酔狂カデンツァ | ナノ


▼ 何度でも何度でも何度でも再生

自転車の練習を見ているようだ。
何でもないような顔で鼠の脳を右脳と左脳に分けているローを観察しながら、キリエはそんなことを考える。
もはや彼方のものとなっている幼い頃の記憶を引っ張り出すと、自転車というものはコツを掴むまでは酷く乗りこなすのに難儀する。左右のバランスは上手く取れないし、ある程度スピードを付けて漕がなければあっという間に転倒する。しかしどうにも及び腰になってしまうので、なかなか思い切りよくペダルを踏めない。
しかし一度コツさえ掴んでしまえば、あとはもう何でもなくなってしまう。何故こんな簡単なことが出来なかったのかと、前と後ろの2輪しかない車ですいすい道を進めてしまう。多少進み方に覚束なさが残っても、それもいずれ消える。あまり大した問題にはなるまい。

「……ふっ」

短く息を吐いたローが、取り出していた脳をマウスに戻す。周囲を取り巻いていた青いドームが消えて、彼が能力を解除したのが分かった。

「ロー、汗凄いぞ。水飲むか?」
「うん」

幼い額に玉の汗が浮んでいる。まだ松葉杖を手放せないコラソンが、近くにあったピッチャーで麦茶を注ぎローに手渡した。……珍しく、今回は零さなかったらしい。

「お前、今日1日の運これで使い切ったな」
「コップ渡しただけで!?」

はんっとキリエが鼻で笑うと、青年は情けなく悲鳴染みた声を上げた。傍らのローは「また始まった」と言わんばかりの顔で麦茶を傾けている。基本的に彼に飲ませるのは水なのだが、カフェインゼロの飲料であればまあ問題無いだろうというキリエの采配である。なお、ローにアレルギーはないことは既に確認済みだ。

「つっても本気で消耗激しいな、そのオペオペとやらは」

キリエはそう言って自らの髪を掻き上げた。癖の無い、辛うじて「ミディアム」程度の長さしかない黒髪は、べたつきは無いものの特別に艶があるわけではない。寧ろ普段のあまり宜しくない生活リズムのお陰で、多少ぱさぱさとしているのが傍目に分かる。

「臓器を1つ取り出すのに10分から15分かからんとしても、取り出した臓器の洗浄作業をするとなるとそれなりに時間かかるからな。その間能力を展開させ続けなきゃならんわけで、そうなると否応なしに体力が削られるわな」

患者の体力は、外科手術の重要なファクターだ。仮に医師の腕が神クラスであったとしても、患者が自分の身体を切られ、血を抜かれ、臓器を弄られることに耐えられなくては話にならない。
おまけに幾ら縫合しても傷は傷だから、それが塞がるのにも日数を要する。現代日本では殆ど有り得ないが、その傷口から感染症にかかって死ぬ患者は、毎年必ず出るのだ。
今回のローに関しては身体を直接切るということは無いものの、オペオペの実の能力は術者の身体に大きな負荷をかけることが既に分かっている。子供の身体であることに加え、珀鉛に蝕まれているローの体力が手術の始めから終わりまで耐えられるか。それが今一番のネックだった。

「一度に全部は無理だな。出来ることなら総取っ替えで丸洗いの方が後に後始末も少なくて済むが、背に腹は代えられねェだろ」
「……ああ」

幾ら慣れてきたとはいえ、人間、それも自分の身体を手術するとなれば、身体的にも精神的にも負担は大きい。キリエは某医者漫画の神様のように自分の腹を開いて寄生虫を捕りだしたことなど無いが、実際にやるとなるとかなり気分が萎える。というか能力的に無理だ。何度も言うが、キリエは決して特別に優秀な医者ではない。

「まずは腎臓、んで肝臓だな。腎臓なら最悪片っぽ失ってもどうにかリカバれんことも無ェし、肝臓も切る場所によっちゃ再生する。そこで問題がありそうならその時点で一旦打ち止めだ。そン時は否応なしに外科手術に切り替える」
「分かってる」

今のところ、ローが能力を持続させられるのは15分程度。たとえば一度取り出した内臓をそのまま保存するときには特に負担を感じにないらしいが、切ったり出したり戻したり、という時には、やはりかなり集中する必要があるようだ。

「自分の臓器の場所は分かるんだよな?」
「ああ。探ろうとするとレントゲンみてェに見えてくる」
「……自分の内臓がかよ」

嫌な光景だなそれ。思わず苦い顔をしたキリエ。ローは「うるせえ」とばつが悪そうにそっぽを向いた。

「しかし本気で医者いらずだな、その能力。いや、寧ろ器具いらずってトコか」

羨ましくはないけど。という本音は心の中にしまっておく。ただでさえキリエは自身の厄介極まりない『幸運体質』に辟易しているのだ。これ以上厄介なものは背負いたくない。たとえそれがどんなに便利であろうとも。

「ま、人間よか何倍も小せェマウスでココまで細かく出来るなら、テメエの腎臓取り出すのくらい簡単だろ。まずは摘出、そんで洗浄、戻し。何があるかわからねぇから、時間はトータルで1時間だな。いつやる?」
「いつでも」
「じゃあ明日な」
「分かった」
「分かったって……早すぎだろ? つーか軽すぎねェか!?」

そんな簡単に、と何だか煮え切らないような顔をするのは置いてきぼりになっていたコラソンだ。しかしキリエはにべもない。

「早すぎるなんてこた一切無ェよ。このガキにあとどんだけ猶予があると思ってやがる。時間をかけりゃそれだけ危ねェ以上、躊躇う必要性なんざ無ェよ」
「……そういうもんか」

いや、別に早くすること自体は良いんだけどよ。もごもごと口ごもるコラソンは、多分自分が心の準備が出来ていないのだろう。何となくローの方を見やると、珍しく彼もこちらを見やっていたらしく、視線がばっちり合ってしまった。そして同時にそっぽを向く。
互いに決して認めようとしないが、どうにもこの両名は波長が似ているらしい。だからこそ、低レベルな喧嘩を繰り返してしまうのかも知れない。

「気にしてもしゃーないことで気を揉むんじゃねェよ。大体、このガキが殺されたところで素直に死ぬようなタマか?」

親指でクイ、とローを指す。

「そっちこそ余計なこと言ってんじゃねえよ、ババア。頼まれたって死んでなんかやらねえっつの」

ガキ大将よろしく踏ん反り返るロー。途端、まだ煮え切らない顔をしていたコラソンが不意に瞠目した。まん丸に両目を見開いて、ローの血色の悪い顔を見つめる。

「コラさん?」

瞬きも忘れて見つめてくるコラソンに、ローは首を傾げる。目が乾くぞとキリエは口を挟もうとしたが、彼はソレより先に、「いってええ!!」と絶叫して目を瞑り瞼を押さえつけた。どうやらゴミでも入ったらしい。

「馬鹿か」
「ううう゛う゛……」

本気で痛かったらしく、ぐすぐすと涙を流し目を擦るコラソン。しかし格好悪くずずっと鼻を啜りながら、彼は不意に破顔する。

「良かったなあ、ロー」

お前が生きてくれるって言ってくれて、俺は本当にうれしいよ。

[ back to index ]

「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -