放置されたボールを指さした。

「蘇芳さん鬼婆みてえ」
「誰が鬼婆だこんにゃろう」

この程度の捨て科白など可愛いものだ。加々知曰く『悪口は地獄行き』らしいが、こんな憎まれ口でまさかこの子達が地獄に落ちるなんてことは無いだろう。もし落ちるというのなら、全力で抗議してやるところだ。

「誰が誰に抗議するんですか?」
「そりゃあ私が加々知さん、にぃいい!?」
「煩いですよ、蘇芳さん」

誰のせいだ!! と、怒鳴るのをすんでの所で押しとどめる。いつの間にか背後に立っていた加々知は、何故かその手に2本の竹箒とちりとりを持っていた。

「どうぞ」
「? 何です、これ」
「箒です。見れば分かると思いますが……大丈夫ですか?」
「心底『箒も知らんのかこのアホは』みたいな声出さないでくださいよ! そうじゃなくて! なんで私がこれ渡されんのかってことです!」
「掃除するからに決まってるでしょう」
「……何処を?」
「校庭です」

きっぱり言い放つ加々知の言葉に促され、明音はぐるりと校庭を見回した。既に12月に入ったこの時期、紅葉なんてものはほぼ散ってしまって、毎朝の主事さん達の掃除で殆ど片付けられてしまっている。明音の周辺にも、わざわざ今掃き掃除をしてまで取り除くようなゴミは見当たらない。

「刺草先生からの指示です。『子供と暇潰しをしているようだから掃除でも言いつけておいて』だそうで」
「あんのオバハン……!」

ふん、と鼻を鳴らした刺草の顔を思わず思い浮かべてしまった明音は、酷く憎々しげな声を絞り出した。しかし、刺草に下らない用事や雑用を言いつけられるのは今に始まったことではないので、すぐに諦めて箒を受け取る。

「蘇芳さんばいばーい」
「おー。ばいばい。気をつけて帰るんだよー」
「蘇芳さーん、その人だれー?」
「かれしー?」
「違いまーす。はいさっさと帰りましょー」

がっくりと肩を落としつつ、いつの間にかボールを片付けていたらしい3年生の子供達を見送る。秋分の日を境に、この学校の校庭開放は4時半までとなる。つまり今はまだ5時前なのだが、それでも周囲は既に薄暗い。完全に日が落ちる前に、彼らが帰り着くと良いのだが。
……と、真面目に心配していた明音の耳を、加々知の長い指が不意に引っ張り上げた。

「あいたあ!?」
「何をぼけっとしてるんですか。さっさと片付けますよ」
「……へーい」

全く、仮にも女になんという暴力を振るうんだ。思わずジト目になってしまうものの、加々知のダメージは今日も今日とてゼロである。黙って箒を動かし始めた加々知に倣い、明音も仕方なく、校庭の外側に敷かれた煉瓦の石畳の上を掃き始めた。

「意外と砂埃溜まってますね」
「風も強い季節になりましたからね」
「あーそっか。朝だけじゃ足りないってことか」
「子供はこんなこと気にしないでしょうけどね」
「でも年末は来賓多いですからねー。片付けとくに越したことないか」

無理矢理作って押しつけられた雑用だが、やってみればそれなりに意義があるらしい。取り敢えずあの煩い刺草の指示だということを、明音は一時忘れることにした。ざ、ざ、と些か乱暴に箒を動かしていた明音は、しかしふと思い当たった事実に顔を上げる。

「ていうか、なんで加々知さんも掃除してるんですか?」

加々知の伝えた刺草の伝言は、明らかに明音1人に向けられたものだ。加々知があまりにも自然に付き合ってくれているので逆に違和感を持てなかったが、本当なら加々知はもう帰宅していても何の問題もない筈である。

「私の厚意を無碍にすると。成る程わかりまし……」
「してませんよ! 純粋な疑問じゃ無いですか!」

なんで帰る方向になるんだ。慌てて加々知の着込んでいるダッフルコートを掴んだ明音。加々知はひょい、と肩を竦めた。

「別に問題無いでしょう。手伝っては駄目だとは言われてませんから」
「それはそーでしょうけど……」
「細かいことをいちいち突っ込むもんじゃありません。何なら帰りますけど」
「手伝ってくださいお願いします」

何だかんだで校庭は広い。逃がして堪るかと明音は即答する。加々知はあっさり「構いませんよ」と頷いた。

「その代わりと言ってはなんですが、蘇芳さん。この後ちょっとつきあえますか」
「……何処にですか?」
「何処でも良いですよ。出来れば個室のある居酒屋などが好ましいですね」

聞きたいことがあるんです。と、真面目な顔と声(あんまり普段と雰囲気は変わらないが)で言う加々知に、否やとは言えない。内容に心当たりの無い明音は内心首を傾げたものの、取り敢えずこくりと頷いたのだった。

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