渡る世間で鬼と逢ひ | ナノ
しんぷさま

「よく頑張りました。偉いですね。立派なことです」

ぽすぽすと、皺だらけの手が少女の頭を撫でる。頬をいっぱいにしてもぐもぐと口を動かしていた少女は、涙目になりながらも口の中のものをごくりと飲み込み、そして口直しとばかりにお茶をがぶたぶと飲んだ。
少女の頭を撫でていた老人は、にこにこと笑っている。温和だとか柔和だとかそういう言葉を交ぜて、人の顔の形にしたらこんな風かも知れない。そんなことを思わせる穏やかな笑顔で、目尻の皺まで酷く優しげだ。

「ごちそう、さま、です」
「はい。お粗末様です。……明音、待たせてすみませんね」
「! 明音おねーちゃん?」
「ありゃま、バレてましたか」

何となく入り口の影に隠れていた明音だったが、老人の言葉に小さく舌を出して食堂へと入っていく。

「すいませんね、何か邪魔しちゃ悪いなと思ったもんで」
「大丈夫ですよ。それより見てください、みーちゃんが頑張ったんですよ。ね?」
「がんばった! にんじんたべたよ!」
「おー! すっごいねえ! 頑張ったじゃーん! 凄い凄い! やるねえ!」

一部始終聞いていたくせに、さも「初めて聞きました」とばかりにはしゃいで見せる明音。少女は照れくさそうに頬を染めて、えへへ、と蕩けるように笑った。と、思いきや、無言で明音の背後に立った加々知に気づいて首を傾げる。

「……? 明音おねーちゃん、そのひとだあれ?」
「ん? ああ、この人は加々知さんだよ。おねーちゃんのね、お仕事のお友達かな」
「おともだち?」
「そ」
「……カレシじゃなくて?」
「誰だみーに余計なこと吹き込んだの」

あいつらか! と、先程絡んできた悪ガキ2名を脳裏に描いた明音が吠える。その横では、加々知が冷静に「彼氏じゃないですよ」と答えていた。

「この年頃の女性はそういう話題に敏感ですから、あまり振らない方が賢明ですね」
「……?」
「蘇芳さんが嫌がるから、あまりそういうことは聞いちゃいけないということです」
「! そうなの?」
「そうですよ。事と次第によっては頭に角を生やして烈火の如く怒ることも……」
「怒りませんよ! 何言ってるんですか!?」
「ほら怒ったー」
「明音おねーちゃんおこったー!」

無表情で「怒ったー」と明らかにおちょくってる様子の加々知に対し、少女の方は涙目だ。
こうなると、明音は「は、嵌められただと……!?」と愕然としつつも、慌てて笑顔を作り「怒ってない! 怒ってないから!」と少女を宥めにかかるしか無い。

「加々知さんの策士……!」
「よく聞こえませんね」

少女に見えない角度から加々知を睨んで見るも、彼にダメージを受けた様子は無い。そりゃそうである。涙を呑んで少女を何とか宥めた明音は、急に増した疲労感に溜息を深々と吐いた。

「楽しそうですね」
「……神父様、もしかしてまた目が悪くなった?」

ちゃんと眼鏡してくださいよ。そう言って明音は肩を落とす。カソックをきちんと着こなした『神父様』は和やかな笑みを崩すこと無く、加々知に向かって頭を下げた。

「初めまして。明音がお世話になっているようですね」
「いえ、どちらかと言えば私が教えて頂いています。蘇芳さんのお陰で仕事も順調ですし」
「おやおや、そうでしたか」

既にこの院を出た明音のことだというのに、加々知の言葉を受けた神父は酷く嬉しげだ。しみじみと頷いた彼は決まり悪そうにする明音を見やり、「明音」と慈しむようにその名を呼ぶ。

「明音も立派になったということですね」
「……さあ、どうでしょ?」

それこそ、明音が『ちょっとばかし』グレていた際に、多大な心配と迷惑をかけた御仁である(勿論シスターも同様だが)。それに比べればある程度自立し、きちんと平日に働いている現状は、まあ立派なものだろう。しかし比較対象が『アレ』では、正当な評価とも思えない。
苦い顔をする明音に、神父は柔らかに頬笑んだ。

「人に感謝されるということは、素晴らしいことです。しよう、と思って出来ることではありません。貴方に救いを求めた誰かがいて、その誰かに、貴方が正しく応えることが出来たからこそなのですよ」

大真面目にそんなことを言われても、余計に収まりが悪くなるだけだ。照れ臭さと決まり悪さと、隠せないうれしさに、明音は何とも言えない顔をする。笑みと困り顔と、あとは怒った顔がごっちゃになったような表情だ。

「そんな立派なもんじゃないですけどね……」

神父様はいちいち大袈裟だ。明音は肩をすくめて天を仰いだ。

「それよか神父様、そろそろ院のミサでしょ? 片付けなら私がしときますから、早く行った方が良いんじゃないですか?」
「おや、もうそんな時間ですか」
「あと15分で9時ですよ。急がないとちびちゃん達待ちくたびれちゃいますって」

私も洗ったらすぐ行きますから、と、少女と神父を促す明音。ミサ、という単語に少し顔色を変えた少女が、「おねーちゃん、ありがと」と言いながら部屋を出て行く。

「では、お言葉に甘えるとしますか。有り難うございます、明音」
「……どういたしまして」
「但し」

沢山の皺が寄った神父の手が、ぺしん、と軽く明音の額をはたく。

「終わったら、貴方もきちんと礼拝堂に来ること。良いですね」

神父の言葉は相変わらず温和だが、しかし有無を言わせない何かがある。明音は子供のようにぺろりと舌を出した。

「隙あらば礼拝をボイコットしようとするところは変わりませんね、貴方は」
「あはは……」

がしがしと頭を掻いた明音の髪をそっと撫でた神父は、「では」と加々知に目礼して食堂を出て行く。

「礼拝、ボイコットしてたんですか?」
「……ええまあ、何ていうか、別に嫌いじゃないんですけど」
「静かな場所でじっとしてられないとか?」
「違いますよ失敬な」

まるで、それこそ『じっとしていない子供』に対するような視線を向けられた明音は、憮然として言い返す。

「てか、それだったら毎週の朝会とか無理でしょ。うちの校長話くっそ長いんですから」
「ああ、確かに面接の時も随分長々と喋ってましたね。地獄なら『要点を絞れ』と口を捻ってやるところでしたよ」
「……それはやめてあげましょうよ」

相変わらず物騒な加々知の言動は、教会でも変わらないらしい。神父や子供達の耳に入らなかっただけまだ良いかと溜息をついた明音は、その直後に自分の思考の好い加減さに気づいて更に落ち込んだのだった。

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