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長閑珈琲タイム
遠くで、カモメが鳴いている。風は南風で、気温は温暖。天気は快晴。麗らかな空気の中、エタノールの香りが漂う医務室で少し微睡んでいた名前は、遠くからバタバタと聞こえてくる足音に思わず顔を顰めた。
此処は海軍本部の医務室で、今は一般兵の義務訓練の時間である。海賊との戦闘に備え本物の武器を使用した本格的な訓練を行うとはいえ、新兵でなければ事故でも無い限りそうそう大きな怪我などしない。それが普通、なのだが……例外はいる。何処の世の中にも、いる。
その『例外』の特徴的な喧しい足音の主が、今日も名前の安穏とした時間をぶちこわしにかかった。

「名前ー! すまん、手当てたの……あぎゃあ!?」

負傷者を抱えながらでも開けやすいようにと、実にスムーズに開くようになってる医務室の扉。勢いよく開かれたそれの戸袋に指を引き込んだらしく、ロシナンテが物凄い悲鳴を上げたのが聞こえた。

「うるっせー奴だな。つか今月何度目だお前」
「め、面目ねえ……」

1度くらい無傷で訓練終えらんねーのか。と、舌打ちせんばかりに……否、本当に聞こえよがしに舌打ちした名前は、すっかり身体に馴染んだ白衣を軍服の上に来ている。対してロシナンテは、薄汚れたジャケットやズボンのところどころを破いて、身体の随所に傷や火傷を負った風体だった。

「何処が悪いんだっけ? ああ頭か。残念ながら馬鹿に効く薬はまだ開発されて無ェんだがな、不治の病とは可哀想な奴め」
「そういうこと言うの止めろよ! あと俺は馬鹿じゃない! ドジっ子だ!!」
「黙れすっとこどっこい。お前今月だけで何回此処(医務室)来てるか分かってんのか」
「……5回?」
「11回だよ、この馬鹿」
「あいたァ!!」

カルテを挟んだバインダーを盾にして、額を殴打する。地味に強烈な一撃に、ロシナンテはすっかり縦に長く伸びた身体を大袈裟に仰け反らせた。その動作が、今は周囲の予想と期待通り元帥になった育ての親(センゴク)そっくりで、名前は思わず顔を顰めてしまう。

「ったく……もうさっさと座れ。服は脱げよ」
「脱げって……下も?」
「お前上半身だけ怪我するなんて器用な真似出来んの?」
「ううっ」

寧ろ転んだりぶつけたり何したりで、脚だの腰だのの方が傷が多いだろうに。鼻を鳴らした名前に、案の定ロシナンテは口ごもって反論をなくす。下半身も上半身もなく、こいつが訓練でドジを踏んで傷だらけになるのはいつものことだ。
器用で武器は一通り何でも使えるし、身体能力だって図抜けている。そして本人の努力も凄まじい。けれどどうしても昔からの『ドジ』(名前的にはただの馬鹿)が直らないから、入隊から数年経った今も、ロシナンテは海軍本部で一番医務室を利用する海兵だった。

「せめてあっち向いててくれよ名前……」
「何で。どうせ治療するとき見ンだけど」
「俺の気分の問題!」
「へーへー」

文句を垂れるロシナンテに呆れながらも、取り敢えずお望み通りそっぽを向いてカルテを記入し始める名前。どうせ「いいよ」と言われて治療を始めれば、パンツ一丁になったロシナンテが不機嫌そうにしているに違いないというのに。

「……随分繊細なお心をお持ちで」
「名前が図太いんだよ!」

ぼそっと呟いただけだったのだが、どうやら聞こえていたらしい。唾を飛ばす勢いでがなるロシナンテは、相変わらず迫力も何もあったものではない。
身長はとっくに名前を超して、筋肉だって随分ついた。前髪で目を隠すこともなくなったけれど、いつだってロシナンテは昔と変わらない。ドジで間抜けでどうしようもない、放っておけない幼馴染みで、弟だ。

「いっっ、つう……!」
「ったりめーだろ、消毒なんだから」
「わかってるけどよ……い゛、痛い痛い痛い! ぐりぐりすんなよわざとだろそれ!」
「あー悪い悪い。傷口に砂が入っててなー」
「めっちゃ棒読みじゃねーか!」

鬼、悪魔、と名前を罵るロシナンテだが、相変わらず罵倒の語彙は今ひとつだ。海軍で上からもがっちり揉まれているくせに、こういうところも昔と変わらない。

「相変わらず痛いのに弱ェな、お前」
「半分は名前のせいだろ……」

名前、そしてロシナンテは、当時まだ中将だったセンゴク元帥の娘と息子である。
とはいっても実の親子では無く、所謂養子という繋がり。よって名前とロシナンテも姉弟ではあるが、勿論血縁関係にはない。
だがそれでも同じ屋根の下(とはいえ海軍本部であるが)で、何だかんだで親ばかのセンゴクにワンセットで可愛がられていれば、それなりに情は出てくる。名前より1年ほど後にやってきた当時のロシナンテが、ボロボロの衣服に傷だらけ、骨の浮き出たがりがりの身体だったこともあり、幼かった名前はぶっきらぼうながらも何くれと彼の世話をしてやったものだ。

「……ほい、終わり。風呂は入って良いけど、入ったらまた薬濡れよ」
「おー、サンキュー名前。助かった」

そのときの関係性は、結局今も薄れてはいない。毎日毎日何かしらで怪我をして悲鳴を上げるロシナンテに、名前が拳骨やデコピンを落として文句を言いつつも手当てをする。
急いで服を着直しているロシナンテを横目に、名前はふとテーブルの上のマグカップと、その空っぽの中身を見た。

「珈琲飲むか?」
「飲む! 砂糖とミルクたっぷりな!」
「それはテメエでやれ」

そして当たり前のように居座るロシナンテに、渋々といった風情で珈琲も煎れてやるのもいつものことだ。たまにロシナンテの同僚や他の軍医が混じることもあるが、大抵は2人だけで催される。実は周囲が要らぬ気を利かせてくれている結果だったりもするのだが、そんなことを彼も彼女も知りはしない。

「んー、やっぱ名前の珈琲はうめえな! 甘いし!」
「そりゃそんだけ砂糖煎れりゃな」

根っからの甘い物嫌いである名前は、スプーン3杯もの砂糖とたっぷりのミルクを入れて飲んでいるロシナンテに顔を顰める。時にはその匂いだけで吐き気を覚えるくらいなのだが、流石にこれだけ毎回やられれば嫌でも慣れるというものだ。嗅覚を誤魔化すべく、自分のブラック珈琲を一口飲む。じんわりと口の中に広がる苦味とコクに安堵した。

「お子様舌め」
「なんだよー、良いだろ別に」
「砂糖とかこの世から滅びれば良いのに」
「それは名前だけだ!」

長すぎるくらい長い手足をばたつかせるロシナンテの子供染みた所作。身体はすっかり大きくなったのに、名前の前ではいつでもこういう振る舞い方をする。けれど対する名前も、ロシナンテには他より数割以上言動に容赦をしていないから、お互い様と言えなくも無い。

「……昇格決まったんだっけ?」

と、何となく噂で聞いた話を振ってみる。

「ん? おう! 来月から大尉!」

ロシナンテはにぱりと邪気の無い笑みを見せた。大尉、というそれなりの肩書きを口にした割に、その笑い方はあどけなくすらある。大尉ってこんなへらへらしてて良いもんなのか、と名前は思ったし、実際にそう口にしてみた。案の定、盛大に拗ねられたが。

「ま、おめでとうっつっとくべきか?」
「それを一番に言ってほしかった……けど、有り難うな名前」

気を取り直し、おざなり気味な名前の祝いに顔をほころばせる青年。名前も決して背は低い方ではないが、ロシナンテは更にずっと高い。その高いところにある顔も、年齢と共に少しずつ精悍になってきた。筋肉だって全身にしっかりついている。声も低くなり、首も太くなった。にも関わらず、そのドジっぷりと表情だけが、子供のそれと大差ない。何ともアンバランスなものだ。

「? どうした、名前」
「んー」

どうした、という程のものでもない。名前は曖昧に笑う。これはただの、郷愁に似た何かだ。

「思えば遠くに来たもんだ、と思ってな」

名前はロシナンテの生まれを知らない。名前が拾われて1年ほど後にやってきたロシナンテは、今とは比較にならないほど見窄らしく、弱々しい子供だった。
何せ身体は傷だらけの泥だらけ、服もボロボロで靴は履いていなかった。風呂にも禄に入っていないようで、更に言うなら食事もまともにしていないようだった。骨の浮き出た身体は痛々しく、誰かに暴力を加えられ続けたことが一目で分かった。

「世の中面白いモンだ。あーんなチビガリの泣き虫が、今や海軍のお偉いさんとかな」

どうして彼がそんな目に遭っていたのかを、名前は知らない。ロシナンテは自ら語ろうとしなかったし、名前も聞かなかった。センゴクに一度だけ「聞かんで良いのか」と聞かれたが、「興味が無い」と突っぱねた。名前にとって、ロシナンテは庇護すべき患者だったし、その後は世話の焼ける幼馴染み兼弟だった。それだけで十分だった。

「それを言うなら名前だってそうだろ。あっという間にお医者さんになってさ。どんだけびっくりしたと思ってんだよ」
「前々から医者志望とは言ってただろ」
「そりゃあ聞いてたけどさ……」

やおら伸びたロシナンテの手が、不意に名前の頬に触れる。あまり手入れもされていない、少しかさついた肌の手触りは決して良いものではないだろう。ロシナンテはしかし、まるで弱った小動物にでもそうしてやるように、酷く優しく指を滑らせた。

「焦ったよ。あんまり急でさ。おまけに『軍医用の宿舎に移動する』とか、もう帰ってこないんじゃないかと思った」
「……大袈裟な」

思いがけず真剣な顔で言われたものだから、名前は少々面食らってしまった。少しだけ返答の間に空いた間を誤魔化すように、ごほん、と咳払いをひとつ。

「半分そのつもりだったよ。どこぞの支部に回されるモンだと思ってたしな。そしたらまさかの本部勤めで何も変わらんし」
「センゴクさんに感謝だなー、そこは」
「やっぱ手ぇ回してたか、あのジジイ」

職権乱用だろ。顔を顰める名前に、ロシナンテは苦笑する。そうして、どうどうとあやすように名前の黒髪を撫でた。

「まあ良いだろ。本部の方が何かと便利だし、俺もこうやって気軽に会いに来られるし」
「気軽に怪我できる、の間違いだろ」
「……怪我したくてしてるわけじゃねえよ」

未だ頭の上に置かれたままのロシナンテの手を掴んだ名前は、何となく働いた悪戯心のままに、やおらその手のひらに口づけを落とす。顔どころか首まで真っ赤にしたロシナンテが、まだまだ熱を持ったカフェオレをひっくり返したのは言うまでもない。

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