酔狂カデンツァ | ナノ


▼ かみさまなんていないのよ

「この、世界……?」
「月……」

まったく、我ながら非科学的且つ非現実的極まりない考察だと、鳴海キリエは心の奥底で自らの言葉を失笑した。医者という立場からも、幾ら非合法とはいえ社会の歯車の一員として働いている身分からも明らかに『異常』であるその診断へ、いっそ嘲りすら籠もる。
ぽかん、と揃ってオマヌケな顔を並べる男と子供を交互に見て、溜息一つ。そりゃあキリエとて、こんなアホみたいな考察を並べて口に出すなど、普段であれば御免である。

「現実味が無いのは分かる。私の頭がおかしいんだと思いたくもなるだろ。けど、お互いの主張がどちらも『真』であると仮定するなら、もうそれしか無いんだよ。あたしはローが言った海の名前も『フレバンス』なんて国名も知らない。というか、そんな国や都市が存在してた事実は多分無い。そんでもって……」

と、ポケットからスマートフォンを取り出したキリエは、それを弄りながら歯噛みした。

「あたしの言ってることが『真』だってことは、あんたらが此処にいる以上幾らでも証明できる。何が知りたい? 世界情勢? 経済構造? 医療技術? サブカルチャー? 取り敢えず何か言ってみろ。表面的なことなら幾らでもすぐ引っ張って見せてやる」
「コラさん……」
「……」

判断に迷ったらしいローが、後ろでまだベッドから立ち上がれない『コラさん』を振り返る。介護用としても愛用される入院用ベッドに寝て、上体だけを起こした彼は、酷く難しい顔をしていた。

「……いや、大丈夫だ。あんたが言うことを信じる」
「へえ」
「コラさん!?」

ややあって彼が下した判断に、キリエは片眉を上げ、ローは酷く狼狽したようだった。

「良いのかコラさん!? こんなわけわかんねえ乱暴女の言うことだぞ!?」
「オイこら命の恩人に向かって随分だな糞ガキ」
「あだだだだ!!」

びしっ、とキリエを指さす人差し指を両手で掴み、折れない程度にぎりぎりと反対側へと折り曲げるべく力をかける。『折れないように』『折り曲げる』というのも矛盾した話だが、そんな細かい点に突っ込んではいけない。いけないったらいけない。

「いっってええな、本当に医者かよテメエ!!」
「本当に医者だよ。闇で無免許だけど藪じゃねえな」

私みたいなのが一定の需要あんのは分かるだろ。と、真面目腐ったことを言ってやれば、案の定「そういう意味じゃねーし!!」とローはキレた。沸点の低い子供である。しかしこの子供の体調を考えると、あまり興奮させるのは良くない。

「うっ……!」
「ロー!」
「って遅かったか……分かった分かった。謝るからあんまカッカすんな。寿命縮めんぞ」

既に1ヶ月弱程度の寿命であろう子供に、『寿命縮むぞ』と脅すのも妙な、或いは酷な話である。立ち上ってきた咳が酷く湿っているため、キリエはスマホを持っていない左手で、側の洗面器を寄越した。
あまり咳をすると喉が切れるが、恐らくこれは嘔吐の前兆である。下手に堪えて喉や腹に溜まるくらいなら、出せるときに出してしまった方が楽になる。

「ぅ、お、えっ、ぇぐ……!」
「ロー! あいで!?」
「動くなアホンダラ。くっつきかけてる骨がずれるだろ」

ローの背中をさすろうと手を伸ばした男の額に拳骨を落とす。綺麗に入ったせいか涙目になっている奴をそのまま放置し、代わりに骨の浮いた子供の背中をさすってやった。ついでに人差し指で肋を服越しに叩き、異常を確認する。……やはり、骨はまともらしい。レントゲンからも異常は見つからなかったが、やはり『珀鉛』なる物質は内臓を重点的に汚染するようだ。

「ほらおチビ、水だ。ゆっくり飲めよ」
「ん……」

はー、はー、と荒い息を何とか整えようとしているローに水差しを差し出す。キリエがその際ちらと窺った男の顔色は青く、明らかに狼狽えていた。

「……」

水差しを支えてやる手と、背中をさする手をそのままに、キリエは注意深く男の様子を窺う。開き気味の瞳孔、僅かな発汗……興奮状態。同時に血圧の低下が顔色から読み取れる。……少なくとも、この子供を本気で心配しているのは、嘘では無いらしい。
キリエはそこまで考えて、小さく小さく、誰にも聞こえない程度に嘆息した。なし崩しに拾った人間が、子供に手を出す屑でないことに、遅ればせながら確証を持てたのだ。
その気になれば誰でも適宜流せる涙ひとつでは、鳴海キリエは人間を信用しない。

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