渡る世間で鬼と逢ひ | ナノ
せいか

「別に、本当に嫌ってわけじゃないんですよ」

じゃぶじゃぶ音をさせて、物凄い数の食器を次々に洗っていく。その間にお湯が沸いたので、一度手を洗ってお茶を煎れた。ごく普通の煎茶を湯呑みに注ぎ、普段は子供達が食事に使っているテーブルに置く。
杜撰と言えばまあ杜撰なもてなしだが、加々知は特に文句を言わなかった。「有り難うございます」と事務的な礼を言い、大して美味くも不味くも無いだろう茶をすする。ちなみに茶菓子は無い。

「此処は教会ですしね、神様が嫌いってわけでもないです。ただまあ、祈ってる時間があるなら他のことしたいなって思うんですよね」

まあ、不信心ですけど。などと付け加えつつ、手際よく洗剤を付けたスポンジで食器を洗っていく明音。普段は家事など必要最低限しかしないが、元々この院で育った彼女は、こういう後片付けや掃除には慣れていた。

「それで礼拝をすっぽかしてたんですか?」
「そうですね。さっきは否定したけど、じっとしてたく無かったんですよ。それより遊びたいとか、宿題終わらせたいとか、そういう方が勝ってました。今もですけど」
「ああ、それはさっきのやりとりでよく分かりました」
「……でしょーね」

落ち着きが無い子だったんですね、蘇芳さん。と、何やらしみじみ言われてしまった。敢えて否定はしないが、何だか釈然としない明音である。

「そういう加々知さんだって、今みたいに落ち着いてはいなかったんじゃないですか?」

意趣返しにでもなればと、片眼を眇め尋ね返す。自分でも意地が悪い質問だと思ったが、これで相手が少しでも動揺すれば儲けものだと思った。
が、そこは加々知である。実にあっさりと、何の躊躇も無く「そりゃあそうです」と明音の問いを肯って見せた。

「私も子供の時は色々やらかしましたよ。絶世の美女(但し人妻)を見たいとかいうスカポンタンのために、当時禁止されていた現世行きを決行したこともありましたからね」
「ええー……」
「まァ、帰りのことを一切考えて無かったので、結局バレて叱られましたが」

ひょい、と他人事みたいに加々知は肩を竦めてみせる。いまいちスケールが大きいのか小さいのか分からないので反応しづらいが、分かりやすく置き換えるなら「アイドルに会うために夜間外出禁止の学生寮を抜け出した」みたいな感じだろうか。
……それはなかなかにハードな気がする。明音の通っていた学校はごく普通の公立校だったが、寮のある私立というと厳しいイメージしかない。

「……ていうか、こっち(現世)に来るのって禁止されてたんですか?」
「禁止、というより規制が厳しいんです。ビザの発行も審査も必要ですから、手間も時間も金もかかります。少なくとも、子供だけで気軽に出るのはほぼ不可能ですね」
「え、じゃあどうやって?」
「色狂いですっとこどっこいの極楽蜻蛉に連れて行って貰いました」
「すいません。なんか全然よくわかんないです」

色狂いですっとこどっこいの極楽蜻蛉? 取り敢えず悪意ありまくりの単語の羅列に、少なくとも加々知がその誰かさんを全く好いていないことは分かった。というか、それしか分からなかった。

「あんな偶蹄類のことは気にしなくて結構」
「偶蹄類て」
「それより蘇芳さん、そろそろ片付けは終わったんじゃないですか?」

明らかに私と喋って礼拝の時間を潰そうとしてますよね?

「……もうちょっと待ってください」

念入りに念入りに食器の水気を拭き取っていた手つきが一瞬硬直し、しかしすぐに持ち直す。しかし明音の視線はあらぬ方向を彷徨っていた。「バレたか」と顔にでかでかと書いてあるようにも見える。

「本当に嫌いなんですね、礼拝」
「……だから、別に嫌いじゃないですってば」

苦し紛れに言ってみるものの、もはやただの言い訳にしか聞こえないのは明音自身にもよく分かっていた。最後の1枚の皿を布で拭き、後片付けを終えればもう此処でやることはない。

「加々知さんも来ます? 別に此処にいてくれても良いですけど」

明音はさておき、客人であり別に洗礼も受けていないだろう加々知は強制参加ではない。しかし当人は乗り気なようで、「是非」と無表情ながら力強く頷いた。

「こういう経験も貴重ですから」
「勉強熱心なんですね」
「そもそも視察に来てるので。必要のありそうなものは何でも見ますよ」

勉強熱心というより、ひたすら仕事に熱心なようだ。事務室での仕事ぶりもそうだが、多分この人(鬼)相当なワーカーホリックだな、と明音は感心する反面呆れてしまう。彼にかかれば多分、「人より多少仕事が出来る」程度の人間など笑ったときの鼻息で吹き飛ばされてしまうだろう。

「加々知さんって仕事以外に趣味とかあるんですか?」

思わずそんな失礼なことを聞いた明音に、すかさず加々知のデコピンが飛んだのは、まあ言うまでも無いことである。

「マジ痛い……加々知さんどんだけ指の力強いの」
「指だけじゃないですよ。試しますか? 今なら拳骨1発くらいサービスしますよ」
「死ぬほど要らないので遠慮します。――あ、これ歌い終わってから入りましょうか」

ひりつく額を摩りながらも礼拝堂の扉前につくと、中から賛美歌が漏れ聞こえた。幼い子供達の声で、日本語に訳された聖歌が紡がれる。しかしこのメロディーは……。

「ビッ○カメラですか」

ちなみに本来のタイトルは『Shall We Gather at the River』、日本語にすると『まもなくかなたの』というれっきとした賛美歌である。葬儀の場で歌われることもある曲だが、メロディーに馴染みがある子供が多いため、この教会では割と歌われる頻度が高い。

「賛美歌って聞いてうえーってなった子供が、これ聞くとちょっと親しみやすくなるみたいですよ。私はこの曲の方が聞いたの先だったから、そういう経験ないですけど」
「嗚呼、成る程。確かにあのCMは耳に残りますしね」

何となく神や幽霊を信じていても、具体的な宗教への信心には結びつきにくいのが日本の特徴と言える。だからこそ信教の自由がそれなりに確立しているのだろうが、信じていないせいで結構恐れ多いこともやってのけてしまったりもする。
……実際問題、あの家電量販店のCMソングの元が賛美歌だと思うと、何だか少々罰当たりな感じもしなくはないだろうか。

「まあEUの神も忙しいですからね、今更罰も何もないでしょうが」
「鬼の加々知さんが言うと結構生々しいですね、それ」

まあそれはさておき。

「あ、歌終わった」

歌とオルガンがいつの間にか止んでいた。この後は恐らく神父様のお話が始まる。明音は扉に手をかけつつ、最後に確認の意味を込めて加々知を振り返った。

「何ですか?」
「……いえ」

言葉は丁寧だが、何となく「さっさと開けろや」みたいなニュアンスが含まれていた気がするのは、多分気のせいでは無い。明音は今度こそ本当にボイコットを諦めると、溜息と共に礼拝堂の扉を開けていく。

「……嫌いなわけじゃ、ない」

そう、別に嫌いというわけではない。ただ……。

――祈ったって、助けてなんかくれないじゃんか。

口の形だけで、そう呟いた。怒りでも嫌悪でもなく、諦念にも似た気配を含ませて。

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