酔狂カデンツァ | ナノ


▼ 利口であれ、けれど服従は認めるな

林檎がひとつ、宙に浮いている。それはくるくると位置を変えずその場で回転しており、さながら地球儀を自転させているかのようだ。目立つ傷も無く、色合いも別に悪くない、普通の林檎。何の変哲もない、と言い換えても良い。ただひとつ、宙に浮いて自転しているということを除けば。

「はい。じゃ、種」

青いドーム場の何かが部屋の殆どを覆った状態。すぐ側で林檎を目で追っていたキリエが端的な指示を出す。すると林檎の回転が止まり、そのまま数秒空中で静止する。

――カラン……。

耳を澄ませていなければ気づかないくらいの、何かが転がるような音。例えば短い鉛筆が手の中から滑り落ちて、机の上に落ちたときよりももっと小さい。その方向を見れば、銀色のトレイの上に、黒い林檎の種が1粒落ちていた。

――コロン、カラン……カラン。

二つ、三つ、四つ。林檎の種が落ちてくる。トレイよりほんの10センチばかり上に突然現れる林檎の種。それらはすぐ重力に従ってトレイに落下する。
7つの種がトレイに落ちたところで、キリエと同じように油断無く林檎を見つめていたローが口を開いた。

「……もう、無い」
「よし」

声音は強張っているが、発汗や瞳孔の動きに問題はない。どうやら随分と『力』の使い方にも慣れてきたようだ。あまり酷使するとすぐ疲れてしまうのは変わらないが、要は『手術』が執り行えるようになれれば何ら問題無い。
外科手術は数日に分けることもある。ローの体力が持つ内に、全てが終わればあとは何だって構わないのだ。

「んじゃ次、皮」

旋回を始めていた林檎がまた動きを止める。また数秒の静止のあと、赤い林檎の皮がべろりと分離し、またトレイの上にぺしゃりと落ちた。裸になった林檎の黄色い身は、きっとどんなに薄く桂剥きをしてもこうはいくまいという程、元の形を保っている。角張ったところが何処にも無い。

「最後、芯」

淡々と告げられる最後の指示。ローの顔が少し顰められる。キリエは相変わらずの無表情だが、その横で大人しく座っているコラソンはまるで進退窮まったかのように神に祈りを捧げるポーズを取っている。食いしばった歯も浮いている脂汗も、ロー本人より余程深刻にすら見えた。

「……くっ」

小さく呻き、差し出した手で拳をぎゅっと握るロー。すると、

――カラ……ン。

種の時より少し大袈裟な音を立てて、引っこ抜かれた林檎の芯がトレイの上を転がった。

「やった! ロー!!」
「まだ終わってねえよ馬鹿たれ。ロー、そのままこっち寄越せ」
「……」

顰めっ面でキリエを睨んだローが、人差し指を広げてまた少し曲げる。すると林檎は今までの緩慢な動きが嘘のように、ひゅんっと風を切ってキリエの顔目掛けて飛んできた。

「あぶっねえな糞ガキ!」
「フン」

辛うじて受け止めたキリエが文句をつけるが、ローはぷいとふくれっ面でそっぽを向いた。この家で彼らが目を覚ましてから既に半月が経過している。根っからのお人好しであるコラソンと違い、捻くれた上に弁が立つローは、それなりにキリエへの意趣返しのコツを掴んだらしい。

「どれどれ」

気を取り直し、キリエは側に持ってきていた菜切り包丁で器用に林檎を切っていく。普通に食べるときよりも小さく10等分にしていく。

「ほれ」

1切れずつ簡単にチェックした後、皿に落として2人に食べるよう促す。ちなみにキリエ自身が手を付けないことに以前ローから文句が出たが、文字通り甘味が『吐くほど』苦手なキリエは物理的に断固拒否した次第である。

「……『お残し』はあるか?」

しゃくしゃくという林檎を囓る独特の音が途絶えたのを確認し、尋ねるキリエ。コラソンがぶんぶんと激しく首を振り、ローも「無い」と答えた。

「おっし、次だな」

残ったのはトレイの上にある、林檎から『取り除いた』ものたち。芯に果肉が残っていないことを確認し、種も同様にチェックする。それから皮を指でつまみ上げ、変な切れ目や破れ目が無いかどうかを入念に検査する。

「破れて無いな」
「当たり前だろ」
「なーにが当たり前だアホ。一昨日まで全然安定してなかったくせに」

にべもなくローの反論を切り捨て、最後に包丁で皮を真っ直ぐ縦に切る。ぺらぺらとしたそれを切れ目から裏返し、とっくりと眺めて指で触る。果物の蜜のべたつきと、甘い香りが少しばかり不快になるのは致し方ない。顔を顰めるのを何とか堪えた。

「……合格」
「っ、やった! ローやったな!!」
「うわっ、ちょ、コラさん痛い! 痛いってば!」

緊張していた空気が一気に緩む。涙目になったコラソンがローに抱きついて頬摺りした。腕の力と、いまいち手入れ出来ていない髭がちくちくするのとで、ローが抗議の声を上げるが当然おっさんは聞いていない。キリエは一応止めようか迷ったが、先ほどの仕返しとばかりに口を挟むのは止めにした。

「助けろよババア!!」
「知るかボケ」

とはいえ、

「っつーかお前ら浮かれすぎ。やることなんざまだ山ほどあるんだよ話聞けや」
「あいてっ!」
「い゛っ!?」

このまま浮かれモードで『特訓終了』にされてしまっては困る。ようやく『オペオペ』に慣れてきたのか少しばかり能力の発動時間が長くなってきているらしく、ローにまだ大きな疲労は見られない。ならばさっさと次にいかなくては。

「次は『こいつ等』の解体だ。抜けた気合いさっさと入れ直せ」

今までと全く同じ要領で行くんなら御の字だけどな。
感動の余韻をぶった切って踏みつけたキリエが、涼しい顔で取り出したのは、よくある実験用マウスの入ったケージである。白い毛並みのマウスがちまちまと数匹動き回っている様は愛嬌があったが、この部屋の空気には全く似つかわしくなかった。

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