酔狂カデンツァ | ナノ


▼ 透き通った君の絶対感

「なんで分かった? っつー顔だなァ、おい。つまんねえからもう少し取り繕えよ」

眼鏡のレンズの奥から、引き攣った顔をする男を睨め付ける。反射的に胸ポケットへ手をやった男の表情は緊張で強張り、瞳孔が微かに開いている。明るい室内にしては少々大きめのそれと、呼吸の乱れ。それをつぶさに観察しつつ、キリエは薄ら笑いすら浮かべる。

「あんたみてーな立場の奴はな、基本私がどんだけ言おうとまずは此処の全部屋をチェックしようとする。うっかり商売敵と鉢合わせして、上司だの兄貴だののタマ狙われたんじゃ堪ったもんじゃねえからだ」

勿論それを許す、許さないの判断はキリエが下すものの、基本的に『部下』や『相方』は必ずこういう申し出をする。中にはキリエに銃口を突きつけて脅迫しようとする輩もいるくらいだ。
勿論、そうなれば躊躇いなく『治療拒否』という伝家の宝刀を抜くキリエだが、この場合はそうなるより治療を受ける本人達が、付添人達を諫めたり咎めたりすることが多いのだが。
……閑話休題。

「あとついでに、あんたさっき此処出ていっただろ? フツー怪我した自分の兄貴分置いてどっか出かけるとかやるか? 私は部屋から出てけとは言ったが、この建物から出ろとは一言も言ってねえぞ?」
「……!」
「要するにな、無意識に出てんだよ。『兄さんがどうなろうが俺の知ったこっちゃない』ってのがな」

ま、月にいっぺんくらいは来るな、あんたみてーなのは。呆れたような、ぼやき混じりの科白と一緒に、キリエは深く吸った煙草の煙を吐き出した。灰色の煙が乾いた唇から溢れ
特有の匂いとともに廊下に溶けていく。

「妙な言いがかりしてんじゃねえぞ……!」
「言いがかり? あァ、まあ状況証拠しかねえもんなあ? だが残念、こういう時の私の勘はほぼ100%当たってるもんでね」
「勘だァ!? テメエ、言うに事欠いて巫山戯てんじゃねえぞ!」
「あんたらだって同業は直感でわかんだろ? 同じようなもんだ。そこに科学的な根拠なんざ無え。……もう良いだろ。あんたに患者を引き渡す気は無い。どうしてもってんなら、私から電話して別の迎えを寄越させてやるよ」
「……っ」

短くなった煙草を携帯灰皿に押しつけるキリエ。苦い呼気の余韻を楽しむように、かさついた唇を赤い舌が舐めた。

「更に言おうか。太ももの外側なんて致死率の高くない場所を狙う素人が、そもそも患者に近づけたことがおかしい。電話してきた状況から考えて、あんたら別に2人だけだったんじゃないんだろ? よくそんな包囲網かいくぐって近づけたよな……誰かに手引きされたって考える方が自然だろ?」

目の前の男は動かない。ただ眼をかっと見開き、わなわなと小刻みに震えている。
――黒。改めてそう判断した。身体的な反応が100%信ずるに足るではないが、この汗の出方、血の気の引き方は、もうほぼ間違いない。
愕然としたまま動かない男を、冷めた目で見つめる。本当に、こういう奴は割と定期的に出てくる。暗殺も殺し合いも勝手だが、此処でやられては困る。特に今、この家には子供がいるのだ。

「これは親切心で言っておくけどな、大方あんたの『兄さん』はあんたの不自然さにくらい気づいてンぞ。ついでに、寝てるったって別に眠りが深いわけじゃない。……無茶はやめとけ、どうせ成功なんざしねェよ」

だがまあ、キリエは患者を殺させる気も無いが、此処で患者やその身内に男を暴行させる気もない。此処で無謀な暴挙を止めてやったのは、ターゲットを殺させることはしなくても、まあ逃がすくらいはしてやろうという、慈悲とも言えない微妙な何かだ。

「分かったら出ていけ。私は此処を殺人現場にする気は無ぇんだ」

それだけ吐き捨てて、キリエは男に背を向けた。あとは勝手にしろと言わんばかり、というか、言外に言っている。つかつかと歩き、『兄貴分』がいるであろう診察室への扉に手をかけた、その次の瞬間。

「止まれ!!」

黒光りするリボルバーの銃口が、真っ直ぐにキリエ目掛けて向けられた。

「動くんじゃねえ……」

瞳孔が完全に開ききった目をした男が、手のひらにすっぽり収まる大きさの拳銃を構えている。扉に手をかけていたキリエは、無感情な眼でそれをちらりと見やった。

「部屋に入るな。両手挙げてそこから退け。……叫びでもしてみろ、ドタマに風穴開けてやる」
「……陳腐な脅迫だな。何処の三流ドラマだ?」
「口開くんじゃねえ!」

キリエは凪いだ表情を決して崩さない。何処か気怠げな目つきすら伴い、ゆっくりと振り返り、扉にもたれかかる。そしてポケットから煙草を取り出し、愛用のジッポで点火した。たちまち昇る煙を深く吸い、吐く。

「……風穴開けるって?」

あまりにも余裕綽々な態度のせいか、引き金を引くタイミングを逃したらしい男が、ようやく我に返ったようだった。はっとした表情のすぐ後、リボルバーのグリップを握る手に力が込められるのが分かる。キリエはそれをつぶさに観察しながらも、眉一つ動揺で動かすことはしない。
口にくわえた煙草に指をかけ、息を吐く。苦い匂いが廊下中に立ちこめる。嫌な沈黙が張り巡らされた中で、キリエがにやりと笑った。

「やってみろよ」

不敵な笑み、と言えば聞こえは良いが、実態はただの嘲笑だ。首を傾け、煙草片手に啖呵を切るキリエに、危機感もなければ大した緊張感も無い。武器も何も持っていない、格闘術の経験も無いキリエは、しかし自分の優位性をまるで疑っていなかった。

「あんたみたいに、此処で暗殺襲撃企む奴は過去にも山ほどいた。私を邪魔に思って先に消そうとする奴もな。……が、残念ながら、そういう奴らの目的が達成されたことは一度も無ぇんだよ」
「何だと……?」
「嘘だと思うか? 言っとくがな、あんたの『兄さん』みたいな連中が、率先して私に治療を頼む理由の1つはそれなんだよ」

腕が良い。秘密厳守。褒め言葉としてよくそんな言葉が使われるが、ことキリエに関して言えば、実態はそんなもの二の次だ。勿論、重要な要素であることは間違いないが、此処のような都心の繁華街にほど近い場所には、キリエレベルの医者は……掃いて捨てるほどでは無いが、まあいないこともない。
だがそれでも、鳴海キリエという医者を知る者の多くは、他の医者では無くキリエを選ぶ。腕の良さだけでなく、秘密裏に治療を行うためだけでなく。キリエという人間にだけ存在する『特権』の恩恵にあやかるために。

「訳のわかんねえことを……!!」

男の怒りのボルテージがぐんぐん上がっていくのが分かる。本当に気が短いことだ。どんな怨恨があるのか知らないが、よくもまあターゲットの『兄貴分』を目の前にして今まで耐えられたものである。

「撃ってみろよ。そしたら全部分かる」

キリエの笑みは余裕と同じで崩れない。扉にもたれかかったまま、そこを退く気配はおろか、たじろぐ様子すら無い。撃鉄を起こしたリボルバーの銃口は、まっすぐキリエの脳天を向いている。引き金にかかった無骨な人差し指に、ぐっと力が込められて……

「止めろ!!」
「!?」

どんっ、と鈍い音。ぐらりと男の身体が傾く。もう少しで発砲される筈だった弾丸はシリンダーの中に留まったまま。視界に飛び込んできた小さな影に、男は勿論、キリエの表情も一変した。

「ロー!?」

ぽかんと開かれたキリエの唇から、咥えられていた煙草がぽろりと落ちた。

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