酔狂カデンツァ | ナノ


▼ 太陽の墓

「なんだ……?」

高い戸棚にしまっていた大荷物が、床まで落ちたような。例えるならそんな衝撃と音をキリエに伝えたのは、間違いなく彼女が背にしていた社の中だった。あまりにも予想外のところから予想外の五感を刺激されたキリエはしばし固まったものの、社の中から確かに生き物の気配を感じて、別の意味で身体を強張らせる。

「……」

人気がないあまり、行く場所のないホームレスがたまに根城にしている社である。今回もそのパターンだろうか。それとも別の何か、たとえば野生動物の類が住み着いているのか……この東京の真ん中でそれはないだろう。流石に今の音が気のせいだったとは思えないが、今まで気づかなかっただけで、この社には何か大きなものが置いてあって、それがとうとう倒れるか何かしてしまったのか。
色々なことを考えていたキリエは、考えているうちに少し冷静になった。冷静になると、止まっていた五感の働きも意識できるようになる。キリエが鼻を突くその臭いに目を剥いたのは、そのときだった。

「っおい!」

鉄錆によく似たそれは、まぎれもない血の臭いだった。ずれてしまった観測眼鏡を外したキリエは、がたついた社の扉に手を掛けた。木製のそれはけれど以外に頑丈で、しかも建物が歪んでいるせいでなかなか開かない。ギギギギ、と嫌な音を立て、少し横にずれただけだ。
やむを得ない。キリエは一歩そこから下がり、ブーツを履いた足で力いっぱい扉を蹴破る。バキバキともっと嫌な音はけれど一瞬。半分腐っていたらしい扉は意外とあっけなく壊れ、解放された社の中から、むわりと埃っぽい空気が漂ってきた。

「おい! おい大丈夫か!?」

思わず袖口で鼻と口を覆いながらも、キリエは構わず社の中に足を踏み入れる。土足であることなどもはや気にしていられない。天罰を気にするなら扉を蹴破れるはずもない。キリエは意外と広さのあった社の中で、ぐったりとした『彼ら』の肌に触れた。

「おい! しっかりしな! この怪我はなんだ!? 何があった!?」

鼻を突く血の匂い。明らかに常の色ではない顔色。一人はやたら大柄の男だが、もう一人は子供だ。ぱっと見るだけでも二人とも外傷が凄まじい。特に男の方は無事な骨が何本残っているかも怪しいくらいだ。しかし子供の方も負けていない。

「くそっ!」

意識レベルの低下が著しい。このまま放っておくわけにもいかない。キリエは急いで携帯端末を取り出し、短縮登録している数少ない番号に電話を掛けた。

「私だ! 今すぐ『脚』もっておいで! 急患だ!!」
『は!? いきなりなんだよ!?』
「いいから! 人死に出したくなきゃ3秒でおいで!!」
『無茶言うな! ああもうっ、場所は!?』
「美賀暮神社だ! うちから徒歩10分!」
『近いじゃねーか!!』
「男の方が図体デカすぎて運べないんだよ! いいからさっさとしな!!」

強引に通話を打ち切り、服が汚れるのも構わずその場に膝をついた。まずは脈拍と呼吸を確認する。男の方は心拍数低下が著しい。子供もやや脈が弱い。そして明らかに健康とは思えない、不自然な白斑の肌は。

「……まずはこっち!」

兎にも角にも今死にかけているのは男の方だ。高そうなコートを脱がし、派手なシャツを容赦なく破いて心臓マッサージを施す。

「……おい! おい聞こえるか! 聞こえてるなら聞きな! 聞こえなくても根性出せ! あんた等死ぬな! 死ぬなよ!! 今……今助けるから! もう少しでっ、もう少しで絶対助けるから! だから、だから今、死ぬな!!」

寒い寒い冬の空で、月が太陽と重なったその日。その決定的な瞬間を見ることなく、やがて乱暴な運転のワゴン車が走り込んでくるまで、キリエは止まりかけた心臓に刺激を与え続けた。

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