戀という字を分析すれば | ナノ
 手を差し出す

世の中には不思議なことが沢山ある。山ほどある。星の数ほどある。――というのが、祈の家族の口癖だった。それを口にするのは祈の父であることもあれば、その姉にである歌子伯母であることもあり、はたまたその伯母の夫(つまりは伯父)であることもあった。
世の中には人間の考えなど及びも付かないことがあり、常識なんぞ鼻で笑うようなことがあり、この世界の広さに比べて、人間の知恵など狭く浅い水たまりに過ぎない。
だから、たとえ目の前でどんなにおかしなことが起こったとしても、それを頭から否定するようなことは絶対にしてはいけないのだ、と。

「とはいうものの……ものにはちっとばっかし限度があると思うんだけどねえ」

どーなのそこんトコ、と腕組みをして続けた祈の視線、その先で、真っ赤な真田幸村少年が決まり悪げに縮こまる。
それにしても、素肌にレザージャケットなんて寒くないんだろうか。お腹丸出しで一歩間違えれば変態として通報されそうな格好なのだが、彼自身のイケメンオーラで全くそんな危ない感じには見えない。イケメンは得だなと祈はこっそり独りごちた。

「帰って早々『息子が出来た』なんてアホな電話寄越してくるから何かと思えば……」

ちろ、と隣の――踏ん反り返らんばかりのドヤ顔だ――伯母を見れば、彼女は何でも無いように肩を竦めてみせる。悪びれた様子の欠片も無いそれは、彼女の常だった。

「だァって、良いじゃない。うちの中で倒れてたのよ? 行くところもないし帰る方法も分からないってんだから、それならうちが引き取るのが筋ってモンでしょうが」
「限度があるっつの。犬猫ならまだしも人間だよ? 大丈夫なの色んな意味で」
「勿論!」
「何を根拠に……」

祈の伯母である彼女は、旧姓を『妹尾』だが今の姓は『渡来』である。つまり結婚していて旦那もいるのだが、彼女たちの家に子供はいない。故に時々祈の面倒を見ていた以外では子育て経験などないし、しかも今回は16歳(自己申告)の男子だ。本当にその自信は何処から来るのか不明である。

「……そこまで言うなら止めないけど、ご近所には上手く説明してね」
「はいはい分かってるわよ。全く、我が弟に似て口うるさいんだから」

伯母の言い草にやれやれとアメリカンな動作で肩を竦める祈は、そのままちらりと向かいに座る幸村を見やる。彼は何だか酷く驚いた顔をして、まじまじと此方を見ている。

「何?」
「……はっ! い、いやその、何と申すか……よ、宜しいので?」

歯切れの悪い口調の少年に、「何が」と首を傾げる。すると彼は何とも言いがたい顔をした。

「自分で申すのもなんですが……貴殿から見て某は不審な者でしょう。それをお身内が家に置くなどと仰っておりますのに……」
「伯母さん言っても聞かないし。それに何かする気なの?」
「いいえ! そのようなことは決して!!」
「ならいいじゃん。泥棒でもなし、行く宛も戸籍も常識もない未成年なんて、このままほっぽり出す方が寝覚め悪いっしょ」

歌子と夫・冬弥の夫婦には、先にも述べたとおり子供がいない。そしてそれなりに収入がある二人は、普段その金をもっぱら歌子の趣味のためにしか使用していない。つまりまあ、突然増えた『息子』相手に使う分くらいは余裕であるということだろう。

「部屋余ってるし、私も少しじっとしてるつもりだし。そうだ祈、お土産あとで渡すわ」
「ん、あんがと」

歌子の趣味は放浪である。この場合、旅行とは言わない。飛行機代と土産物を買うための金だけを持って、格安旅客機で好きな場所に行き、そのまま数週間から数ヶ月は帰って来ない。若い頃はバックパッカーなどもしていたらしく、今もそれほどではないが結構な貧乏旅行をしているそうだ。何処で何をしていても大体元気で帰ってくるので、祈は勿論、冬弥もあまり心配はしていない。

「そういうわけで、基本私が色々教えるつもりだけど、祈ももうすぐ夏休みでしょ? 悪いけど手が空いたらフォローに来て頂戴な」
「はいはい」

まあ、祈としても事情を知った以上は観て見ぬふりをする気はない。何よりこの伯母は楽しいことが大好きだから、祈が拒否したところで全力で巻き込んでくる気だろう。

「つってもテスト期間とか模試の前は勘弁ね、流石に勉強しないとだし」
「やだ、あんたそこまで切羽詰まってたっけ? 成績良かったわよね?」
「成績良くても勉強はするんですー。ていうか受験生だっての、私」

内申良くないと不利だし、とぼやくように告げて、祈は自分のグラスに口を付けた。歌子特製のアイスココアは今日も美味しい。
ちなみに、ココアを最初一目見て「この国では泥を飲まれるのですか!?」とベタな反応で驚いたという少年のグラスは、更に進んで4杯目である。

「ま、そういうわけだからさ」

頬杖をつき、おざなりな動作で幸村を見やる。居心地悪げだったり無我夢中で菓子を頬張ったりと忙しそうだった彼は、祈の視線を受けてぴんとその背筋を伸ばす。まるで主人の指示を待つワンコのようだなどと、ほぼ初対面の相手に対して大変失礼なことを考えてしまう。

「私、妹尾祈。歌子伯母さんの姪っ子」

よろしく、と手を出してみたものの、少年は取らない。ますます背筋をぴんと伸ばして、「こちらこそ!」と声を張った。

「改めて名乗りまする。某は真田源二郎幸村と申す者。甲斐・武田が武将のひとりにござる。未熟者故ご迷惑をおかけするやも知れませぬが、どうぞよろしくお願い致しまする!」

ぴしっと音がするほど伸ばした背で、一礼。流れるような綺麗なそれは、ビジネスマンのそれとは似ているようで何かが違う。礼儀正しいのは結構なのだが、差し出したまま宙ぶらりんのこの手は一体どうすれば良いのか。

「あ、あの、この手は……?」
「握手だけど」
「……? あく、しゅ、でござるか?」

真田源二郎幸村、と何だか長ったらしい名前を名乗った少年が、戸惑ったように尋ねる。彼の生きてきた環境に握手の文化はないのかと、祈は少し拍子抜けした。

「南蛮の挨拶だよ。お辞儀の代わりみたいなモンかな」
「何と! 妹尾殿は南蛮の文化に造詣がおありなのですか?」
「この時代この程度なら皆知ってるよ。分かったら右手出して、右手」
「承知した!」

ずい、と祈より一回り以上大きな右手を差し出してくる幸村。が、その手は広げられたままで、一向に此方の手を握る気配が見えない。……ああ、そこからか。祈は溜息と共に、宙ぶらりんだった自分の手で少年のそれを握り込んだ。

「んなあッッ!?」
「手ぇ握るんだよ。握手だっつってんじゃん……って、どうしたおい」

その途端、まるで塩酸につけたリトマス紙のように、首まで真っ赤になっていく少年。

「は……は……」
「歯?」

一体どうしたと顔を顰める祈に、彼は金魚のようにぱくぱくと口を開閉してみせ、

「破廉恥でござるうううう!!」

鼓膜に大変優しくない『大』絶叫を、部屋、家どころかご近所中に轟かせたのだった。
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