戀という字を分析すれば | ナノ
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真田幸村。本名は真田信繁。かの徳川家康をその命の瀬戸際まで追い詰めたとされる武将で、真田十勇士を従えた知将として名を今も轟かせている。しかしその出生については謎が多く、実の母親についてすら諸説有り。また彼の手足であったとされる真田十勇士については実在すら怪しまれている始末であり、大阪夏の陣を除く彼本来の武功・武勲については、今なお議論の余地が多く残っている、らしい。
……此処までが、某百科事典サイトから得た、所謂『武将・真田幸村』についての大まかな知識なのだが。

「うまいでござる!」

この少年が本当に『その』真田幸村なのか。祈はどうにも判断が付かない。ので、取り敢えず祈は彼を『自称・真田幸村』とすることにした。勿論心の中だけで、だが。

(てか、戦国時代でこのカッコと体格はないよーな気が)

時代考証無視しまくりではないか。砂糖たっぷりのココア(既に2杯目)のお茶請けに、クッキーを貪り食う自称・真田幸村を見つめ、祈は絶句する。
彼の身に纏っている革製ジャケットっぽい服装もさることながら、戦国時代の人間にしては明らかに等身が高いし顔も小さすぎる体型も気になる。細マッチョというほど細くも無いが筋骨隆々とした暑苦しくごついタイプでもなく、程良い逞しさを感じる。脚も長い。
もっと言うなら、正直昨今のテレビを賑わせているアイドルなんぞ鼻で笑って鼻息で吹き飛ばせるような美形だ。個人の好みを跳び越える美形、とでも言えばいいのか。正統派にも程がある。二重まぶたに長い睫毛、髪や肌はやや荒れているが鼻も高いし、薄い唇の形も美しい。

「脳内生態系崩れた……」

祈ははふりと溜息を吐いた。別段好きな芸能人がいるわけではないのだが、何となく今後テレビを観る度に映るアイドル達にがっかりしてしまう未来が見えてしまった。

「? どうかされたでござるか?」
「何も」

クッキーの食べかすを付けたまま、きょとん顔でこちらを見る自称・真田幸村。祈はふるりと首を横に振った。別段言う程のことではない。その代わり、彼に食べさせるお菓子を嬉々として探している伯母をちらりと横目で見やり、「取り敢えず整理しようか」と口火を切った。

「『此処』に来るまでのこと、本当に覚えてないの?」

『此処』というのは、祈の伯母夫婦が住まうこの家という意味でもあり、そしてこの国あるいはこの時代という意味でもある。まるで子供のように見慣れぬ菓子類や飲み物に顔を輝かせていた自称・真田幸村は、祈の言葉にたちまちしゅんとしてしまう。

「お館様の遣いで、小田原に向かっておったのは間違いないのですが……」
「小田原? っていうと……北条氏?」
「然り。先だって我らが甲斐は北条と同盟を組むことと相成りました故、恐れ多くも某が名代として氏政公の元に参じることとなったのです。その道のさなか、共の兵と馬を休ませるため相模川に立ち寄ったのだが……」
「そっから先の記憶が無い、と」
「……その通りでござる」

しょぼくれる自称・真田幸村を余所に、祈はふむ、と唇に指を当てる。

「で、伯母さんがこの家で倒れてる君を見つけたわけだ」
「そうよ」

祈の伯母・歌子は昨日、1月にもなる中央アジアの旅を終えたばかりだったという。大荷物を背負って、各地から買い集めたものを専用の部屋に飾ろうとしたところ、その部屋で俯せになって倒れている人間を見つけてしまったらしい。
本来ならそこで警察を呼ぶなりなんなりすべきだろうが、21世紀日本にしては奇妙すぎる格好と雰囲気が気にかかってならず、考えた末通報はしなかったのだそうだ。勿論、共に暮らしている夫には事情を説明した上でだが。

「伯母さん大物だね」
「やァだ、褒めても何も出ないわよ?」
「別に褒めてないよ。許可する伯父さんも伯父さんだけどさあ」

不審者相手に親切したなと思っただけ。とは口に出さずにおく。歌子が怒るのは別に痛くも痒くもないが、この気の毒なくらい悄気返った少年を『不審者』と称するのは、さしもの祈も良心が咎めたのだ。
代わりに、歌子が新しく持ってきたエンゼルパイを、さっきの落ち込みはどうしたんだと言いたくなるような勢いでもぐもぐし始めた彼に、「話聞け」と短く吐き捨てる。

「此処さ、君らの言葉で言うと大体武蔵国の辺りなんだよね」
「むひゃひ……んぐっ。む、武蔵、でござるか?」
「うん」

口の端にチョコレートがついたままであるが、面倒なので祈は指摘しない。

「だからさ、君の言う甲斐や小田原が私が知ってるのと同じだとすると、ちょっと場所ズレてんの。……ちっと待って」

歌子が以前何かの拍子に買ってくれたタブレットを操り、手早く日本地図を出す。見慣れぬ薄い板に映し出された精密な地図。自称・真田幸村が「何と面妖な!!」とやはり耳の痛くなる声で感嘆した。美声は美声なのだが、ひたすら音量が酷い。

「此処が甲斐……で、この辺が武蔵。で、うちがあるのが武蔵の、大体この辺」

関東と近畿の辺りを拡大し、大体の目安で甲斐、武蔵のあたりを円で囲う。そしてこの家の住所あたりであろう場所にドットを打ってみせると、自称・真田幸村もまた「ふむ」と難しい顔をした。

「某達の立ち寄った川は相模川なのですが……」
「相模っていうと、神奈川か。……この辺だね」

相模川を検索し、おおよその位置を確認する。それこそ21世紀の日本なら1時間足らずの距離だが、馬が最速の手段であるという彼らには、この距離をそんな短時間で詰めるのは無理があるだろう。

「ずれておりまするな」
「ね?」

近いと言えば近いが、これは地図上の感覚だけだからだろう。相模川と歌子の家には多分何の繋がりもないだろう。歌子は世界中を飛び回っている分、日本国内には驚くほど関心を払わないのだ。

「まあでも、此処に来たのは不幸中の幸いかもね」

幾らなんでも『自分は真田幸村だ』なんて大真面目に名乗る相手の話を、まともに聞く人間は然程多くないだろうから。祈がそう告げると、自称・真田幸村は頭にクエスチョンマークを浮かべた。「名を名乗って何故受け入れられないのか」と心底不思議がっているらしい彼は、年頃の割に何処かあどけない。

「此処が、君らが生きてた時代より500年くらいは先の時代ってのは伯母さんから聞いたっしょ」
「うむ」
「真田幸村ってさ、今の日本でならトップ10か、20くらいには入る有名な人なんだよね。だから名乗ったところで同姓同名の別人か、下手したら『自分を戦国武将と思ってる頭の可笑しい人』って括りに入れられちゃってたかも知れないわけ」
「な、何と……!」

寧ろ後者の方が確率的には高そうだ。実際歌子が信じていなければ祈自身、彼をそういう括りに入れて病院送りにしていたかも知れない。……否、

「それは無いか……」
「? 何がでござろう」

歌子の判断は間違っていない。祈はそっと心の中で思う。
別段何かに敏感だというわけでもないが、確かに彼はこの世界の誰とも、何かしらが違う。雰囲気と言えば良いのか、気配と称すれば正しいのか。言葉にするには何とも曖昧な『何か』が、彼は祈の知る誰とも異なる。
何がどう違うのかと聞かれても、祈の語彙でそれを表現するのは酷く難しいけれど。

「気にしないで、独り言だから」

だからきっと、自称でも何でも無く、彼は『真田幸村』なのだ。時代考証からズレた格好をしていても、当時の人間としては体格が良すぎていても、目の前で子供みたいな顔をして洋菓子を食らっていても、きっと彼は嘘を吐いていない。
きょとんとする彼に、祈はそっと首を横に振った。
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