酔狂カデンツァ | ナノ


▼ もし僕がヒーローだったら

「ローは、助かるのかな」

独り言染みたその問いは、きっと半ば無意識に零れたものだったのだろう。紡いだ声音は普段より頼りなく、図体に似合わない気弱さを孕んでいた。

――「助かるのか」、ねえ。

助かるのか。それはもうキリエが――否、キリエのみならず、医者、特に外科医であれば幾度となく耳にすることのある問いだろう。そしてそんな切実な問いが発せられる場において、医師が「助かる」と断言できることは殆ど無い。

――私が聞きてェよ。

コラソンの視線がこちらに向いているのが痛いほど分かったが、キリエはそちらを見返さなかった。苛立たしげに煙草の煙を思いっきり吸い込み、大して味わわずに吐き出すという勿体ない動作を二度行う。

「……さァな」
「さあって」
「どんな時だって100パー助かるなんざ無責任なコト言えるかよ。人間、死のうと思えば何使ったって死ねるんだ」
「そりゃあ、そうだろうけど……」

不満そうなコラソンの声に、彼の心境がありありと分かる。きっと彼は、気休めでもいいから希望のある答えが聞きたかったのだろう。たとえそれが張りぼてのように頼りなく子根拠の無いものであったとしても。――だがキリエは、そこでその要望に応えることこそが残酷だと、嫌というほど知っている。

「最初に言ったとおり、あのチビの執刀医はチビ自身だ。私の見立てた期限内で、あいつがあのオペオペとかいう能力を必要なラインまで使いこなせるかどうか。そこに私が介入できる余地は殆ど無ェ」

最初に『1ヶ月弱』とキリエが告知したローの寿命は、既に半分が過ぎている。これは所謂本当の寿命ではなく、ローが「意識を正常に保っていられるであろう」と見立てた期限なのだが、これがいよいよ迫ってきている。
ローの熟練速度がどのくらいなのか――他の能力者とやらと比較して――早いのか遅いのかは、キリエには分からない。だが、早いのか遅いのかはもはや関係無いとも言える。重要なのはあと約半月の間に、ローが間に合うか否かだ。

「間に合ったら、助かる。これはもう間違いねェ。ローの能力使えば、人体に負担をかけずに血でも臓器でも抜き取れる。恐らく一番負担がかかってる腎臓と肝臓、次は脳と呼吸器だな。正直あの珀鉛とかいう物質のせいでいまいち内臓が無事なのかはわかんねェが、口からある程度モノ食えてんだから、そこはあんま心配してない」
「ああ……」
「問題は、あいつが間に合わなかったときだ」

万が一……本当に万が一、ローが意識を失うまでに自身の手術を執刀できるほどの練度を身につけなかったら。その場合はキリエがメスを握り、一か八かで施術することになる。そうなれば当然ほぼ不可能と断じた『内臓の総入れ替え』をせねばならず、そのためには最低でも同じ血液型の子供の死体が丸ごと必要になる。
表社会では時に数年単位で待たなければならない子供の臓器提供も、裏はその限りではない。潜るところまで潜れば、金次第でどうにでもなるのが実情。
問題は、キリエの『そこそこ』な腕で、その大手術を成功させられるかだ。

「私は漫画に出てくるような天才外科医じゃねェ。荒事にゃ慣れたモンだが、医師としての腕前はせいぜい中の上だ。藪になったつもりはねェが、自分を名医だと思ったことなんざ一度だって無ェ。その程度だ」
「キリエ先生……」
「何より私は、こういうときに自分が奇跡を起こせるタイプじゃねえってことをよく知ってる」

助けられる命は助けてきた。全力でなかったことなど一度だってない。それは断言できる。けれど、救えない命など山ほどあった。人間的な好悪も因縁も何もかも抜きにして、死ぬ人間は死んでいく。消えていく。
そんな場面を、今まで何度見ただろうか。

「諦める気も投げ出す気も無ェ。が、下らない奇跡やら神様のご加護があるなんざ思うな。私が言えるのはそれだけだ」
「……そっか」

そっぽを向いて吐き捨てると、コラソンがふと笑ったような気配を感じた。文脈にあわない場違いな気配に、気のせいかと思いつつも視線を向ける。するとやはりベランダの反対側の方で、煙草の煙をくゆらせたコラソンが、やけに優しげな笑みをこちらに向けていた。

「ンだよ」

笑いかけられている方が気まずくなるようなそれに、キリエは思いきり顔を顰める。苦いものが混じったような、柔らかいような眼差しは慣れない。キリエは煙草を噛み潰すのをぐっと堪えた。

「いや……なんつーか、アレだな先生、すげえなーって思って」
「あ?」

意味がわからん。心底そんな気持ちを「あ?」の一言に込めてしまったのが伝わったのだろう。コラソンはおかしそうに笑った。

「だってさ、俺がローを連れて医者探ししてたときなんか凄かったんだぞ? 珀鉛病は感染症だってデマが広がってたってのもあったけど、会う医者会う医者が血相変えて憲兵に通報したり問答無用で隔離しようとしてきたりするんだ。まるでこっちが化け物みたいな扱いしてきてさ……ローにも、随分可哀想な思いさせちまった」
「……」
「けど、先生は最初からずっと見捨てないって言ってくれてるし、出来ることをやってくれる。俺はさ、医者ってみんなそうだと思ってたんだ。……きっと俺、こんなだから色んなヤツに間抜け扱いされるんだろうな」

コラソンは決まり悪そうに頭を掻いた。短くなった煙草が、ジジジ……と音を立てる。

「けど、考えてみりゃ当たり前なんだ。誰だって死にたくないし、変な病気なんかかかりたくないに決まってる。だからってローにあんな酷ェことしたのは許せねえけど……でも、先生は違ったもんな。俺のことも、ローのことも面倒見てくれるって言ってくれた。それってさ、凄ェことなんだよな」
「……感染症だったら通報してたっつったろ」
「けど、感染症かどうかってまず確認してくれた。他の奴らは全員噂に騙されてたし、こっちが何言っても何にも聞いてくれなかった。本当、ローには沢山、辛い思いさせたよ」

悔しそうに歯噛みするコラソンには悪いが、キリエの方も少しばかり苛立ってしまう。まるでこちらが聖人君子のような扱いをしてくるが、こちらは仕事として当たり前にやったことだ。褒められるためでもなければ、金も持って居なさそうな相手を殆ど自己満足で拾ったに過ぎない。
何より、

「自己完結してんじゃねえよ、禿げ」
「禿げてねえよ!?」
「うっせえ馬鹿。……ったく、あのチビの反動か何か知んねェが、終わってもないことを勝手に美談に仕立て上げてんじゃねえよ」
「え?」

え、じゃねーよ。キリエは舌打ちしつつ腹立たしげに煙草を灰皿に押しつけ、火を消す。

「何がありがとうだ、馬鹿たれ」
「先生?」
「全力を尽くすだけなら猿でも出来るってんだよ。……そういう科白は、きちんとあいつが助かった時に取っとくモンだ」

先に戻ると一言言い置き、キリエはベランダを後にする。そして病室に戻る傍ら、一度はしまっていたスマートフォンを再び取り出し、慣れた動作で操作を始めた。
形振り構っていられないのは皆同じ。改めてそう認識した彼女の手つきに淀みはない。

「何してんだよ、ババア」
「……あ?」

臓器手配の斡旋業者に連絡を取ろうとしたキリエを止めたのは、相変わらず小憎たらしい顔をした幼い子供の、その挑むような目つきと声だった。

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