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恥じらうミモザ
獄都の季節と天気は東京都とシンクロしている……ということを教えてくれたのは、確か肋角だったと思う。東京が夏なら獄都も夏だし、獄都で雨が降っていれば東京都も雨なのだそうだ。気温も大体同じなので、東京では必須だったコートが、同じ時の獄都では不要、ということはまずもって無い。そしてその逆もまた然りである。

「斬島さん……?」

本日の東京は最低気温8度、最高は12度。天気は青天で、風力は1。寒いといえば寒いがこの時期にしては随分マシ、という天候だった。つまり獄都も、同じ日同じ時間帯であれば大体同じようなものである筈なのだ、が。

「どうした?」

目を白黒させて出迎えた名前(今日はいつもの如く地獄堂からの遣いで来ていた)と裏腹に、ノックと共に部屋に入ってきた斬島は実に平然としていた。
しかしその腕には今の気温には少々大袈裟すぎる国防色のコートが抱えられており、履いている長靴も明らかに寒冷地仕様のそれだった。
何より、その顔色は普段よりいっそう青白く、唇も紫色。おまけにその髪や意外に長く量の多い睫毛には、何故か氷の粒が幾つもくっついている。もっとも、それは室内の暖められた空気のお陰で次々に溶けていっているようだが。

「どうした、は、こっちの科白ですよ。何でこんな……一体何があったんですか?」

反射的に荷物を持っていない方の手を取れば、それはまさしく『氷のように』冷たかった。普段から体温が高い方ではないというのに、この冷え具合は更にその上の上を行く。一体何処で何をしてきたのか。任務だとしても一体何故。
ぐるぐると混乱し始めた名前を余所に、何処までも冷静な斬島は「ああ」とひとつ肩を竦めた。

「任務先が虎々婆地獄だった」
「ここば……? あ。あー……そういうこと」

確か八寒地獄のひとつだったかと、名前は記憶の中から以前読んだ本の知識を引っ張り出した。八熱(八大)と対を成す八寒地獄。基本的に炎と武具による責めが多い八大と異なり、凍り付いて身体も裂けるような寒さと氷でもって亡者を苛む場所である。
そんな場所に行ったとなれば、それはこの装備も冷え具合も当然か。名前は取り敢えず得心はしたものの、同時に脱力した。

「寒かったでしょう? 霜焼けは大丈夫ですか?」

こうして両手で握っていても、斬島の手はなかなか温もらないようだった。緩くだが摩って摩擦熱を加えようとしてみても、正直焼け石に水という感じが否めない。名前は無意識に柳眉をハの字にした。

「冷たいですね」

獄卒の仕事は過密で過酷だ。今更ながら改めてそう思う。夏だからいいというわけでもないが、冬にそんな場所に赴かされるというのは正直きついにも程があると思う。というか、そもそも刑場に季節は関係しているのだろうか。

「ひゃっ」

ぐるぐるとどうでもいいことまで考え始めた名前を咎めるように、脱いだコートを腕にかけた斬島の――名前に捕まっていなかった方――手が、やおら名前の頬に触れた。しかしあまりの冷たさと突拍子の無さに、名前が反射的に身体を竦ませると、逆に慌てて離れてしまう。

「すまん、冷えたか」
「だ、大丈夫です……けど、」

一瞬で強張った身体を叱咤し、離れようとした手を捕まえる。それはやはり『ひんやり』などという言葉が生やさしいほど冷たくて、名前はますます眉を顰めた。

「冷たい……」

暖められた部屋の中ですら心配になる体温だ。普段の『ひんやり』であれば寧ろ心地よいくらいであるというのに、これでは不安になるばかり。何とか早く温かく出来ないものかと、無防備に緩く開かれた斬島の手を、名前は自らの頬に押し当てた。

「つめたっ」

ずっと室内でぬくぬくと甘やかされていた名前の肌は、意識していたとはいえ突然触れた冷たいものによって一瞬で粟立った。殆ど自業自得であるその有様に、さしもの斬島も少しだけ困った顔をする。

「当たり前だと思うが」
「知ってますよそんなの。……もう」

最初にやったのは斬島さんだったのに、と小さく苦言を呈して見れば、斬島は困った顔のままむっつりと黙ってしまう。名前はそれによってすぐさま(元々大して損ねてもいなかった)機嫌を直し、くすくす笑い出す。

「任務は終わったんですよね?」
「ああ、あとは報告書だけだ」
「よかった」

この期に及んでまだ終わっていない、などと言われても、引き留めずに居られる自身は全くなかった。勿論仮にそんなことをしたところで、何の権限も力もない名前に引き留めることはおろか、単純に斬島を困らせるだけで終わるだけなのだが。

「閻魔大王様も人(鬼)使いの荒い方ですねえ」

顔も姿も知らない地獄の主の名を上げれば、斬島には「そうか?」と首を傾げられてしまった。他に比較対象も知らないからだろう。生真面目といえば生真面目な返し。名前はまた笑った。

「……あ、そうだ」

きゅう、と力を入れて自分の頬と斬島の手のひらをくっつける。相変わらず冷たいが、少しはマシになっているのは分かった。気の抜けた笑みを浮かべた名前は、ゆるりと目尻を和ませて斬島を見上げる。

「お帰りなさい斬島さん、任務お疲れ様です」

すっかり忘れていた挨拶を紡げば、斬島もまた、普段は真面目な様子につり上がった眦をほんの僅かに撓ませる。

「ただいま」

するりと吐き出された返しに、名前はますます笑み崩れた。子供っぽい自覚はあるが、こういう当たり前のやりとりが好きで堪らないのだ。特に最初は言われる度に驚いていた斬島が、今や何の淀みも無く「ただいま」と言ってくれるというのが、堪らなく嬉しい。ほんのちょっぴり、照れくさくもあるけれど。

「さて」

名前のそんな浮かれた心境を見計らったかのように、『それ』はあまりにも突然、彼らの鼓膜を震わせた。

「お前達が仲睦まじいのも、斬島の任務が滞りなく終わったのもよく分かった」

名前はかちりと全身を凍らせ、斬島はごく自然な動作でそちらに顔を向けた。
低く、穏やかな『声』に、怒りや叱責の鋭さはなかった。部屋に染みついた煙草の香りを上書きするように、ふう、という吐息の音と同時に新しい煙の匂いが漂う。

「が、俺としてはそろそろ仕事を進めねばならん」

からかうような響き、面白い玩具でも見つけたような声音。怒りや叱責の鋭さこそないが、それが逆に嫌な発汗を促してくる。名前は壊れたブリキ人形のように、ぎぎぎ、とぎこちなく『声』のする方を見る。斬島はごくごく自然に両手を取り戻し、背筋をぴんと伸ばして敬礼した。

「すまんが斬島、手短で構わんから報告を頼む」
「はい」

体中の血液が脳と顔に集まっていくかのような錯覚。ばくばくと煩いほどになり出す心臓の音は、何故か耳のすぐ側で聞こえてくる。隣に立つ青年があまりにも平然として居るせいで、逆にその分の羞恥までこちらに回ってきているかのようだ。
瞬きを忘れた視界の先には、立派な執務机と、そこで書類を見ていた風情の男性。そういえば此処は彼の執務室で、日中というか仕事中であれば彼は大抵此処に居る。というかそもそも、自分が今此処にいるのは彼に用事があったからで。それこそ斬島が戻るほんの数秒前まで、名前はこのひとと話をしていたわけで。

「ただいま戻りました、肋角さん」

斬島が何でも無いように帰還を告げると同時に、名前の羞恥心は声にならない悲鳴として氾濫した。

 ◆◇

「無理……もぉ無理……絶対無理……無理……」

両手で幾ら顔を覆っても、真っ赤に染まった耳や指の隙間から垣間見える肌は隠しきれるものではない。無言と唸り声と念仏のような「無理」を繰り返して蹲っている名前を、肋角は実に楽しそうに見ている。対する斬島は何だか不思議そうだ。

「名前、どうした?」
「どうしたって……どうしたって……!」

それを本気で訊いてくる斬島さんが怖い……!
悲鳴のような声を上げる名前だが、相変わらず斬島は不思議そうに首を傾げるばかりだ。そこに羞恥はおろか居たたまれなさすら欠片ほどもない。
息子同然の部下と娘同然の少女を交互にみやった肋角は、酷く愉しげに煙草を吹かす。実際、彼は今大層愉快な気持ちだった。

「そりゃ、そりゃ私が一番悪いですけど……でもだって、でもでもでも……!」
「何か悪いことでもしたのか?」
「だからどうしてそれを貴方が聞くんですかあ……!?」

伏せた顔を両手で覆い隠し、項垂れている名前は何だか泣いているようだ。いや、実際多少涙目にはなっているだろうが。そんな様子に、斬島も原因の心当たりこそ無いものの多少焦ったらしい。「どうした?」「具合でも悪くしたか?」と、悪気はないものの見当違いのことを尋ねるのがますます面白かった。

「斬島」

ひとしきり彼らのそんな様子を楽しく眺めた肋角は、そろそろ良いだろうとまず息子の方を制する。此処に災藤がいれば「悪趣味なんだから」などと言いながらも同じように楽しんでいただろうに、今日に限って閻魔庁へ出向してしまった副長は全く運の無いことである。
もっとも、名前にとっては不幸中の幸いだったに違いないが。

「名前、そう拗ねるな」
「……」
「からかったのは謝ろう。斬島も困っている。顔を上げなさい」
「……拗ねてないですもん」
「ああ、そうだな」

ふて腐れたようにそっぽを向きながら、けれどもまだ赤く染まった顔を少しだけ上げる名前。口元を両手で隠す所作は子供染みていて、幼い。途端に疼いた悪戯心の唆すまま、肋角はもう少しだけ『余計なこと』を言う。

「心配しなくても、お前がいつ嫁に来たところで俺は驚かんぞ」
「……は、」

硬直10秒、折角少し引いていた血液が、再び戻ってくるのに6秒。

「――おじさまのばかっっ!」

半分悲鳴、半分怒号の名前の声が、特務室の館中に響くのは、更に2秒後のことである。

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