渡る世間で鬼と逢ひ | ナノ
ぜんちょう

土曜日が終わり、日曜日が過ぎ、月曜日になると同時に月も変わった。11月の次。1年の最後である12月である。気持ちよく年明けを迎えられるようにと、教師も更に忙しくし始める。成績表も付けなければならないし、テストの作成や採点もある。授業の遅れがあるクラスは、それを補うために追加の宿題や時間割の調整が必要。それに加えて面談や参観日も入ってくるし、6年生の担任などは中学受験対策も追加されるのでもっと大変だ。
教師が忙しくなれば、事務員も忙しくなる。ベテランだろうと主任だろうと、そして勤続3年目、まだペーペーに毛が生えた程度の明音であっても、それは全く同じことだった。

「複合機まだ空かないの?」
「ごめんねー、ちょっと待ってて」
「あら? 此処にあったプリントは?」
「さっき持っていきました。それより枕木さん、こっちの書類、此処誤字ってますよ」
「やだ! ごめんなさい今手が離せないの。直しといて!」
「了解でーす。あ、主任、此処判子お願いしまーす……っていないし。何処行った?」
「トイレ休憩と称した一服に行きましたよ」
「あンのオッサン!」

連れ戻しに行ったらどうですか? などと涼しい顔で加々知は言うが、「そんな暇ないんでいいです」と明音は主任の机のど真ん中に書類を置く。普段はノートPCとペン立て、それからカレンダーくらいしか置かれていない彼の机は、今や様々な学年関連の様々な書類で埋め尽くされている。

「ったくもう、酒飲みの上に煙草まで吸うなんてどんだけ寿命縮める気なんですかね」
「酒の量に関しては蘇芳さんの方が5倍くらいヤバイと思いますけどね」
「私煙草は吸いませんもーん」
「『もん』とかやめてください。いい年して気色悪いですよ」
「うっわ傷つく。っつーか加々知さん、先週より更に私に遠慮無くなってません?」
「おや、気づきましたか」

いけしゃあしゃあとした加々知に何か反論しようとは試みるものの、口では絶対に勝てないのはこの1週間で嫌と言うほど学習済みである。反論の代わりに溜息を吐き、明音はデスクに座り直す。

「加々知さんの性悪」
「ほう、では来週の土日はもう手伝いに行かなくてよいと」
「私が悪うございました」

それを言われたらもう何も反論出来ない。明音は即座に謝罪した。レモン汁に付けた青色のリトマス試験紙もびっくりの変貌ぶりである。
というのも、加々知に手伝って貰ったお陰で、実家である教会の雑務は驚くほどスムーズ且つ楽に終わったのだ。
元々の事務処理能力に加えて、誰とでもそつなく(そうしよう、と思った相手にしかしないようだが)話が出来る彼は、日曜に礼拝にやってくる信者達のハートを、もうがっちりと掴んだ。家事も出来るため夕飯作りに掃除、果ては割れてしまった窓ガラスの応急処置までやってくれて、体力のない神父やシスターは彼に感謝しきりだったくらいだ。
更に体力があり力持ち、無表情だが話題の引き出しも豊富(ジョークなのか本気なのか分からない黒い話を時々し出すが)な加々知に、やんちゃな悪ガキも大人しい子供も皆懐いてしまった。

「ほーずき兄ちゃんまた来る? なあ、また来る?」

と、最初に加々知に抱き上げられた悪ガキその1が、ぐいぐいと彼の袖を引っ張りながら加々知の再訪の約束取り付けようとした光景は、多分暫く語りぐさになるだろう。
自分で頼んでおいて何だが、明音は普段よりぐっと体力を残して終えることが出来た土日を振り返り、胃の痛みと神経のすり減りを引き替えに加々知の手伝いを乞うた自分の英断に感謝した。それはもう。
難点があったとすれば、あまりに子供達が加々知に懐くものだから、明音の方が若干寂しい思いをしたこと。それから、今まで以上に加々知に頭が上がらなくなったことだろう。

「明音ちゃーん! トナーの予備が無いんだけどー!?」
「え!?」

複合機の前で、何度やってもぎこちなく操作をしていた山一が、大声で明音を呼ぶ。その内容にぎょっと目を剥いた明音は、複合機の横の段ボールが空っぽであることに更に目を剥いた。

「嘘!?」

そんな馬鹿な、と言わんばかりに悲鳴を上げる明音。確かにここのところ忙しかったが、確かにトナーはまだ余裕があった筈なのに。

「……ってそうだ。資料室においたんだった」

あまり広くない事務室で邪魔になるからという理由で、必要最低限を残して人の出入りが少ない資料室に置いておくことにしたということを思い出す。取りに行ってきます、と事務用品担当の明音が言えば、意外にも(?)加々知が「私も行きます」と名乗り出てきた。

「え、加々知さんも?」
「増岡先生が授業で使う世界地図が必要なんです。それにトナーの箱を貴方1人が抱えるのは大変でしょう」
「や。別にあのくらいは慣れてるし……あいた!」
「人の厚意は素直に受け取りなさい」

ぴん、とデコピンを食らって額を押さえる明音。横で一部始終を見ていた山一が「いちゃついてないで早く行ってきて頂戴よー」と茶々を入れてきた。明音はあからさまに顔色を変えた。

「何処をどう見たらいちゃついて見えるんですか!?」
「何処からどう見てもいちゃついてるわよ。いいわねー、あたしも昔は旦那とそんな感じだったわー」

クリスマスは久々にデートでもしようかしら。などとうきうきし始めた山一に、「それまでに仕事の目処が付くと良いですね」と、加々知は釘を刺すことを忘れなかった。

「資料室は1階の方ですよね?」
「勿論。流石に3階まで毎回あがるのキッツイんで」

生徒達に咎められないよう(今は授業中だが)早歩きで廊下を進む。事務室を出て廊下を右に歩けば、トイレと2階への階段、そして職員室を経て目的の資料室がある。ちなみに職員室の向かいは給食室なので、この時間から早くも良い匂いが漂ってきていた。

「うわめっちゃ良い匂い……今日カレーだ。やった」
「この学校のカレーは辛くないから良いですね」
「子供の舌に合わせますからね。ていうか、加々知さん辛いの駄目なんだ?」
「……まあ」
「へー! すっごい意外。加々知さんお酒すっごい飲むのに」
「別にどうでも良いでしょう。というか先ほども言いましたが、飲酒に関しては蘇芳さんも人間の割に大概ですよ」
「え。私辛いの平気ですしーってあだだだ!?」
「辛いものが平気というだけでどや顔する何処かの白豚2号の口はこれですか?」
「ひほふはっへはんへふは!?」

白豚って何ですか!? と言いたかったのだが、ぎりりと片方の頬を抓られている状態では言葉は全く不明瞭な音声にしかならなかった。ふがふがと抵抗する明音の頬を、「おや思ったより伸びますね」と抓り続ける鬼灯は微妙に良い顔をしている気がする。分かっていたことだが、彼は大概ドSだ。

「ちょっと貴方達!」

ようやく離して貰った、少しばかり赤くひりついた頬を摩る明音が文句を言おうと口を開いたその瞬間だった。『刺々しい』という言葉をそのまま表したような声が、騒がしかった(原因は明音と加々知しかいないが)廊下に響き渡る。

「一体何を騒いでるの? さっきから職員室前で煩いんだけど」

片手を腰に当て、微妙に仰け反ってこちらを睨め付けてくる1人の壮年女性。つり上がったその眼光と威圧的な表情に、明音は口の中で「げっ」と呻いた。

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