酔狂カデンツァ | ナノ


▼ 絶望にはもう飽きた

鳴海キリエは、別に子供好きではない。どちらかと言えば寧ろ嫌い……とまでは言いがたいが、苦手なのは間違いない。理由など推して知るべしというか、子供嫌いを自称する大抵の者達と同じようなものだ。中にはそれに当てはまらない子供がいると分かっていても、大抵の子供が『そういうもの』だから、子供全般がどうにも苦手なのだ。
しかしまあ、こういう『らしくない』子供なら平気なのかといえば、それはそれでそうでもないなと、キリエは改めて考える。
世をすねた、なんて表現など可愛らしすぎるような、悲愴と絶望をこれでもかというほど叩き込んだような目。日本で普通に暮らしていれば、いい大人だってそうそうしないような目つきをしている、目の前の子供。等身の低い身体はどう見たって子供のくせに、このアンバランスさはぞっとするほどに不気味ですらある。

「お前こそ何してる、寝るか訓練するかどっちかにしろよ」
「うるせえ、トイレ行ってたんだよ」
「逆方向じゃねーか」

全くこいつは油断ならない。キリエは小さく嘆息した。途中まで操っていたスマートフォンの電源ボタンを押し、着古したスウェットのポケットに突っ込む。ローの身長とこの距離からで画面が見えることは無いだろうが、それでも本人を目の前にしてその臓器の代わりを頼む神経は持ち合わせていない。

「電話かけるんじゃねェのか?」

問われた内容は自然だが、こいつが言うとどことなくわざとらしい。ちらりと窺った子供の顔に表情はなく、強いて言うならいつも通り生意気そうなだけだ。不貞不貞しさを滲み出す子供に、キリエは再度舌打ちをする。

「……別に」

努めて平坦な声で返事をした。ポケットから出した右手で、そのまま乱暴に頭を掻く。頭皮が傷むだの何だのなんて心配は、生まれてこの方したことが無い。

「煙草臭ェな」

ローがすん、と鼻を鳴らした。場所がベランダでも、吸っていれば服やら髪に匂いは付く。特段隠す気も取り繕う気も無かったキリエは、「吸ってたからな」と短く返した。

「コラさんは?」
「外」

何だ、あっちに用事か。僅かばかり拍子抜けしながらも、キリエは少し安堵した。悪いことをしているつもりはない。が、それでも多少の後ろ暗さはやはりある。この子供が間に合わない――死ぬ可能性を、本人を目の前にして考え続けることに対して。

「用事があんなら行けよ。ヤニ吸い込まんようにな」

キリエは自他共に認めるヘビースモーカーであるが、煙草の弊害については熟知している。曲がりなりにも医者であるし、禁煙ブームが巻き起こって久しい昨今、煙草を吸うことが如何に身体にとって害悪であるかを世の多くの者達が声高に叫んでいるからだ。
が、害悪と分かっていて吸っている以上、その害悪を厭う人間を巻き込んでは極力ならないとも思っている。分煙は徹底するし、特に飲食店の喫煙スペースでもそこが別室になっていない限り、基本的に吸ったりはしない。急患に備える意味もあって、自宅で吸うときは必ずベランダだ。入院患者とはいえ同じく喫煙者のコラソンにも、そこは少なくとも徹底させていた。

「……」
「ンだよ」

そのままローの脇を通り過ぎようとしたキリエだったが、他ならぬローによって行く手を遮られてしまう。面倒臭そうにキリエが顔を顰めるが、ローは決して怯むこと無くキリエの顔を真っ直ぐに見上げた。

「別に、コラさんに用事はねェよ。用があんのはアンタだ、『キリエ先生』」
「……お前に先生呼ばわりとか本気でキモイんだけど」

予想外すぎる上に似合わなすぎるその呼び名に、キリエは思わずガチの本音で応対してしまう。これならまだババア呼ばわりの方が心理的にも大層楽だ。いや、それもそれで腹が立たない訳ではないのだけど。

「うるせェ、真面目に聞けよ」

対するローはにべもない。元の原因はお前だろと心底言ってやりたくなったキリエだが、話が進まないので珍しく黙ることにした。

「さっきの電話」
「あ?」
「すんのやめろよ。これ以上余計な心配してんじゃねェ」

ギロリと目つきを鋭くしたローが、キリエがしまい込んだスマートフォンのある辺りを、まるで射貫くかのように睨め付ける。殺気すら仄かに漂わせる子供の憎々しげなそれに、キリエは内心思わずぎょっとした。

「何のことだ?」

一応すっとぼけてはみる。が、当然通用などする筈も無い。年の割に気持ちが悪いくらい聡いこの子供は、低い声で一丁前な言葉を紡ぐ。

「そもそもアンタが言ったんだぜ、俺の執刀医は俺自身だってな。なのに今更アンタが主導権を握ろうってのか? 冗談言ってんじゃねェよ」
「……」
「俺に必要なのは、能力の使い方と実際の手術のノウハウだ。アンタ自身の腕も……他の奴の内臓も、俺には必要無ェ」
「ァあ?」

物凄くドスの利いた声がキリエの唇から零れた。ただでさえ三白眼気味で悪い目つきを更に悪くして、今度はキリエの方がローを睨め下ろす。が、当然少年はこの程度で怯えるどころか、僅かに引くことすらもない。

「俺は死なねェ」

きっぱりと、言い放つ。

「何度も死にかけた。そのたびに生き残った。ドフラミンゴ……あいつの手からも今こうして逃げ切ってる。今更死ぬなんて冗談じゃねえ。――俺は生きる。絶対に生き延びる。そんで、諸手を振ってあっちの世界に帰ってやる。死神が来ようが、悪魔が狙おうが関係ねェ、俺が今此処で生きると決めた以上、どんな奴にだって自由になんかさせて堪るか」

声音を荒げているわけではない。寧ろ穏やかですらある。それでも何か、血を吐くような響きを感じ取るのは何故だろう。キリエはそっと両目を眇めた。

「俺を治すのは俺だ。アンタはただ、俺に手ほどきさえしてくれりゃあ良い」

見ろよ、と差し出されたのは、彼が手に持っていた半透明の筐体ふたつ。子供の手にすっぽりと収まるそのひとつには、あの実験用のマウスが1匹。そしてもうひとつには、青色をした筐体のお陰で赤色には見えない……しかし明らかに内臓と分かる、指先程度の大きさしかない肉片達。
人間サイズであれば大層生々しいスプラッタ映像、もとい実物であるが、生憎この程度のことで肝を抜くような繊細な神経など持ち合わせているわけもなく。寧ろ、

「ちっと早すぎねェか……?」

先程まで動き回る鼠に苦戦していたとはとても思えない、それは見事な『解剖』だった。筐体に閉じ込められた鼠は明らかに生きて動いているし、閉じ込められたことで落ち着きはなくしているものの、臓器不全による不調で苦しんでいるわけではないようだ。

「患者が動いてオペが出来ねェなら、動かなくすりゃあ良いだけだろ」

何を当たり前のことを。そう言わんばかりに鼻を鳴らすローが小憎たらしい。キリエはピキリと青筋を立てると、ローのその脳天に褒め言葉代わりの拳骨をかましたのだった。

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