酔狂カデンツァ | ナノ


▼ 序章で終わる運命

何が起こったのか分からなかった……というのは、キリエの心境でもあったし、男の心境でもあっただろう。両名は殆ど同時に、互いの視界に飛び込んできた小さな人影に目を瞠り、次の挙動に映るのを数秒、忘れた。

「くそっ!」

直接危害を加えられ、身体のバランスを崩した男が、しかし舌打ちと共に何とか脚に力を入れて体制を保つ。そして、自分の腰や脚の辺りにしがみついてきた子供の腹を、渾身の力をもって蹴り上げた。

「ぐゥっっ!」
「ロー!」

先ほどまでの余裕は何処へやら。吹っ飛んで奥の床に転がったローを、血相を変えたキリエが追いかける。

「ンの、糞ガキ!!」

男の方はといえば、キリエよりも小生意気な邪魔をしたローの方に意識が向いているらしい。すぐ脇を通り過ぎたキリエには目もくれず、蹲るローにその銃口を向ける。

「させるか!」

引き金にかかった人差し指に、力がかかる……その1秒前にローの側まで追いついたキリエが、躊躇うことなく咳き込むローを背中に庇った。自然、銃のターゲットは再びキリエに戻る。
男の頬に、カッと血の気が増したのが見えた。

「何、やってんだよ……お前……」

げほげほと咳き込みながら、ローが掠れた声で問うてくる。キリエは短く舌打ちを返した。視線の先では、先ほど落としてしまった煙草がまだ煙を出していて、板張りの廊下を少しずつ焦がしている。

「黙って隠れてろ糞ガキ。大人のやりとりに割り込んできやがって」
「ガキ扱いすんなよ……!」
「うっせえ。ンなちっせえ成りして何がガキ扱いすんなだ。ガキはガキらしく大人の後ろでピーピー泣いてろ」

ガキの分際で大人を庇おうなんざ1000年早ェんだよ。
視線は男から逸らさず、キリエは短く吐き捨てた。これ以上ローが動かないよう、後ろ手にがっちりとその手を捕まえながら。

「威勢が良いじゃねえかよぉ、先生……」

男の瞳孔が、遠目にも分かる程かっ開いている。興奮状態にあるようだが、しかし冷や汗の類は出ていない。分かっていたことだが、此処は腐ってもヤクザ。虚仮威しの類ではないらしい。

「そんなに死にたきゃ……さっさと死ね!!」

ぐぐ、と力の入る右の人差し指。押し込められるトリガー。銃口の1.5メートル先には、そこから動こうとしないキリエの額。

「……の、離せブス!! 退けよ!! 逃げろ!!」
「黙ってろ糞ガキ! テメエこそ動くな!」

じたばたと暴れ始めたローを押さえつけ、それでも銃口を睨むことをキリエは止めない。憤怒に顔を歪めた男の指が、勿体ぶるように少しずつ押し込まれていた引き金を――今度こそ完全に引いた。

「……なっ!?」

カチン。金属のスプーンがぶつかるような、安っぽい金属音が廊下に木霊した。

「え……」

予想していた銃声とは全く違うその音声に、暴れるのを止めたローがぽかんと目と口を見開く。予想外の事態に最も驚愕しただろう男の顔から、先程まで昇りっぱなしだった血の気が引いていくのが分かった。
にやり、とキリエだけがそこで笑う。

「不発だな」

リボルバー、オートマチックの種類に関わらず、銃を長く扱っていれば一度は経験のある弾丸の不発。或いは弾詰まり。勿論不良品でもなく、手入れもきちんとされている銃であれば殆ど起こることの無い現象ではあるが……しかし、100%起こらない現象でもない。

「手入れくらいしとけよ、素人じゃねーんだから」

ちなみに男が使っているリボルバーであれば、カートリッジの不良でなければ、ファイアリングピンの摩耗などが主な要因として考えられるが――何にせよ、ここぞという時に起こった偶然としては最悪だ。あくまでキリエの予想ではあるが、この男はこの銃以外の得物を此処に持ってきていないだろうから。

「――んだとォ!?」

先程までとは別の怒りで、再び男の顔に血の気が戻る。銃を持ったままキリエに殴りかかろうとした男の腕が、しかし突然伸びてきた長い脚に蹴り飛ばされる。拳銃が天井にぶつかり、玄関側の方に飛んだ。

「っぎ!?」

短い悲鳴を上げた男の胸辺り目掛けて、更にもう一度蹴りが入る。肋ごと肺を強く圧迫された男は、衝撃に耐えきれず銃と同じ方向に吹っ飛んだ。

「おいテメエ! ローと先生に何してんだ!」
「コラさん!」

松葉杖も放り出してきたらしいコラソンが、その大きな身体でキリエとローを庇うように立つ。ローの表情が一気に安堵で緩んだ。

「おい退け、コラソン。大人でも怪我人はすっこんでろ」

まだ自力での直立が難しい身体は、膝から下が小刻みに震えてる。コラソンの乱入で気が抜けたらしいローの肩を軽く叩いて、キリエは立ち上がる。しかしコラソンは此方を振り返らず、首を小さく横に振った。

「そんな訳にゃいかねえよ、キリエ先生。これでも命の恩人見捨てるほど人間止めちゃいねえんだ」

顔は見えない。だが、コラソンが笑ったような気配は感じた。キリエはチッ、と聞こえよがしに舌打ちをする。

「……医者の仕事にイチイチ恩義感じてんじゃねえよ。良いから退け」
「駄目だ先生。それよりローを連れて逃げてくれ」
「そりゃお前の役目だ。良いから早く……」

語気を荒げ、苛立ちを隠さずキリエは言う。だがコラソンも折れない。好い加減にしろと怒鳴りかけたキリエの視界に、痛みに悶えていた男が、側に落ちた銃を拾う姿が映った。

「引っ込めデカブツ!!」
「あいたあ!?」

仮にも怪我人。庇われたこともあって穏便に言葉で済まそうと思っていたのだが、そんな甘い考えは即座に吹っ飛んだ。完全に不意打ちの足払いにより、コラソンがその場で後ろにひっくり返る。下敷きにされたローが「ぐえっ!」と悲鳴を上げたが、構う余裕はない。
再びキリエが彼らの前に出るのと、何とか復活した男が銃を握るのは同時だった。

「死ねェ!!」
「死ぬか、馬鹿」

銃口がまた、こちらを向く。コラソンか、或いはローが何か叫んだ気がしたが、脳は認識しなかった。

「――……」

爆発音と呼ぶにはやや小さい破壊音が、血飛沫と共に廊下に撒き散らされたせいで。

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