酔狂カデンツァ | ナノ


▼ 神さま不在の庭

「来年から3年間、日本は天体の『当たり年』が続きます!」

と、本心か否かはさておき、少しばかり興奮気味な女性アナウンサーが言うことには、今日は日本全国でほぼ完全な『皆既日食』が見られるという。しかも天候は全国的に快晴で、障害物の無い場所からならほぼ何処からでも観測できるとのこと。
キリエは元々天体になどさほど興味はなかったが、そこはミーハーな日本人らしく、一応観測用のちゃんとした眼鏡を購入してみた(安上がりに煤をつけたすりガラスを使おうかとも思ったのだが、やはり遮光が不十分だと危ないそうなのでやめておいた)。
観測する場所はもう決めていて、それは彼女の住むマンション兼仕事場から徒歩五分の場所にある、寂れてしまった神社の敷地である。既に神主もおらず、年に数回ボランティアが建物の手入れをするだけの神の家だ。見通しが悪く人気もないおかげで変質者が出没するという噂もあるため、近所の人間はわざわざ立ち寄らない。特に小さな子供や、若い女は決して一人ではこの道を通らないのが常だ。
しかしキリエはそんなことなど全く意に介さず、変質者が出る危険性も勿論知った上で、観測用眼鏡を手に神社の敷地に足を踏み入れた。丁度『時期』だったため、鳥居は潜らず外側を歩く。

「寒っ」

年明け早々の皆既日食に、日本中が沸き立っていた。しかしキリエが入った神社は、そんな俗世界の喧騒とは、良くも悪くもすっぱり切り離されていた。苔むした石段、色のはげた鳥居、そしておんぼろで傾いた社。賽銭箱は蓋が壊されていて、中身も五円玉一枚無い。
キリエは取り敢えず財布を出して、『場所代』のつもりで百円玉を奉納した。二礼二拍手一礼。

「つめてっ」

観測眼鏡をかけ、社にもたれかかって座る。弾みで壊れやしないかと少し心配したが、ぎしぎしと音を鳴らしたものの、建物は倒壊することはなかった。有難う神様、と小さく笑った。次はボランティアにも参加してみようか。
ふと瞬きしてみると、月は既に半分ほど太陽にかかっていた。普段はほとんど意識することもなく、見やることすらほとんどない月と太陽の動き。微かながらそれは確かに動いているのがわかった。キリエは着てきた着物の袂に手を入れ、中のカイロを握る。手が少しだけだが悴み、痒くなっていた。

「……」

夜とは違う、不思議な薄暗さが辺りを包む。それは不思議とキリエを高揚させた。飲酒した時とは少し違う、冷たさを孕んだ不思議な昂りは、余り馴染みがない。生物としての本能が、滅多にない天体のショーに良くも悪くも揺さぶられているのだろうか。寒さ昂りという相反する震えに身体を揺らしたキリエははふり、と落ち着くために深く息をついた。

「そろそろか……」

月は少しずつ太陽に重なっていく。太陽と月と地球が一直線に並んでいく。今回は見事な金環日食が見られるらしく、『当たり年』の天体ショーの中でも特に注目度が高いそうだ。勿論、『当たり年』の中でも『一番最初』だから、というのもあるだろうが。

「寒……」

古来より、月には魔力があると言われている。日本やメソポタミアでは古来より太陽よりも月が尊ばれてきた。太陰歴が使用されてきたことからもそれは明らかである。西洋では逆に不吉なものとされ、狼男などに象徴される『狂気』と『月』が結び付けて考えられた。
善し悪しの違いはあるものの、昔から人間は月を特別視してきた。昼間の太陽とは違った意味で。それがモンゴロイドにとっては神聖さとして、コーカソイドにとっては不気味さとして現れただけに違いない。夜の闇を照らす月は、神のそれにしろ悪魔のものにしろ、手元をうっすらと照らす、無くてはならないものには違いなかったのだから。

「っくし!」

月が太陽を隠していく。昼間をもたらす恒星を、地球から遮っていく。三つの天体が一つに並ぶ。地球規模で見れば大層なことであり、きっと宇宙規模であれば、いつもどこかで起こっている、取るに足らない些事。

――ドォンッッ!!

「っ、!?」

けれどこの日、天体は、月は、或いは他の何かは、確かに一つ奇跡を起こした。
偶然などという言葉ではとても呼べない、けれども運命であるとすればあまりにも数奇な奇跡を。

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