酔狂カデンツァ | ナノ


▼ 微笑って、笑って、ふと絶望する

目の前で起こった出来事を、己の眼と頭を疑うことなく直視できたものは、キリエの他に果たしていただろうか。それは甚だ疑問だが、しかしどうでも良いことだ。
放った言葉は取り返せず、起こったことは無かったことに出来ない。それが事実であり、それ以外にどうしようもない。

「……あ?」

間抜けな声が響いた。大して大きくもない声だったが、やけに強く此方の耳朶を叩いた。
大きく破損したリボルバーが、持ち主である男とキリエの、丁度間くらいの場所に転がっている。焦げ付いた匂いを放つそれからは、火薬の臭いのする煙がうっすらと上っていた。

「あ……あ……」

茫然自失。そんな言葉が良く似合う表情を浮かべた男は、忙しなく視線をあちらこちらへとやっていた。まずは拳銃。銃口を向けていたキリエ。そして……自分の手。

「ぁ、ああ、あぁぁ」

カオ○シかテメエは、というキリエの下らないツッコミなど、もはや耳に届いてすらいないだろう。奴の脳味噌はきっと、それどころではないに違いない。

「あ、ぁぁ、あ、ぁぁああああああ!?」
「うるっせえ」

何の前触れもなく――否、実際はあったが――狙った得物の脳髄ではなく、自分の指が2本も吹っ飛んだ状況にあっては。
無事な左手でぐちゃぐちゃになった右手の手首を掴み絶叫する男。転げ回らないだけマシだが、膝立ちになって叫びまくるのも鬱陶しい。その程度の傷で死ぬか、馬鹿。吹っ飛んだのが臓物でなだけ感謝しろ、とキリエは酷い無茶ぶりを放った。

「え……何? 何だ、今の……?」

男の傷とパニック具合に呆然としていたローが、「何かしたのか?」と言わんばかりにキリエを見上げてくる。「ンなわけねえだろ」とキリエは渋面を作った。

「遅発……」
「お、流石にコラソンは知ってたか」

青い顔をするコラソン。それに対しキリエは暢気なもので、落ちている銃を拾い上げ玄関の方に投げた。床に傷がついたことが不満だが、治療室で寝ている『兄さん』に業者でもあとで呼ばせよう。
キリエはのたのたと緩慢な動作で動き出すと、未だに悲鳴を上げている男の首筋に、それはもう見事な裏拳を食らわせた。軽い脳震盪を起こした男が気絶したのを確認し、ポケットから止血帯を取り出して装着する。

「リボルバーを馬鹿な使い方するとたまに起きる。ローお前、万が一使うことがあったら基本はバッチリ押さえて使えよ」

遅発……ディレード・ファイアは、不発を起こしたリボルバー式拳銃に時折起こる現象である。
拳銃が不発する原因は様々だが、リボルバーの場合、弾を発射するパウダーの燃焼が『全く行われない』のではなく『僅かずつ行われる』場合がある。全く燃焼しなければ勿論弾は発射されないが、この『僅かずつの燃焼』が発生していた場合、引き金を引いてから数秒、長くて10秒程度痕に弾が発射されることがある。
これをディレード・ファイアといい、もしリボルバーで不発弾を放置して次弾を発射しようとした際、シリンダーに残っていた不発弾がディレード・ファイアを起こす可能性が稀にある。
今回はその稀なケースで、その稀なケースが引き起こす事故としては、最悪に近い部類の被害が発生したと言えた。

「おいロー、そこ踏むなよ」
「は? ……うわ!?」
「ほれ、言わんこっちゃねえ」

きょとんとして「そこ」と指さされた足下を見下ろしたローが、そこに転がっていた指(一部焼け焦げている)を見つけて飛び退く。

「あーあ、こりゃもうくっつかねえなあ……」

いつの間にか見つけていたらしいもう1本と合わせて、ガーゼに包むキリエ。刃物で切断されたならまだしも、こうやって吹っ飛んでボロボロになったものをくっつけるのは至難の業だ。生憎、キリエはブラッ○ジャッ○のような天才外科医ではない。そもそも本来の専門は循環器科だ。

「おいお前ら、取り敢えず部屋戻って大人しくしてろ。あとはこっちで片付けも全部やるから、今度こそ私が良いって言うまで外出るなよ。……次やらかしてもマジで何の保証もしねえからな」
「す、すまん先生……」
「謝る暇があったらさっさとしろ。お前もあんま暴れるとくっつきかけの骨が離れるぞ」

気絶した男の襟首を掴み、ずるずると引き摺る。床に飛び散った血痕が気になったが、これもあとで掃除させようと思う。殺人現場ではないが、人の家をよくまあこんなに汚してくれたものだ。

「そいつ、どうすんだ」

ローが不意に尋ねた。振り返れば、ローはコラソンがほっぽり出した松葉杖を拾い上げ、彼に渡しているところだった。睨み付ける、という程ではないが、厳しい顔つきをしていた。

「治療に決まってんだろ」
「こっちを殺そうとしたのにか?」

ぎゅっとローの眉間に皺が寄る。キリエは面倒臭そうに嘆息した。

「ンなくだらねえことが判断材料になるか」
「くだらなくねえよ!!」

急に激高しだしたローは、幼いながらもなかなかに迫力があった。しかし、その勢いの理由がキリエには分からない。一体、何故そんなに苛立たしげなのか。

「お前死にかけたんだぞ!? 殺されそうだったんだぞ!? なのになんで助けるんだよ!! また殺されそうになったらどうするんだよ!!」
「……あー」

そういうことか。キリエはようやく合点し、がりがりと頭を掻いた。そろそろ治療に移りたいところだが、この状態のローを放っておくとまた面倒だ。キリエは男の襟首から一旦手を離し、ぼすっとローの帽子の上に手を置いた。

「こいつのそもそもの目的は私を殺すことじゃねえし、報復するにしたってこの手じゃ当分無理だ。ついでに……いや、これはいいや。何より、怪我人を治療無しにほっぽりだすのはポリシーに反する。もう好い加減分かってるだろ、お前も」
「けどっ……」
「それにな」

言い募ろうとしたローの唇をきゅっと摘む。「うきゅ」と変な声を出したローに対し、遠慮せず「変な声出たなあ」と笑えば、ぎろりと睨まれた。

「こいつに私を殺すなんざ無理だ。今の見ただろ、ああいうことは何度でも起こる。今まで私を殺そうとして、無事で済んだ奴なんざ1人もいねえよ」
「え」
「おいコラソン何ぼさっとしてる。さっさとこいつ連れて戻れ」
「……あ、ああ! 分かった!」

ぽかんとしたローの背を抱いて、コラソンが部屋に戻っていく。それをきちんと確認してから、キリエは再び男の襟首を掴んだ。
さて、この男からは治療費を請求できるだろうか。そんな詮無いことを考えながら。

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