酔狂カデンツァ | ナノ


▼ まだ未来はない

「名前は?」
「……、ロー」

たっぷり間を空けて、それでもきちんと答えた子供の意識は、今のところハッキリしているらしい。掘りの深い目鼻立ちと、白い肌からアジア人でないことは分かっていたが、こうして明らかに日本人らしくない名前を出されると、この子供の、恐らく数奇に違いない来歴を想像して思わず黄昏れてしまう。

「気分は? どっか痛いところは?」
「平気だ」
「嘘ぶっこけ。全治何週間だと思ってんだ。ほら服捲って腹見せろ」
「っ!」

聴診器をつけつつ、着せていたぶかぶかのTシャツを捲れば、びくんっ、と大袈裟なくらい子供の身体は震えた。しかしキリエはそれには構わず、淡々と触診と聴診を続ける。
不自然な肌の白斑。微熱。唇や頬の色からしてやや貧血気味。腹が少し張っている。内蔵機能が弱っている模様。

「うーん……」

よく分からない症状だ。というか、恐らく初めて見る。キリエは思わずむずかしい顔をした。この子供の、身体の多くを埋めている、おしろいでも塗りたくったような白色の原因が分からないのだ。

「腹の調子が悪くないか?」
「……悪い」
「下痢? 便秘?」
「下痢の方」
「手足の震えは?」
「最近出た」
「飯食ったときに吐き気は?」
「しない。食欲は無ェけど」
「トイレするときに痛みは?」
「無ェ」
「……ふむ」

意識レベルはそれなりにしっかりしている。が、少しぼうっとはしているらしい。眼の充血はない。症状としては内科的な疾病というよりも、ヒ素や鉛などの過剰摂取による中毒症状に近い気がする。この肌の白斑は、肌や体内に大量に取り入れられた異物が起こす異常と見る方が正統的だろう。

「血液検査してみるか」
「っっ!」

中毒であれば、恐らく血や尿に何らかの異常が見られる筈。そうと決まればと、キリエは何処から脇に置いておいたアルコールを脱脂綿に垂らし、ビニールに入った注射器の封を破った。

「ほーら腕出せ。ちょっとチクっとすんぞー」

本来ならば利き手と逆の腕をあらかじめ選ぶのだが、立って歩くのも禁止の重傷者に利き腕も何も無いだろうと、キリエは酷く乱暴な理論でさっさとローの左腕を剥き出しにした。

「やめ……っ!」
「おいコラじっとしろ」

子供の身体は小柄だが、肌の感触からして恐らく十歳は過ぎているだろう。先端恐怖症とは違う種類の拒絶だったので、血を採るキリエに遠慮は無い。あっという間に小さな注射器は赤黒い液体で規定量が満たされた。

「……んん〜?」

なんだコレは。キリエはますます眉を寄せる。
間違いなく今採取したばかりの、新鮮な静脈血。本来どんな異常があっても、肉眼では赤黒いだけの液体だが、今キリエの目の前にあるそれは明らかに違っていた。

「……粉?」

と、キリエが呟いてしまったのも無理からぬこと。細い注射器の中に入った血液に、何か白いもの、丁度小麦粉が小さく固まって浮いているような何かが、ぽつぽつと浮かんでいるのだ。
注射器を揺らすとそれは一斉に血液中に散り、暫く静止させると重力に従って沈んでいく。明らかな不純物。それも得体が知れない。むずかしい顔になったキリエに、ローが唇を噛んだ。

「珀鉛、だ……」
「?」
「フレバンスの、珀鉛……俺は、『白い街』の、生き残りだから」

ただでさえ悪かったローの顔色が、ますます紙のように白くなっていく。偏食した部分とさほど変わらないのではと思えるくらいに、血の気が引いていた。

「白い街、ね」

聞き覚えの無い単語だ。フレバンス、という街も聞いたことが無い。音からしてヨーロッパの何処かにありそうだが。各国の首都以外は観光地とマフィアのたまり場しか知らないキリエの脳内データベースには存在していない。
しかしキリエの呟きをどう捉えたのか、撥ね除けるようにベッドから出ようとするローの額に、キリエは遠慮も情けも無くチョップを放った。

「いてェ!!」
「喧しい。病人はベッドから出るな」

何に怯えてるのか知らないが、こんな状態の患者を退院させる訳にはいかない。大体この子供一人で、もう一人の推定3メートルをどうやって運ぶというのか。

「何か用があったらそこのボタン押せ。まあすぐ戻るけど、私は隣の部屋にいるからな」

仰向けに沈んだ子供に言い捨て、部屋を出る。取り敢えず、『フレバンス』と『ハクエン』で某大手検索サイトにお伺いを立ててみようかと、注射器片手に考えながら。

[ back to index ]

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -