渡る世間で鬼と逢ひ | ナノ
げんち

子供の体力は無尽蔵だ。おまけにその数が多いと、元気やはしゃぎっぷりは、かけ算どころか累乗されると言って差し支えはないだろう。大人が子供の気が済むまで付き合ってやるというのは、とても疲れることなのだ。……その筈なのだが、

「加々知さん全っ然顔色変わってないですね……」

纏わり付いてきていた子供達からやっと解放された明音が、ぐったりげっそりとした顔で言う。ぜーはーと乱れた呼吸を何とか整えようとしている彼女に対し、加々知の方はと言えば先程までと全く変化が無い。顔色もいつも通りだし、汗の一つもかいておらず、ついでにいうなら呼吸も乱れていない。

「ええまあ。この程度の力仕事でしたら何でもないですよ。普段振り回してる金棒の方が余程重いくらいです」
「……金棒」

金棒というと、アレか。よくデフォルメされた絵本やアニメの鬼が持っている、黒くて刺のついた金属バットみたいなやつ。『鬼に金棒』なんて言葉は、確かに比較的良く聞くことわざではあるが。

「鬼ってマジで金棒持ってんですか?」
「普通の一般的な鬼は持ってないことの方が多いですね。獄卒は大体持ってます。支給品でもありますから」
「それはアレですか。呵責的な意味で」
「そうですね。やはり基本です」
「へぇー」

ちなみに、先程まで散々明音達に纏わり付いていた子供達は、加々知の「学校の宿題は終わったんですか?」の一言で、蜘蛛の子を散らすように逃げていってしまった。中にはまだ就学していない年齢の子供もいるのだが、年長者につられてしまったらしい。取り敢えず明音も「宿題はしろよ」とは思っているので、これから活を入れに行く予定だ。

「明音」
「あ、神父様」

院の方に向かおうとしていた明音達に、逆に院の方から出てきた神父が緩く頭を下げた。儀式用のガウンやストール、マントを取り払い、裾の長い黒い学生服のような普段着姿になっている。勿論、この場合の『普段着』は神父としての普段着であるが。

「お出かけですか?」
「ええ、これから研修に。申し訳ありませんが、いつも通りお願いして宜しいですか?」
「勿論。つか、何のために週末こうして帰ってきてると思ってんですか」

それより気をつけて行ってくださいよ。外寒いし。ぱたぱたと気安い仕草で明音が手を振れば、神父はハの字に眉を下げて苦笑を浮かべる。

「有り難う、明音。貴方は本当に優しい子だ」
「……大袈裟な」

むっつりと眉間に皺を寄せる明音だが、その耳が仄かに赤く染まっている。目敏い神父は当然それに気づいているだろうが、照れ隠しに顔を顰める『子供』をこれ以上追い詰めたりはしない。笑顔のまま後ろの加々知に目礼し、そのまま建物を出て行った。

「研修、ですか」
「え? ああ、そうですよ。割と多いです」

院への建物に繋がる廊下を歩く。今頃は大部屋に机を並べた子供達が宿題に取りかかっている筈だが、集中力の無い一部の子供が遊びに走っていても可笑しくない。シスターはまだ雑事が残っているだろうから、そこを見張るのは昔から明音や他の手伝い役の仕事だった。

「神父様って寧ろ平日の方が忙しいんですよ。大体予定がぎっちりで、だから平日アポ無しで来られてもいないことの方が多いくらいで」
「ああ、そうらしいですね。懺悔だとか信徒の方の相談にも乗るんでしょう?」
「そうそう。あとは身体が悪くて教会来られない信徒さん見舞ったりとか。だから寧ろ1日2回か3回はミサやる日曜の方が身体が空くんです。宗教者って大変ですよ」

キリスト教徒ではない人々には意外と誤解されているが、ミサというのは何も日曜日だけに行うものではない。寧ろ毎日行われる。単に日曜日のミサが『主日のミサ』として最も重要視されているだけだ。

「そういえば、懺悔室で犯罪を告発されても警察には通報しないそうですね」
「ああ、そうらしいですね。神父様もシスターも懺悔の話は絶対しないから、よく知りませんけど」
「まあそうでしょうね。口が固くなければ聖職者なんて出来ないでしょうし」
「ついでに我慢強くないとですよ。私みたいな信心の欠片も無い糞ガキも見捨てない人たちなんですから……と、そうだ加々知さん、ちょっと聞きたいんですけど」
「何でしょう」

院の1階にある大広間向かっていた足をぴたりと止めて、明音は加々知を振り返った。

「加々知さん、1ヶ月はうちの職場にいるんですよね。その間土日の予定ってどうなってますか? あ、祝日もだけど」
「……一応私の采配次第になってますが、何か?」
「や、単純に暇な休日あったらまた手伝いに来てくんないかなーと」

孤児院は力仕事が多い。土曜はこの通りだし、日曜は普通の信徒がミサに来るから別の忙しさもプラスされる。神父もシスターも決して若くはないから、平然としてはいてもあまり無理をさせたくないのだ。
日曜は明音の他の孤児院出身者もある程度は手伝いに来ることが多いのだが、公務員である明音ほどコンスタントには助太刀に来られない。そこに、臨時とは言え同じ職場にやってきた男手。しかも力仕事に関しては申し分が無いとくれば、逃す手は無い。たとえ正体が人間でなくても、である。
……正直、明音も成人した女性であるので、あまり肩や腰に力の要ることは避けたいのだ。実際今も地味に腰が痛い。

「構いませんよ」

明音のそんな魂胆を、加々知は当然見抜いていただろう。その上で実にあっさりと、明音にとって大層都合の良い返答をしてくれた。

「マジですか。え? ホントに?」
「ええ。勿論毎回朝から夜までとは行きませんので、それでも構わなければですが」
「いやいや、それで全然大丈夫です助かります!」

いよっしゃあ男手ゲット! とガッツポーズをかます明音。これから年末にかけてクリスマスもあり、学校は勿論教会もどんどん忙しくなるのだ。特にクリスマスイヴとクリスマスは、普段あまり教会に来ない信者達も思い出したようにやってくる。普段はやらない行事も入ってくるので、兎に角大変なのだ。
加々知が事務員契約を結んでいるのは12月27日まで。つまりはクリスマスも手伝って貰える公算が出てきたということ。これを喜ばずして何を喜ぼう。たとえ普段から物騒で会話する度に大なり小なり神経を削られようとも、純粋に労力が減ることは素晴らしい。

「くおら何騒いでんの、全員さっさと勉強しろー!」

きゃあきゃあとはしゃぐ声が聞こえてきていた大広間の扉を勢いよく開ければ、やはり予想通りと言おうか、当たり前のように遊び道具を引っ張り出していた子供が殆ど。数名は大人しく宿題を広げていたようで、勢い込んで乱入した明音を見てあからさまにほっとした顔を浮かべている。

「そこのあんたら座れ! せめて宿題ぐらいやれっつってんでしょーが!」
「うっせー! 宿題なんてやんなくても死なねーもん!」
「そーだそーだ!!」
「死ななくても恥は晒す! 手始めにお前らの通知表引っ張り出して音読してやる!」
「ギャー!!」
「明音ねーちゃんの鬼ー!!」
「うっさい実際の鬼はこんなもんじゃねーわ!!」

などと、文字通り実際の鬼を背にして叫ぶ明音。妙に切実な響きを持った怒号に聡い子供数名が首を傾げたが、当然その真意が分かるはずもなかった。

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