酔狂カデンツァ | ナノ


▼ 必要最低限の束縛

果物ナイフなんて洒落たものは家にないので、普通の菜切り包丁で皮を剥いていく。但し普通に皮を取るのではなく、出来るだけ残すようにうさぎ林檎の形に切っていく。林檎は皮やその付近の果肉の方に栄養が多いので、出来るだけ皮ごと食べた方が良いのだ。

「……」

なるべく小さく切ったその一切れを、試しに一口。口の中に広がる林檎の匂いと、甘酸っぱさ。水分もたっぷりで、まあ美味しい……筈なのだが。

「あまっ」

極端な辛党(別に酒は飲まないが)には、果物の自然な甘さもきついものがある。それでも囓った分は何とか口の中に押し込み、ペットボトルのお茶で流し込んだ。

「げほ……げほっ」

やはり余計な色気は起こすものではない。林檎剥きを一旦中断し、ポケットの煙草に手を伸ばす。メンソールの入った、それなりに濃い味の、当然ながら甘みなど欠片も無い銘柄のそれに火をつける。一息深く吸い込んで、口の中に残る甘みを消しにかかる。
1本丸々ゆっくりと吸って、残り香や味が舌から消えたところで、やっと一息つく。筋金入りの甘いもの嫌いは、治る見込みがどうにも見られない。
……ビタミン剤その他で補えるので、大してなおす気もない、というのが正しいが。

「あー、かったりぃ」

後は淡々と林檎をうさぎの形に切り終えて、適当な皿に盛る。ついでにもう1本吸おうかと少し迷ったが、結局やめた。皿を取り上げて、病室に戻る。

「よお、大人しくしてるか」
「うるせえ、してるよ」
「ハッ、減らず口が減ってねェなら大丈夫だな」

ほら食え、と林檎を口の中に押し込められたローが、もごもご言いながら林檎を噛み砕く。うさぎ林檎の愛らしさなど知ったことではないと言わんばかりだが、まあローが素直にうさぎ林檎を愛でてもなんなので、特に言及はしない。

「お−、うさぎか! 可愛いなあ!」

その代わり、未だベッドから立ち上がれないデカイ男の方が、呆れるほど素直にはしゃぎだした。ガキか、と小さく吐き捨てつつも、手に持った皿を男の方に寄越してやる。

「コラソン」
「おおっ、サンキュー先生!」

しゃくしゃくと音を立てて、男の手で摘まれた林檎があっという間に消えていく。身長3メートルはあろうかという彼の手はやはり大きく、うさぎ林檎はロボロフスキー・ハムスターより小さく見えた。
ベッドに収まらず継ぎ足したキャビネットに脚を載せている男は、しかしその体躯に見合わず妙に無邪気で子供っぽい。コラソン、と先日やっと名を名乗った彼は、2つめの林檎に手を伸ばしつつしみじみと口を開いた。

「やっぱ林檎はこうじゃないとな。摺り下ろしたやつは暫く食べたくねえ」

食感が違うんだよなあ。味は同じ筈なんだが。などと良いながら、もそもそ林檎を食べるコラソンは心底不思議そうだ。2個目に手を伸ばした彼と違い、ローは酷く嫌そうな顔で、うさぎ型の林檎を睨め付けている。

「ロー」

キリエが咎めるように名を呼べば、渋々と彼も2個目に手を伸ばした。『訓練』に使用した林檎は、おやつとして全て食べる。地味に精神に来るこの罰ゲームは、勿論キリエが考案したものである。幾ら味の良い林檎とはいえ、自分が失敗して傷を作った果物を、1日のうちに何個も食べていては、流石に飽きるしうんざりもするだろう。

「失敗したことに何の不利益も被らないと、いつか慣れてどうとも思わなくなるからな。お前の場合命かかってるから一概にそうとも言えねえだろうが、まあ気合い入れるに越したことはないだろ」

林檎なら幾ら食っても(ある程度は)問題無いし。などと言いつつ、キリエ自身は林檎を口に運ばないのだから、ローにとってはさぞ憎らしいことだろう。
ぶすっと頬を膨らませたローは、しかし睨め付けるキリエと視線を合わせない。全身から「不満です」オーラを出して、背筋を丸めて林檎を食べる。

「……鬼ババア」
「うるせえ糞ガキ」

んべ、と子供染みた所作でキリエは舌を出した。その指先が、サイドテーブルの板をとんとんと不規則に叩く。ローも顰めっ面であかんべえをした。

「姉弟みたいだな、2人とも」
「何処が」
「何処がだよ!?」
「ほら、そーゆートコ」

似たもの同士なんだなー、先生とローは。などと碌でもない発言をしたコラソンは、何がおかしいのかやけにニコニコしている。体調はさておき、精神的には安定しているようだ。

「けど、ローとの付き合いは俺の方が長いからな! 先生にはまだ負けねえ!」
「何と勝負してんだよテメエは。つか良いよ別にそっちの勝ちで」

寧ろ永遠に勝ってろアホ、と言い捨てながら、大きく笑いの形に開かれた口に、最後の林檎をぎゅむりと押し込んでやる。コラソンは「もご!?」と間抜けな声をあげたが、吐き出しはせずに、何とかうさぎを丸ごと口に押し込んだ。

「おい! コラさんが窒息したらどーすんだよこの藪医者!」
「顎を手で外して直接出す」
「それ本当に手がないときの最終手段だろ!! 何でそんな乱暴なんだよ医者のくせに!!」
「医者は医者でも闇医者ですから。麻酔無しの外科手術もえんやこらですから」

寧ろこちらが麻酔を用意しても、手足の縫合程度の手術であれば麻酔を拒否する患者の方が多いくらいだ。意識が朦朧としたり、手足の感覚が戻らないうちに奇襲をかけられることを警戒しているらしい。

「ま、真っ当に生きられない奴らってのは大変だって話だな」

けらけら笑うキリエの手は、胸元から煙草を取り出そうとしてやめた。身体の未熟な子供の前で、煙草の煙は御法度である。念のためだが、コラソンがある程度動けるようになった暁には、そのあたりは徹底させなければならない。

「……何他人事みてぇに言ってんだよ。お前はそういう奴らを食い物にしてるんだろ」
「おい、ロー」
「あっはっは。食い物たァ言い得て妙だなおガキ様」

ローが吐き捨てるように呟いた言葉は、しかし事実だ。咎めるように口を挟んできたコラソンを制し、キリエはそれはもう、極悪人のような笑い方をした。

「だけどな、チビ。そういう奴らは真っ当な医者にも普通はかかれねーの。それでも生きてるから、怪我もすりゃあ病気にもなる。そういう奴らが助かるには、私らみてぇな札付きの医者が絶対に必要なんだ。……社会のゴミだの何だの言われてても、人間は人間だ。必要悪って言葉もある。社会のバランスってのはな、お前が思ってるよりも複雑なんだよ」
「だから、禄でもない屑でも助けるってのかよ」
「そうだ。誰を助けるか誰を見捨てるかなんて高尚な判断を、たかが医者ごときが判断出来るかって話だ。医者は患者を救うのが仕事なんだよ。その患者が善人だろうが悪人だろうが関係あるか。悪人だってんなら、法の下に引きずり出して裁きを受けさせるか、そうじゃないなら、医者の出番が来る前にテメエでぶっ殺せば良い」

キリエはフンと鼻を鳴らした。

「たまーにいるんだがな、医者に向かって『あの患者は悪人だから助けるな』なんて馬鹿な事を言う偽善者共には反吐が出るね。テメエは何の手も汚さずに、こっちに人殺しさせようってんだ。ふざけてるにも程がある」
「……」
「お前らに言っておくけどな、この家に来る患者はほぼ100%、ヤクザか汚職やってるお偉いさんか、もしくは任務しくった殺し屋だ。そういう奴らでも、生きたいってんなら私は生かすために最大限やる。それが気に入らないってんなら、さっさと治して出ていくこったな」

キリエは、最後は欠伸混じりに言い放ち、そしてガリガリと頭を掻いた。そのうち空になった林檎の皿を持って病室を出ようとしても、残される2人は声をかけてこようとはしなかった。

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