渡る世間で鬼と逢ひ | ナノ
しすたー

屋根の上の十字架に、真っ白な壁、そして赤や緑のステンドグラス。入り口は開かれており、まるで絵本に出てきそうな、こぢんまりとした小さな礼拝堂の隣には、やはり白い壁の四角い建物が隣接している。飾り気も豪奢な印象もない、質素で簡素な昔ながらの『教会』のイメージそのままの建物は、周囲の一戸建て住宅達の中でも、その白さからかやけに目立っていた。

「あっちの建物が院なんですけど……先に礼拝堂寄って良いですか?」
「ええ、分かりました」
「……大丈夫ですよね?」
「大丈夫です」

別に灰になったりも溶けて消えたりもしませんよ。加々知がハッキリそう言ったのを確認した明音は、取り敢えず礼拝堂に続く入り口を潜った。木製の、板チョコのような色と形の大きな扉は、背の高い加々知もゆうゆうと潜ることが出来る。

「こんにちはー」

建物の中は赤い絨毯が惹かれており、天井の電灯と、壁に掛けられたランプ型の灯りが灯っていて、室内は明るい。外の真っ白な壁とは違い、中の壁紙は淡いクリーム色をしている。教会といえばステンドグラスだと思っていたが、建物の上部に見えていた飾り窓以外の窓は、ごく普通のガラスを使っているようだった。
左右を見れば、小さなテーブルの上にパンフレットが置かれている。『かみさまのことば』というひらがなで書かれた子供向けのものと、大人向けらしい孤児院や教会の紹介をしたものである。加々知はその両方をつまみ上げ、まずは子供向けの方から目を通し始めた。

「加々知さん?」
「あ、すみません。今行きます」

勝手知ったるとばかりに、側の階段を上ろうとしていた明音は、加々知がついてこないことに気づいて振り返った。黙々とパンフレットの中身に目を通していた加々知は、すぐに気づいてこちらに歩いて来た。特に急いだ様子は無いが、足の長い加々知が少し大股で歩くだけで、彼はすぐに明音のところまで追いついてくる。

「2階が礼拝堂です。まあ観光地の教会とか有名な大聖堂と違って、日曜以外は殆ど人来ないですけどね」

2階の床は絨毯は引かれておらず、よく磨かれた木の床が照り輝いている。小さな教会にはそこまで歩き回るスペースもない。観音開きの大きな木の扉があり、明音はその片方だけに手をかけて開いた。
ぎい、と少しだけ音を立てて開いた扉の先には、やはりオーソドックスな『礼拝堂』のイメージのままの光景が広がっている。奥行きのある空間。細長いステンドグラス。中央から左右に分かれ、規則的に並べられている長テーブルに長椅子。椅子の方には、厚手の布がかけられている。
そして最奥には、大きくシンプルな造りの金十字架。そのすぐ手前には精細な装飾のある祭壇。右側には、小さめのパイプオルガンがある。そのオルガンの椅子に座っていた黒い修道服を着た女性が、扉を開く音に気づいたのかこちらを振り返る。

「あら」

柔らかな声が響いた。元々神父の声が届きやすいように、そして賛美歌が響くようにと、礼拝堂の造りは音が反響しやすく出来ている。しかしそれを差し引いても、女性のその声はやけに耳によく馴染んだ。

「シスター」

微笑む初老の修道女に、明音は気安く手を振った。

「よく帰って来ましたね、明音。……そちらの方は?」

縁のない眼鏡の奥で、黒檀色の瞳が加々知に向けられる。明音はさらりと、道中考えておいた『言い訳』を口にした。

「こちら、うちの臨時事務員の加々知さん。教会に興味があるんだって」
「それはそれは。お若い方なのに珍しいわねえ」

言い訳とはいっても、『孤児院』に興味があると言うと棘が立ちそうなので、『教会』に置き換えたというだけ。元々温和で、子供のイタズラにも殆ど顔色を変えないシスターは、予想通り特に追求もしなかった。

「初めまして。加々知といいます。蘇芳さんには職場でお世話になっています」
「あらあら、ご丁寧にして頂いて」

シスターが同じように自己紹介をし、やんわりと頭を下げる。つられて頭を下げる加々知の動作に比べれば、緩慢でゆっくりとしたお辞儀である。そうして今度は明音の方に目を向け、眩しそうにその目を細めた。

「お変わりないようですね、明音」
「1週間じゃ大して変わんないですよ。シスターも元気?」
「元気ですよ。神様がお守りくださってるもの」
「あはは。そうだね。……みんな元気してる?」
「ええ勿論。土曜日ですから、まだ少しみんなのんびりしているわ」
「神父様もまだ出かけてないよね。先に挨拶したいんだけど」
「そうね、院の何処かにいると思うから、会って差し上げて。それからお客様にお茶でも煎れて差し上げなさい」
「ん。わかった」

ひらり、ともう一度手を振って明音は踵を返した。ぺこりとシスターに頭を下げた加々知が、その後に続く。

「優しそうな方ですね」

先程登った階段を下りるさなか、加々知が徐に口を開いた。

「そうですねー。シスターが怒ったところは私も殆ど見たことないです」
「一種の貴婦人ですね。都市王に少し似てらっしゃいます」
「としおう?」

年老う? と若干かそれ以上に失礼な漢字を当てた明音に、すかさず加々知のババチョップが襲いかかる。

「あいたあ!!」
「都市の王で『都市王』です。十王の1人ですよ」
「……すいません加々知さん。じゅうおうとやらがそもそも分かりません」

涙を浮かべて頭を摩る明音の目に、あきれ果てたように溜息を吐く加々知の顔が映った。「まったく馬鹿なんだから」と言われた気がした。否、実際に小声だが言われた。

「ば、馬鹿ってほど馬鹿じゃないですよ! 大体フツーの人は地獄の知識なんて閻魔大王くらいしかないですって!」
「いえ、それは別に良いです。中身が分かっていない方が、いざ判決を下したときにショックを与えられますから」
「鬼!!」
「だから鬼ですってば」

相変わらず言動に容赦の無い男である。地獄の鬼とはみんなこうなのかと明音は、恐らくはまだ先であろう自らの死後を思う。良い人間で居たいとは思っていたが、少なくとも悪いことはしないようにしようと心に誓う。品行方正とまではいかなくても、地獄には落ちたくない。

「十王というのは、死後の日本人を裁く10人の裁判官です。閻魔大王もこの1人ですね」
「え。じゃあ、閻魔大王の他にも裁判官がいるんですか?」
「そうです。先程の都市王は9人目で、1周期を迎える亡者を裁きます。外見的な年齢は先程のシスターよりもう少し上ですが、雰囲気が少し似ていますね」

これでお喋りな雀が側に居れば完璧です。などと、何に満足したのか頷く加々知。お喋りな雀とはなんぞ、と明音は思ったが、藪蛇になりそうなので尋ねるのはやめておいた。

「1年経っても裁判受けなきゃいけないんですか……」
「長い人は3回忌までですね。ですが普通は77日で終わりますよ。都市王を含めた最後の3人は再審のための裁判官ですので」
「意外ときっちりしてるんですね。閻魔大王が全部決めるのかと思ってた」
「何を馬鹿な。のアホ……大王1人にそんな芸当が出来るわけないでしょう」

間。

「あの、今アホって言いませんでした?」
「気のせいです」
「そ、そうですか……」

これもあまり掘り返してはいけない話題である。明音はそう直感した。

「実際問題、裁く者が1人じゃとても首が回りませんよ。誤審やスケジュール管理上のミスなんかも発生しやすくなりますしね」
「生々しい話だなあ」
「そりゃそうです。結局組織ですからね、閻魔庁も地獄も」

人員が総出でかかっているから円滑に回っているんです。きっぱりと言い放つ加々知の言葉には妙な貫禄があった。流石は地獄の鬼。閻魔大王の補佐官というのは伊達ではないらしい。

「おつとめご苦労様です」

一応自らも社会人ではあるものの、そこまでの責任や義務を意識したことのない明音には遠い存在だ。敬意だって抱いてしまうというものである。

「いえ」

と、短く加々知が返した、その瞬間。

「あー!! 明音姉ちゃんがデートしてる!!」

という、何とも空気を読んでいない、テンプレートな大声が響き渡った。

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