▼ 困惑
我ながら間抜けな声を上げたな、と思ったのは後になってからだった。正直『呆気にとられた』っていうのは、多分ああいうことを言うんだと思う。
「何、言ってんの?」
ついつい声が上擦っちゃったのは、まあ勿論わざとじゃあない。だけどあたしはそのとき、そんなことに構うような余裕がなかった。我ながら馬鹿じゃないかって話なんだけど、ていうか今思えば「当たり前でしょバーカ」くらい言ってやるくらいの勢いなんだけど。
「……本気で訊いてる?」
見上げたトラファルガーの顔は、ちょっとどきりとする程真剣だった。ただでさえ濃い隈と悪い目つきのせいで目力強いってのに、真顔になると尚更妙な迫力がある。普段なら「何よ」と睨み返してやるトコだってのに、何故かそのときのあたしにはどうにもそれが出来なかった。
や、正確には睨み返してはいたんだけど、たじろいじゃったっていうか……うん、気圧されちゃった、と言うのが正しいと思う。腹立たしいんだけど。
「冗談に聞こえンのか?」
そうであって欲しかっただけだっての。なんて茶化すことも出来ない。トラファルガーの顔からはいつもの薄ら笑いもない。美形が真面目な顔を作るとただの顔面狂気だ。柄にも無く照れそうになって、いやいやそんな場合かと唇を噛んだ。
……トラファルガーはあたしから視線を外さない。まばたきはしてるみたいだけど、正直何の気休めにもなんないのが困ったもんだと思う。
「……」
「……」
ちょっと、あたしはともかく何でアンタまで黙んのよ! 嫌な沈黙続けないでよ! どうにかしなさいこの気まずい空気!
「じゃあ聞くけど」
あんまりにも居心地が悪いのをどうにかしたくて口を開いたものの、正直喉がカラカラで掠れた声しか出やしない。嗚呼もう、あたし一体何をこんなに緊張してるんだ。そもそも何でこんなに気まずいのか。
「あんた、あたしにどんな答えを期待してんの?」
人が人に問うことがあるとき、その意図は2つに1つだ。ただ純然たる興味で尋ねる場合と……答えの予測が付く付かないお構いなしに、希望する答えを相手に言わせたい場合。
さっきトラファルガーは、あたしに「『まだ』船を降りたいか」と聞いた。
……ちょっと待ってよ。ひくりと片っぽの唇の端が引き攣ってしまった。いや、一応笑おうとしたんだけどね。表情筋仕事しろ。
「それじゃあまるで」
ばくばくと心臓が鳴る。何であたしの方が緊張してんだろ。相変わらずトラファルガーは涼しい顔っていうか真顔だし。……そうよね、真顔なのよ、いつものすかした顔じゃなくて。
「それじゃああんた、あたしにこのまま船に乗れって言ってるように聞こえるわよ?」
っていうか何それ新手のギャグ? 今なら一発殴っただけで無かったことにもしてやれそう。寧ろそうだと言ってお願い。
ああもう、心臓が耳元にあるみたいだ。精一杯にんまり笑ってやるけれど、やっぱりちょっと失敗してる気がする。鏡とか近くになくてよかった。今自分で自分の顔なんかみたら、抱腹絶倒するか絶望するかしかしない気がす
「そうだっつたら、アンタそうすんのか?」
……は?
「……」
呆気。本日2回目。嬉しくない。
「はあ?」
……我が耳を疑うってのはこのことか。さしものあたしもこれ以上平静を取り繕う余裕はない。いや元々大して平静でもなかったけどさ。
ていうかちょっとちょっと、待ってこの状況何なの。何でトラファルガーはこんな真顔でキャラ崩壊起こしてんの。
「ぞっとしない冗談ね」
わざとらしく肩を竦めたあたしに、トラファルガーの眉間にちょっと皺が寄った。不機嫌気味になったイケメンが見下ろしてくるのは、見慣れてなきゃ大層目に毒だろう。主に、別にこっちが悪くなくても何か悪いことしちゃった気になるって意味で。
「冗談に聞こえンのか?」
……聞こえないから困ってんのよ、とは言わない。絶対に。
あたしはもう取り繕う努力も放棄してトラファルガーを睨む。眉間にぎゅぎゅっと皺を寄せて、目を吊り上げて、唇を引き結ぶ。全身に力を入れて、駄目押しに腰の剣にも手をかけた。
「冗談で済ませてあげるって言ってんの。あんたこそそのくらい察しなさいよ」
我ながら絵に描いたような臨戦態勢。ううん、もう威嚇って感じ。一気に刺々しくなったあたしの態度を察してか、トラファルガーもますます嫌そうな顔をし出す。
「前にも言ったでしょ、あたし団体行動苦手なの。オマケに船長の命令にあれこれ従うってのも性に合わない。あたしは自分で此処まで生き残ってきたし、これからもそうする。それ以外のやり方を取るつもりもない」
だからこそあたしは、楽しいってだけなら申し分なかったルフィの勧誘も蹴った。後出しっぽいけど、一応あいつにも誘われたんだよ。まああいつは一度断ったらあっさりだったから、そこまで熱心な感じでもなかった。……こいつと違って。
「雇い主と傭兵の関係ならまだ良いわ。恒久的な上司と部下なんて死んでもごめんよ」
「……部下扱いする気はねえよ」
「なら尚更駄目ね。あんた船長でしょ? 船長の顔を一切立てないやつが船に乗るなんてどんな悪影響があると思ってんの?」
一時的な滞在だと思ってるから、トラファルガーのトコのクルーたちもあたしを受け入れてると言っていい。それでもあたしのあまりの反抗的な(あたしに言わせれば正当な、だけど)態度に苦言を呈する奴等は少なかれいる。それをトラファルガーが咎めずにいれば、いずれは船内の空気全体が悪くなる。そしてあたしは、それについて自分の方から改善しようなんて気持ちはサラサラない。
「自分で言うのもなんだけどね、こんな不良品の爆弾みたいな女、多少戦力になるからって勧誘なんかするもんじゃないわよ」
「……は?」
やれやれと首を振ると、トラファルガーが一転してきょとん顔になった。とはいえそれはほんの数秒で、次は今までよりもっと不機嫌そうな顔になる。
……あ、これは拙い。別にトラファルガーを怒らせることがじゃなくて、これは。
「そういう意味で言ってんじゃねえよ、俺は」
やめろ。
「どういう意味であってもお断り。あたしは、『此処』ではひとりでやるって決めてんの」
半ば強引に会話を打ち切り、あたしは踵を返して歩き出す。
トラファルガーは、追ってこなかった。