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あやしきあやかし夢の中
窓のひとつも無い、床も壁も天井も灰色をした埃っぽい部屋。正面の壁には扉が3つ、それぞれ赤・青・黄に塗られている。照明の類は天井にも足下にもないが、何故か周囲を伺うことが出来る程度には視界は明瞭だ。

『ルールは理解した?』

実に軽いノリでそう問うのは、小さな少女だ。身長は名前の腰くらい。ぼさぼさの髪の毛に割れた眼鏡。ボロボロのスカートに染みと皺だらけのブラウス。靴下は片方なくて、靴は靴底が禿げている。青白い顔をしたやせっぽちの少女は、目だけが異様に大きく、そして口が耳元まで裂けている。
人間っぽい見た目だが、恐らく人間ではない。『花子さん』のような怪談、都市伝説から生まれた怪異だろう。早急にそう当たりを付けた名前は、けれど口には出さずひとつ頷いた。少女はにんまりと満足げに笑う。

『じゃあ、頑張ってねー!』

軽くウィンクして消えていく少女を見送り、名前ははふりと嘆息する。そして目の前に立つ3色の扉を、とっくりと眺めた。
幾ら普段から日常的にイラズの森を歩いているからと言って、名前はトラブルの火中へと自ら首を突っ込んでいくタイプでは、本来は無い。勿論、そこに友人やら家族やら、自分の親しい者達が巻き込まれるというのであれば、寧ろ率先して自分も足を踏み入れる。だが自分とは全く関係の無い土地や人の問題で、尚且つ放っておけば何ら害の無いようなものであれば、そこをわざわざ藪蛇になるような真似はしない。

「うーん」

では何故、このような怪異に今、名前が巻き込まれているのか。
それは単純に、この怪異が『噂』を媒介として広がるものであり、且つ多くの人間(半人前の術師を含む)が無防備になりやすい『夢』に干渉してくる類のものだからである。

「何だっけ、えーとそうだ、結構噂になってたやつ」

脳裏をよぎったのは、つい数日前に同級生から聞いた、最近上院町の小学生を中心に噂になっている怪異である。
どういう話かというと、

『その噂話を聞いた人の夢に、7日以内に不気味な少女が現れる。少女が出す謎かけに答えられないと、夢の中で少女に殺されてしまう』

という、まあ何処かで聞いたような話だ。夢の中で謎かけを出してくるという話は昔から割と良くあるし、答えを間違ったら死んでしまう(或いはそれに類する『罰ゲーム』が科せられる)というのはお約束である。
ともあれ、そういう噂が上院小学校を中心に広がり、友人を通して名前の耳に入ってきたのはつい2日前のことである。こういう噂の怪異は人の恐怖心に付け込むのが常であるため、名前としては「まあ大丈夫だろう」と高をくくっていたのだが……。

「波長が合っちゃったんだねえ」

人間同士がそうであるように、対幽霊や怪異にも『相性』は存在する。人間にも話しかけやすい相手と近づきがたい相手がいるように、彼らにも干渉しやすい人間とそうでない人間がいるらしいのだ。今回は恐らく、名前が他の誰よりも「近づきやすかった」のだろう。
……とまあ、こんな考察は今は横に置いておくとして。

「仕方ないかなあ」

ボロボロの衣服を着た小学生――に、見える怪異――が名前に出した謎かけは、所謂『迷路』のようなものだ。あらかじめ少女が告げた道順の通りに道を辿り、正しいゴールへと向かわなければならない。

『此処に3つのドアがあるよね? まずは赤いドアを開けて中に入る。そうすると廊下があってそこを進むと分かれ道があるから右に、更に歩くと今度は3つに分かれてるから真ん中、次も3つに分かれててそこは右。昇りと下りの階段があるから昇る。そうすると今度は4つのドアがあるから左から1番目を開ける。出た先に行けば階段が5つあるから左から2つ目を下る。今度はドアが2つあるからそこを左。それがゴールだよ』

メモを取る余裕すら持たせない早口で告げた怪異の少女は、そのまま空気に融けるように消えてしまった。後に残された名前は、しかしこのまま立ち止まっているわけにもいかず、さて、と肩を竦めて扉の方へと近づく。
名前は決して記憶力の悪い方では無いが、それでも怒濤のように告げられた道筋を一度で全て覚えられる程ではない(『噂話』には少女の謎かけの内容までは出てこなかった)。取り敢えず覚えているところまでは行ってみようと、名前はひんやりと冷たいドアノブに手をかけた。

「まずは、赤いドア」

扉の向こうは別世界……ということもなく、扉を潜る前の部屋と同じ材質の床と壁、そして天井で構成されていた。空気は相変わらず、何処かじっとりと生ぬるい。

「分かれ道を、右」

T字路状になっている廊下を右に曲がる。カツカツという足音だけが響き渡るのが何とも不気味だ。空気は不自然に温かいが、決してほっとするようなものではなく、逆に冷や汗の出てくるような類だ。空気そのものは淀んでいる。夢の中なのに。
そうだ、夢。夢といえば。

「私、いつ寝たっけ」

此処は夢だ。夢だということは、身体は寝ているわけで。しかし記憶の糸を手繰ってみても、夜にベッドの中で目を閉じた記憶が無いのは……。

「あ」

割り方するりと出てきた直前の記憶を思い返し、頓狂な声を上げる。現実世界でどれほど時間が経っているのかは定かではないが、しかしこれは――。

「運が無いなあ」

思わずそんなことを呟きつつ、今度は左右と真っ直ぐに伸びた廊下を真っ直ぐ歩く。歩いてきた道がどうなっているのか少し気になったが、振り返るのはやめておいた。
真っ直ぐ廊下を歩く。歩く。廊下の空気は変わらない。窓のひとつもないせいもあり、少し息苦しいくらいだ。歩いているだけの夢ではあるが、これも一種の悪夢だろう。失礼を承知で言うなら、あの少女自身は間違いなくホラーだったが。

「今度は、右」

またも現れた三つ叉の廊下を右折。すると今度はすぐに階段の踊り場が見えてきたので、そちらを上へ。何となく手すりの向こうから下を見ると、下へと続く階段の方に少女が立っていた。こちらをじっと見つめている……否、睨み付けている、という方が正しいか。

『ちぇっ』

舌打ちされた。次の瞬間には音もなく消えてしまったが、多分何処かで見張っているのだろう。此処は完全に怪異の領域なので、気配を探るのは容易ではない。裕介や蒼龍くらい感覚が鋭ければ話は別だろうが。
とはいえ、出来ないことを嘆いても仕方が無い。名前は真っ直ぐ伸びていく階段をカツカツと上がる。結構無防備にしているのだが、相手が襲ってくる気配は無い。脅かすようなこともないし、何だか逆に拍子抜けするくらいだ。しかし此処はあくまで怪異の領域。あまり油断している訳にもいかない。というか、この状況に巻き込まれたのが既に油断した結果と言ってもいい。

「左から1番目のドア」

ドアノブを捻って開ける。また歩けば今度は下り階段が5つ並んでいた。左から2番目のものを選んで降りると、今度は割り方すぐに2つのドアが見えてきた。両方とも観音開きで、作りはそっくり同じ。色違いでもない。
両方を見比べた名前は、しかし躊躇うことなく左の扉を開いた。

『あはは! 大正解! おめでとーう!!』

扉の先には例の少女がいた。先ほどと同じボロボロの格好に、不気味な笑みをにたにたと浮かべている。

『この勝負は君の勝ち! 凄いねー! 頭良いんだね!』

怪異にあるまじきハイテンションだが、そこはそれ。ぎょろついた目玉と裂けた口元を歪に歪ませた少女は、くるくる踊るようなステップで名前の周囲を回る。

『あたしの噂話は知ってるよね? あれは本当のことなんだよ。君が負けたら君の命を貰う手はずだったの』
「……」
『でも今回はあたしの負け。だから……』

残念そうに肩を竦めた少女。しかしそれは本当に一瞬だけ。次の瞬間、彼女は再び不気味な笑みを浮かべ、真っ赤に血走った目と、血のように赤い口をかっと見開く。身体が2倍も3倍も膨張し、ずるずると汚れた髪の毛が伸びていく。

『君の命は助けて、魂だけいただいちゃうねっ!!』
「あ、そういう方向なんだ」

――その様は明らかに、「負けちゃったから大人しく貴方の前から退散します」という感じではなく。案の定、怪異は全身から妖気と殺気と漲らせ、ぐわりとそのあぎとを開いた。

『あァもう我慢できない! 初めて見た時から美味しそうだって思ってたんだよねェ!! いただきまァ――ギャアッッ!!』

今まで聞いた音にたとえるのならば、『車庫のシャッターが降りているところに軽自動車が突っ込んだときの衝突音』という感じだった。鼓膜にちっとも優しくないそんな音と、それから絶叫と呼ぶべきか断末魔と呼ぶべきか迷う悲鳴が合わさって、名前の耳に結構なダメージを与えてくれた。
それと視界に飛び込んできた映像は、赤黒い何かの残像と、それによって頭をカチ割られ、床めり込む少女の姿。そして、

「無事か」

見上げるほどの背丈と、服の上からでもはっきりと分かる筋骨隆々とした体格。三白眼気味で切れ長だが鋭い紫色の瞳をし、大きな金棒を携えた人間……ではなく、地獄の鬼。

「谷裂さん」

馴染みのある彼の鬼の名を呼んだ名前は、殆ど無意識にほうっと安堵の息を吐いた。谷裂は普段から顰めがちな表情筋をもう少しばかり締めて、ぎっと名前を睨め付ける。

「佐疫から知らせが入ったときは何事かと思ったぞ」
「あー……やっぱり佐疫さんが気づいてくださったんですね」

眠る前、というか『此処』に来る直前の出来事を再度思い返し、苦く笑う。日曜日の今日、名前は佐疫と一緒に薔薇砂糖用の食用薔薇を買いに行く約束をしていたのだ。基本的に名前は待ち合わせには几帳面な方なので、連絡もなしに遅れた名前の異変を彼が察知してくれたのだろう。

「下らん怪異に狙われおって」
「すみません。……でも、お陰様で助かりました。有り難うございます」

波長の合う合わないは別としても、油断していたのは事実だ。素直に頭を下げた名前は、へにゃりと気の抜けた笑みを浮かべる。

「これが仕事だ。いちいち礼など要らん」

フン、と鼻を鳴らす谷裂に、「そういうわけにもいかないですよ」と名前は返した。取り敢えず薔薇砂糖が出来たら一番に食べて貰うことにしようと心に決めていると、谷裂は血と肉片がべっとりとついた金棒を軽く振った。

「……わあ、スプラッタ」

モザイク必須な少女『だったもの』を見下ろして、思わず呟く。生きた人間ならいざ知らず、それなりにえぐい光景を見慣れている名前も無意識に半歩退いてしまった。しかし谷裂はやはり慣れきっているようで、辛うじてあまり血の付いていない少女の衣服を鷲掴んだ。

「兎に角、此処を出るぞ。出口は佐疫が確保しているが、あまり長くは保たんだろうからな」
「はい」

ずるずると血の跡を残して怪異を引き摺っていく谷裂の後を追う。名前はそれを追いながら、すっかり無残に成り果てた怪異の少女をぼんやりと見つめる。

「運が無かったねえ」

よりにもよって自分を、それも獄卒という怪異や怨霊には天敵とも呼べる存在と会う日に狙ってしまうなんて。微かな同情を孕んだ独り言は、しかし幸運にも谷裂の耳に入ることはなかった。

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