酔狂カデンツァ | ナノ


▼ 彼は神に祈る、彼女は悪魔に祈る

「うん。よし、合格」

ふよふよと右へ左へ、上へ下へと飛び回る林檎が、ひい、ふう、みい。計3つ。1つは上下運動、1つは左右へと交互に移動し、1つは空中を規則的に旋回している。それぞれを目で追ったキリエが頷くと、3つの林檎はサイドテーブルの上へと瞬時に移動する。

「じゃあ次のステップな。今度はよりオペ向けの内容になるから心するよーに」
「……おう」

あの日以来、ローの『訓練成果』は目に見えて良くなっていった。キリエの発破が恐らく効いたのだろう。妙に斜に構え、捻くれたところがある割に、この子供には妙に潔癖なところがあった。医者というものに随分粗雑に扱われたことによる医者嫌い。しかしやはり医者だったという、恐らくは彼の両親は、所謂『真っ当な』人間だったのだろう。
医者とはかく在るべき。しかし現実は……というジレンマ。それを医者であるキリエが想像することは難くなかった。形は違えども、キリエ自身も『医者』という仕事の理想と現実には、それこそ医学部時代から随分悩んだものだったから。

「この林檎を……」
「また林檎かよ」
「うるせえ。生き物の身体使うなんざ100年早ェんだよ」

たとえ山ほどいる実験用のラットでも、まだこの子共に使わせるには早すぎる。人間の死体など以ての外だ。キリエがきっぱり言い放つが、ローは唇を不満げに尖らせる。

「そんなに時間ねーっつったのはそっちだろ」
「ああ言ったな。だから早く林檎から卒業できるよう頑張れよ、チビ」
「いてっ!」

ピン、とデコピンを1つかまし、キリエの手が林檎を1つ取り上げる。

「林檎ってのは、種あるよな」
「……だから何だよ」
「この林檎の果肉に手ぇつけないで、種だけ取り出せ。以上」
「はあ!?」

無茶ぶりといえば無茶ぶり。しかし『オペオペの実』とやらの能力を信じるなら出来る筈の芸当だ。ぎょっと目を剥くローの抗議も、キリエは意に介さない。

「ちなみに1個でも取り除き忘れてたら罰ゲームな。久々の林檎三昧だ、喜べ」
「ふざけんなテメエ!」
「私はいつでも真面目だっつの糞ガキ。まあせいぜい頑張れや」

出来ねーってんなら、死ぬだけだ。
子供に浴びせるには些か容赦のなさ過ぎる科白を吐き捨てたキリエは、そのまま部屋を出た。暫く1人にしてやった方が良いと判断した結果である。負けず嫌いという言葉も少々控えめに感じるほど、ローは負けず嫌いだ。これであとは自分でどうにか出来るだろう。あとは、能力の使用時間に気をつけてやらなければ。

「キリエ先生」

ベランダで一服しようかと煙草を取り出していると、後ろから声をかけられた。振り返らずとも正体は分かる。今此処にいる患者は2人だけで、キリエを『先生』と呼ぶのはうち1人だけだ。

「……あんま出歩くなっつってんだろ、コラソン」

振り返ってみれば、そこには松葉杖(慌てて取り寄せた特注サイズ)をついた長身の大男がいる。松葉杖に身体を預けているから問題無いが、普通に立っていれば確実に天井に頭をぶつけているだろう。今はまだ良いが、そのうち移動方法を考えなくてはならない。……そして、服の問題もある。

「はは、すまんすまん。じっとしてると何か落ち着かなくてな」

無意識のうちに頭を捻りだしたキリエを知ってか知らずか、笑うコラソンはどことなく暢気だ。しかし、数日前まで全身の骨がばらっばら状態だったというのに、この快復力は正直凄い。そういえばローも、珀鉛病の症状を除けば、怪我はほぼ快癒しつつある。よく分からないが、これが『世界』の違いというやつなのかも知れない。

――本当なら全治3ヶ月に半年なんだが……。

まあ、早く治るならそれに越したこともあるまい。キリエはそうそうに、その点については折り合いを付けている。こんな仕事をしていれば、年に3回くらいはこういうおかしなこともあるものだ。

「しかし先生、意外とスパルタなんだな。びっくりした」
「おい、なんでついてくる」
「いやー、俺もたまには一服したくってなあ」

くしゃくしゃになった煙草の箱をつまみ上げて翳す。キリエは思いっきり顔を顰めた。

「吸うんなら風下行けよ」
「? 何で」
「うるせえ。そのクソ甘ェ煙こっち近づけんな。吐く」
「ひっでえな!! あいたぁ!!?」

ベランダのつるつるとした床についた松葉杖の先が、ずるりと滑る。コントのように物の見事にすっ転んだコラソンは、しかしやたら元気なリアクションで飛び上がった。

「……お前相変わらず馬鹿だな」

最初に見た時は骨の異常だの何だのを検査して大慌てしたキリエだったが、コラソンがやたらと頑丈だったことと、放っておいても歩けば転ぶ体質を見るうちに、段々とこの程度のリアクションしかしなくなった。
ちなみに彼曰く、「俺はドジっ子なんだ」らしい。それを受けたキリエが「テメエ幾つだ」と汚物でも見るような目をしたのは、つい2日ほど前の話である。
取り敢えず松葉杖を取り上げて立たせてやってから、キリエはベランダの端――風上の方――を確保した。メンソールのそれに火をつけ、深く深く煙を吸い込む。

「先生ー、煙すっげえ苦ぇんだけど。あとスースーする」
「クソ甘ぇよりマシだろ。大体なんだその図体でチョコレートフレーバーって」
「これが一番美味かったんだよ! 大体俺、もともと煙草吸うキャラじゃねーし」

吸ってる方が悪っぽく見えるから吸ってたんだよ……とコラソンは項垂れた。何だそれ、とは思うが、箔を付けるために刺青をしたりするのと同じようなものだろう。

「じゃあ禁煙しろ。煙草なんざ百害あって一利無しなんだかンな」
「先生吸ってんじゃねーか」
「うっせえ。少し黙るか息止めろ」
「ひでえなっ!!」

コラソンは心外そうに苦言を呈しながらも、大人しく自分の煙草に火をつけた。律儀にキリエの言ったことを守ったのか、ベランダのもう一方の端……要するに風下の方で、その巨体を丸めている。

「あのさ、先生」
「んー」
「ローのこと、有り難うな」
「あ?」
「良い子なんだけどさ、口が悪いだろ。素直でもねえし。まあ、良い子なんだけどさ」
「良い子良い子言い過ぎだろ。モンペかテメエ」
「? もんぺ?」
「こっちの話。……別に気にすることじゃねえだろ。糞ガキだろうが優等生だろうが、私にとっては同じ患者だ。患者である以上、治療に手ェ抜いたりも贔屓したりもしねえよ」

下手すりゃ天井壊しそうな自称ドジっ子でもな、と付け加えようとして、やめた。代わりにふーっと煙を深く吐き出す。コラソンが小さく咳き込んだ。

「先生、嫌がらせだろそれ……」
「さァ?」

恨めしげな様子で、コラソンがこちらを睨む。キリエはにんまり笑ってやった。距離しておよそ5メートル。煙草の煙はゆうに届く。

「先生性悪だよなー。分かってたけど」
「性悪結構。ンな性悪医者しか捕まえらんなかったテメエらを恨むんだな」
「別にいいさ。性悪でも、腕利きなんだろ」
「そりゃ当然。医療ミスが死に直結するからな、この仕事」
「おっかねえ……」

何を今更。キリエは喉の奥でくっくと笑った。

「だから早く完治させて出ていけよ。マジで巻き込まれても責任取んねーからな……と」

噂をすればなんとやら。上着のポケットに入れていたスマートフォンが、小刻みに震え出す。この震動は着信だと当たりを付けて取り出せば、やはり『非通知設定』の文字がディスプレイに躍っている。

「コラソン、ローと一緒に部屋引っ込んどけ」
「へ?」

スマートフォンはまだ震えている。キリエは通話ボタンを押下した。

「急患だ」

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