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難儀な星の下で
「よっ、名前」
「今日は早ェじゃねーか」

朝起きて部屋から出ると

「……おはよ」

大体誰かしらが待ち構えてる。

「どっこらしょーっと」

ババ臭いかけ声と一緒に洗濯物を持ち上げようとすると

「名前いいよ! それ俺がやる!!」

ひなたぼっこして寝てたベポがとびおきて、大量の服が入った洗濯籠を奪われる。

「おい名前、何食いたい?」

お腹が空いたので食堂に行けば

「昨日補給したから果物あるぞ? それとも何か飲むか?」
「冷たいのはやめとけよ。あとコーヒーと酒もな」

ここぞとばかりに声をかけられて座らされ、あれよあれよという間に大体希望通りの食べ物が用意される。

「……あのさあ」

腫れ物に触るよう、とは何か少し違うけど、全く異なるってわけでもない。正直こうなる前は「もっと女扱いしてみろ」とか「デリカシー考えろ」とか「レディーファーストって言葉を知らんのか」とか色々思ってたし不満でもあった。

「たまにはあたしにも仕事させてくんない?」
「馬鹿言うな」

けど、いざこういう扱いを受けてみると堪ったもんじゃない。全身がむず痒いっていうか。面倒臭い。正直。
例によって『死の外科医』狙いで襲撃してきた何処ぞの馬鹿海賊団と交戦中のイエローサブマリン。敵さんの船員ひとり海に突き飛ばして一息吐いたペンギンに声をかけてみたものの、案の定難色を示された。

「っつーか部屋戻ってろ。船長に見つかったらまた説教喰らうぞ
「どうってことないわよそんなの。っていうか最近ろくな運動して無くて苛々してんの。参加させなさいよ」
「戦闘と軽い運動一緒にすんな、よ!」

耳の痛くなるような、金属同士のぶつかる音。再び戦闘に戻ってしまったペンギンが少し放れてしまったので、あたしはひとりふて腐れて甲板の手すりにもたれかかった。一応物陰に身体を隠して、敵さんには見つからないようにしている。

「……」

普段のあたしなら、っていうか、ほんの1ヶ月前のあたしなら考えてもみないだろう、この状況。無用な争いに首を突っ込むようなことは(面倒だから)しないものの、売られた喧嘩は最安値で叩き買うもしくは強奪する勢いのあたしが、こうやって他のメンバーに戦わせてぶすくれている体たらく。

「破弾撃(ボム・スプリッド)」

やるきのなーいあたしの呪文によって生み出された光の玉が、ぼこぼこと敵に当たる。火の玉に似ているだけで熱は一切発生しないので、喰らっても吹っ飛ぶだけ。まあ生きてはいるでしょう。吹っ飛んだ奴が2、3人海に落ちたのを確認する。
……一応『手を出すな』なんて言われちゃいるけど、このくらいは勘弁して欲しい。もう本当にまともに動き回ってもいないのだ。魔道士とはいえあたしは研究者ではなく実践型タイプ。インドアじゃあなくアウトドアなのだ。それをこんな風にあれするなこれするな戦闘は不参加にしろと……ストレスで禿げたらどーすんのよ、あの隈野ろ

「名前」

んげっっ。

「こんなトコで会うたァ奇遇だな」
「……そうね」

うっすらと口元に浮かんだ笑みは、酷薄の二文字が似合う。隈の濃い目元は全然笑っちゃいないし、全身からひやりと立ち上るのは殺気じゃ無く、怒気だ。
……これは怒ってらっしゃいますネー。

「俺は確か、奥の船室に引っ込んでろっつった筈なんだが」

ええ、そうそう。言われた言われた。けど待って、あたしそれに「分かった」なんて言った覚えないんだけど?

「『了承した覚えがない』ってツラか、そりゃ?」
「良くおわかりで」

正直あたしもドン引くくらいには迫力あっておっそろしい顔したトラファルガー。ドフラミンゴとかに見せてたキレ顔とは別方向で怖い。っつーかこいつのキレ顔怖いと思ったことは無い筈なんだけど……怒って笑われると大体怖いのよね。こいつ然り、ルナさん然り。

「名前」
「……何よ」

認めよう、虚勢だ。正直逃げたいです。よく「恋人や片思いの相手の知られざる一面を知っちゃってドッキドキ!」みたいな話あるけど、あたし別にトラファルガーのこういう一面はあんまり知りたくなかったわ。いやマジで。

「死ね! トラファルガー・ロー!!」

うっわ出た。何て間の悪いっていうか空気の読めない海賊A!

「タクト」
「うごぁ!?」

情け容赦ない速度でぶっ飛んできた他の海賊(勿論、敵側)に激突され、共倒れになって海へと落下する残念な海賊。あたしはもう溜息しかつけない。空気読みって大事なスキルよね、本当。

「お前のじゃじゃ馬っぷりは知っちゃいるがな、なぁ名前」

甲板の向こうの方で鬨の声があがった。どうやらこっちが勝ったらしい。本来なら安心するなり喜ぶなりするのが筋だろうが、今このとき、あたしの脳内によぎったのは絶望だ。トラファルガーも自分らの勝利を察知したらしく、遠慮無しに大きく息を吸う。そして、

「下手な真似して腹に影響出たらどうする気だ、この馬鹿女!!」

と、物凄い盛大な怒声でもってあたしを叱りつけたのだった。

 ◆◇

――30分後。

「だーかーら! 幾ら何でも過保護が過ぎるってのよ! 戦闘は1000歩譲って参加しないにしても何にも出来ないじゃない!!」

有無を言わさず寝かしつけられたベッドから身体を起こしていきり立ってはみるものの、あたしの体温と脈拍を測るのに忙しいトラファルガーは全然聞いちゃいない。付き添いのベポだけがしゅんとしていて、横のシャチはやっぱり涼しい顔だ。

「しょーがねえだろ、船長の指示だし」
「それが行き過ぎだって言ってんの! 何であれもこれも子供みたいにあんたらに面倒見て貰わなきゃなんないのよ!」

食事はおろか、最近は船内を1人で彷徨いた記憶もないのだ。ただでさえこの船じゃあ紅一点だってのに、たまには1人にしてくれないと好い加減うんざりもする。

「目ぇ離して飲酒でもされちゃ堪ったもんじゃねえからな」
「するかそんなん!!」

急に口を挟んでくるトラファルガー。あたしは奴をぎっと睨み付けた。美食も美酒も大好きなあたしの口から出てきたとは思えない科白だけど、今はしょうがない。あたしだってこうして怒られてるとはいえ、コトの重要さは分かってるのだ。苛立たしい気持ちをぐっと抑えて、出来るだけそっとあたしは自分のお腹を触る。

「良い母親になる保証もないけど、一応大事は思ってはいるんだから」

それっぽい形にも大きさにもなっていない、相変わらず薄っぺらい所だけど。

「だったら少しはお淑やかにしてろ」

あたしより更に二回りくらい大きいんじゃないかって感じの手が、あたしの手の上に被さるようにしてお腹を温める。手のひらって温いもんだって、改めて思う。

「適度な運動も必要だが、今くらいが丁度良いんだよ」
「……あたしの心境的には全然なんだけど」
「そりゃお前が普段から動き回るからだ。仮にも女ならじっとすることを覚えろよ」
「男女差別反対」
「時と場合を考えろ、馬鹿」

くしゃりと頭を撫でられると、何かもう反論するのも馬鹿馬鹿しくなった。こういう労りに満ちたさわり方は本当卑怯だと思う。口を噤んだあたしの視界の端っこで、シャチがベポを引き摺って退出していくのが見えた。何であいつはこういう時空気を読むんだろう。

「母親があんま落ちつかねえと、こいつも安定しねえだろうからな」

こいつ。その一言が指す先、視線の向かう先はあたしのお腹。正しくは、薄っぺらいその肉の奥にいる、まだきっとそれらしい形もない『いきもの』。

「……ていうかあんた、ホント良く気づいたわよね」

ほんの1週間前。何となく熱っぽさが続いてちょっと鼻づまりもしてて、風邪かなーなんてぼやいてたあたしを検査したトラファルガーが告げた事実は衝撃だった。船中が震撼したと言っても過言じゃあない。ていうか何よりあたしが驚いた。正直トラファルガーの頭の方を疑ったくらいに。

「あんたの本ちょっと拝借したけど、『超』初期症状って言うんでしょ? 風邪と混同することも多いって書いてあったのに」
「まあな」

何でも無いような顔をしているトラファルガーは、何だかんだで名医なんだろう。普段はもっぱら外科的なことしかしないけど、知識が偏ってるってわけじゃないみたいだ。

「『何とか』は風邪引かねえっつうしな」
「そこに直りなさい陰険医者」

折角見直したってのに、コノヤロウ。

「……あたしも不安だけど、あんたも相当よね」
「お互い様ってやつだな」

笑ってる場合か。とはいえあたしも責められる立場にはないので、溜息だけで終わらせておく。トラファルガーの手はまだお腹にあって、あたしは手持ちぶさたな左手を、更にその上に載せた。

「生まれる前から苦労してるわね、あんた」

他人事みたいな言葉がぽろっと零れた。無責任にしてるつもりはないけど、正直ちょっと申し訳ない気持ちはある。
古い数え方なら十月十日。実際は個人差ありありとはいえ、あと1年近くは先の話だけど。

「ごめんねー、こんなパパとママで」

海賊の船長なんておっそろしい肩書き背負ったこいつの隣で。

「お前、好い加減その『トラファルガー』ってのやめろよ」
「……うっさい、呼びにくいのよ今更」

あたしは、母親になる。決して遠くない未来に。

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