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幸せのつまみ食い
それは実に麗らかな、初冬と思えぬような小春日和のある日のこと。
日常とは少し違う、非日常と呼ぶには大したことでもない。そんな普段とはちょっと違う1日の始まりは、斬島の次の一言から始まった。

「料理を教えてくれないか」
「はい?」

珍しくアポイントも無しに突然訪ねてきたと思ったら、挨拶の次にこれである。一体何があったのやらと、出迎えた名前は首を傾げる。ちなみに此処はまだ玄関先。あまり人目に付く場所ではないが、取り敢えずまずは斬島を中に招き入れることにした。英断と呼ぶには大仰だが、誰かに見られる前に隠れるのは正しい判断である。

「急にどうされたんですか?」

聞きたいことは細々分ければ色々あったが、まずはそれである。斬島は決してユーモアを理解しないタイプではないが、こういう場合は真面目な頼み事とみるべきである。好い加減そのあたりのことは分かってきている名前に、斬島は特に躊躇うこと無く事情を話し始めた。

「俺達の部署では、毎回非番や手の空いた者が夕食を作ることになっている……というのは話しただろうか」
「ああ、そういえばそんな話も聞きましたねえ」

記憶の糸を長く手繰ることもなく、名前は小さく頷いた。特務室付き家政婦であるキリカは、毎日の朝食と昼食、それから八つ時の菓子作り……つまりは夕食以外の全ての食事を担当している。それが終われば夕方には帰宅してしまうそうで、1日の食事の内夕食だけは、獄卒達が自力で頑張っている。
燃費が悪いらしい獄卒達にとって「夕飯が無い」或いは「量が少ない」というのは死活問題である。そのため、非番や任務が早めに片付いた者は、多くが率先して厨房に立つ。斬島も当然例外では無く、そして今日、非番なのは斬島だけだった。

「斬島さん、別にお料理出来なくはないですよね?」

何処か困った気配を滲ませる斬島だが、名前はまだ合点していない。特段得意ではないが、斬島は別に米を洗剤で洗ったりしないし、人参を皮も剥かず真っ二つに切って鍋に放り込むようなこともしない。煮物や味噌汁、焼き魚などの和食の幾つかと、あとはカレーなどの皆が一度に食べられるようなものは作れた筈だ。
何も手の込んだものを出す必要はないのだし、自分が作り慣れたもので済ませるのが一番良いのではないだろうか。名前がそう言うと、斬島は普段は殆ど動かさない眉尻を、ほんの僅かだけ下げてみせる。

「最初はそのつもりだったんだが」

作る頻度は多くないとはいえ、いざ自分がメインで立ち回らなければならないとなれば、それなりに責任も出てくる。その少ない頻度で毎回同じようなものを作るというのも気が利かない。
更に言うと、斬島が作れる煮物も焼き魚も既に朝食と昼食で出ており、カレーは一昨日の夕食だった。特務室の面々は質より量のタイプが殆どだが、それでも同じものをこんなに頻繁に食べるのは嫌だろう。となれば、自分のレパートリー以外のものを何か考えて作るしか無いのだが、

「他の者達はまだ戻ってきていないし、キリカさんやあやこももう帰ってしまってな」
「成る程ー」

つまり、アドバイスを求める人間が館にいないらしい。……ちなみにだが、斬島が館にいるだろう肋角や災藤を最初から候補に入れていないのは、彼らが上官であるからであり別に料理云々に信用がないからではない――ということを、肋角と災藤、そして斬島本人の名誉のために述べておく。

「分かりました。そういうことなら是非お手伝いをさせてください」
「すまない。感謝する」
「いいえ。その代わりと言ってはなんですが、私もお相伴に与って良いですか?」
「勿論だ」

キリカの味付けは、当然名前のそれとやはり違う。下手に似せようとしてもつまらない二流品が出来るだけだろう。実験台のようで少し申し訳ないが、この機会に彼らに意見を募るのも今後に役立ちそうである。何より、たまには自分も賑やかな夕食を味わいたい。
小首を傾げ問うてみると、斬島は二つ返事で了承してくれた。そうなると、名前のテンションもぐっと上がってくる。これは是非気合いを入れなければ――勿論、料理に慣れない斬島を困らせない範囲で、であるが。

「取り敢えず、献立考えなきゃですねえ」

別段今日は何の予定もないし、今はまだ15時半を少し回ったところで、時間は十分ある。とはいえ獄卒が開ける『穴』を名前は通れないので、移動時間を考えるなら今のうちに出来ることはしておきたい。東京駅までの移動は随分前に解決したが、東京駅からの移動は残っているのである。

「斬島さん、私が着くまでに冷蔵庫の中身と、調味料を確認しておいて頂けますか? あと出来れば、消費期限の近いものも控えて頂けると有り難いです」
「分かった」

頷いた斬島が、獄都に一旦戻るのを確認し、名前も急いで出かける準備をする。降ってわいた珍事件ではあるがが、何だか気分は酷く上向いていた。

 ◆◇

「オムライスにしましょうか」

それなりに急いだものの、1時間以上もあれば厨房の在庫を調べるのに苦労は無かったらしい。斬島らしく実に几帳面に調べて纏められた冷蔵庫と調味料のストックを見た名前は、やたらと沢山ある鶏卵(特売日か何かだったのだろうか)と、恐らく今日1日でほぼ使い切るであろうトマトケチャップの分量部分をなぞって即決した。

「嫌いな方いらっしゃいますか?」
「いや。問題無い。俺も好きだ」
「良かった。鶏肉と牛乳もあるみたいだし、折角だからちょっと本格的にやりましょう。副菜はサラダとスープで良いですよね」

自分のものでない厨房を使うのは、叔母の家を除けば調理実習以来である。使い慣れたエプロンの紐を結んでいると、横で斬島も自前らしい割烹着を着込み始めた。

「給食当番……」
「何だ?」
「いえ、何でも無いです」

真面目な顔できちんと割烹着の袖部分具合を確かめている斬島には悪いが、妙に似合っていてへたをすると笑いがこみ上げてくる。名前は彼に背を向けて数回深呼吸を繰り返した。

「じゃあ、よろしくお願い致します」
「お願いします」

お互いに律儀に頭を下げあってから、改めて厨房に入る。獄卒全員の食事をまかなうだけあって、やはりそこは広くコンロの数ひとつとっても多かった。

「取り敢えず野菜切りましょう。サラダ用は後にして、まずは玉葱と……ほうれん草ありましたよね。折角だし入れましょうか」
「名前、肉はどれだ?」
「ベーコンでも良いんですけど……鶏胸肉ありますし、これにしましょうか。お出汁も出ますし」
「分かった」

ごろんと転がった大きめの玉葱と、葉の多いほうれん草を一束。うちの玉葱を当たり前のように取った斬島が、意外と(失礼)淀みない動作で皮を剥いていく。

「斬島さん、みじん切り出来ます?」
「ああ、何とか」
「じゃあ、お手数ですがその玉葱はみじん切りでお願いします。後で炒めますけど、あまり大きくない方が良いですので」

スープ用の玉葱と人参を手頃な大きさに切りながら、時々ちらりと斬島を伺う。包丁を持つ手つきは、やはり失礼ながら意外なほど危なげない。普段から刃物を使っているからなのか、或いは誰かから教わったのか……当たり前だろうが、多分後者なのは間違いない。

「……」
「……」
「……」
「斬島さん、目が痛いなら洗ってきて頂いて大丈夫ですので」
「……すまない」
「いえ。寧ろ当たり前のように押しつけてすみません」

心なしか充血してきた白目。ぽろぽろと無表情で涙を流す斬島が、ふらりと流し台の蛇口を捻る。手つきは問題無いが、なるべく気を配った方が良いようだ。

「鶏肉は少し大きめで良いですよ。脂が抜けて縮んじゃうので」
「このくらいか?」
「んー、そうですね。それくらいかもう少し小さいくらいで」

斬島はご丁寧に最初に切った鶏肉と、次に切ったもう1切れの大きさを比べ始めた。名前は取り敢えず、彼がはかりを取り出そうとするより先に「そこまでしなくて良いですよ」と釘を刺すことにした。

「材料炒めましょうか。スープ用は私がやるので、オムライスはお願いして良いですか?」
「分かった。火加減はどうすれば良い?」
「強火でお願いします。玉葱が透明になって、鶏肉が白っぽくなったら弱火にして、ケチャップと醤油と、塩胡椒と……あとこれを入れてください」
「これは?」
「ブイヨンです。うちで作ってます」
「成る程。非売品か」
「ただの自家製ですよ」

大して手間でもないので定期的に家で作っているだけのものだ。あまり日持ちしないのだが、たまたま昨日作っておいた甲斐があったというものである。物珍しげな斬島に笑って、名前は密封パックに保存したブイヨンをコンロの脇に置く。

「あ、でも全部は駄目ですよ。スープにも入れるので」
「適量はどのくらいなんだ?」
「味見して『おいしかったら』でお願いします」

綿密な分量の調整が必要な菓子作りは別格として、家庭料理は「美味しいと思えればそれが正解」である。にこにこした名前が落とした答えに、真面目な斬島はやはり真面目な顔で「成る程」と頷いた。

「……味見はどうすればいいんだ?」
「玉葱でもほうれん草でも鶏肉でも、お好きな具を一切れ食べればいいんですよ」

真面目はやはり真面目である。実に面白い……失礼、楽しいものだ。

「炊飯器新しいですねえ。折角なので炊き込んじゃいましょうか。手間が省けますし」
「そういうことも出来るのか」
「最近の家電は優秀ですからねえ。……うん、これで良いかな」

炒めた肉と野菜、ケチャップと醤油、塩胡椒、それからバターを水を張った米の上から入れる。ぴ、と『炊飯』ボタンを押下し、名前は満足げに斬島へ笑いかけた。これでチキンライスの方は問題無い。スープは今野菜とベーコンをブイヨンで煮込んでいる最中であるし、サラダは既に用意して、ラップした上で冷蔵庫の中だ。卵を焼くのは、もう少し後で良いだろう。

「良い匂いだな」
「ですねえ。上手くいきそうで良かったです」

時刻は既に18時に迫っている。この館の夕食は大体19時前後だそうだが、この時間になるとやはり小腹が空いてくる。そして空腹やら眠気やらというのは、自覚すると更に知覚的に増してくるのが常であり……。

「あ」

恐らくほぼ同時に『お腹空いたな』或いは似たようなことを考えたのだろう両名が、きゅう、と胃を収縮させたのはほぼ同時だった。

「……前もありましたね、こんなこと」
「そういえばあったな」

嗚呼、もう。羞恥と呆れで名前は思わず両手で顔を覆った。斬島がただの肉体の生理現象としか思っていないようなのが、少しばかり恨めしい。
とはいえ、空腹なのはお互い様だし、夕食までは少し時間がある。火を使っている以上此処から離れるのは宜しくないし、その間ずっと食べ物の匂いだけを嗅ぐというの拷問染みていて嫌だ。というかそんな刑罰が確かあった気がする。

「……斬島さん、ちょっと提案があるんですが」
「何だ?」
「その……ちょっと練習させて頂けないかな、と」
「練習とは」
「はい。卵は幸い沢山ありますし、コンロの強さによっては加減を間違えちゃうこともあると思うんです。だから今のうちに、オムレツだけ作って練習させて頂けないかなと思いまして」
「オムレツか」
「はい。出来れば2人前、もとい2回ほど」

右手の人差し指と中指を立て、へらりと笑ってみせる。きょとんとしていた斬島だが、名前の言わんとすることを察するとぱっとその目を瞠った。心なしか、その青い瞳が少しばかりいつもより輝いているようにも見える。

「是非頼む。俺も今後の参考にしたい」
「有り難うございます。じゃあ、卵ちょっと拝借しますねー」

つまみ食いも料理の醍醐味。名前はうきうきと冷蔵庫を開き、未開封のパックから鶏卵を4つくすね、もとい取り出したのだった。

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