血潮より濃く、光より目映き | ナノ


▼ 契機

「結波冷断(ライブリム)!」

切羽詰まって隙だらけの動作で振り下ろされた武器を交わして、代わりに氷漬けをお見舞いする。あたしの手から放たれた冷気に触れて、大変ユーモラスな氷像になってくれちゃった下っ端海賊Z(アルファベットは適当。悪しからず)を、遠慮無く蹴っ飛ばして海に落とす。

「今のが最後だな」
「みたいね」

トラファルガーが、船の見張り台からあたしの横に飛び降りてきた。相変わらず嫌味なくらい長い脚が、とん、と危なげなく甲板に着地する。パーカーにジーンズなんて一見海賊船の船長にしてはラフすぎる格好なのに、こいつみたいなスタイルだとモデルみたいに見えるから腹が立つ。
……くそう。あたしだって、『あっち』じゃ別にチビでもないのに。

「ゴキブリみたいな奴らね」
「海賊ってのは頑丈なのが取り柄だからな」

海に落ちたなんちゃって氷像アートを、他の仲間が助けてるのが見えた。他にも海王類に微妙に襲われたりしながらも、突き落とした奴らはほぼ生き残って自分の船に逃げようとしている。奴らの船は別に致命的な傷は負ってないし、このままならまあ助かるでしょって感じなんだけど……。

「ねえ、あの船どうすんの? 沈めんならやってあげるけど」

敵味方入り乱れてお互いの船を行ったり来たりしてたわけだけど、流石に負けたあっちの船は損傷が激しい。あ、ペンギンが海賊旗焼き払ってる。これって海賊の間では物凄い屈辱らしいわね。知らないけど。

「ほっとけ。船さえ残ってりゃ死にゃしねえだろ」
「……あ、そ。お優しいことね」

別に船ごと沈めて殺したところで罪悪感なんて感じそうにないのにね、この冷血男なら。

「不満か?」
「別に」

まあでも、一応この船の船長はこいつだし、こいつがそうするってんなら別にいい。あたしだって別に率先して人の船沈めたいわけでもないし。まあ後からリベンジされるかも知れないって面倒くささはあるけど、あの程度ならどうとでもなるでしょ、実際。

「運動不足の解消にくらいにはなったわ。感謝してるわけでも無いけどね」
「同感だ」

くく、と喉の奥でトラファルガーが笑う。いつも持ち歩いているかベポに持たせてる、あの馬鹿デカイ刀は今は抜き身のまま。鞘は……あれか。あの見張り台からにゅっとでてる細長い奴。

「『Roo』……」
「ちょっ」

相変わらず何の前触れも無く能力出そうとするんじゃないわよこの野郎! ……なんて悪態を吐く余裕もない。もはやこの青い結界が一種のトラウマになっているあたしは、さっきと同じように条件反射でその範囲から出ようとする。が、

「あっ」

忘れてた。さっきあたしが使った魔術は、出した冷気で触れたものを凍らせる精霊魔術。冷気は割と広範囲で、さっきの海賊X(あれ、Yだっけ?)本人だけじゃ無く、あいつが立っていた場所も一緒に氷漬けにしていた。
で、あたしはあいつを蹴っ飛ばして海に突き落としたとはいえ、一緒に凍っちゃった地面は、まあ当然まだ凍ったままだったわけで。
……うん。滑った。有り体に言うと。……ちょっとそこ! かっこわるいとか言うな! あたしが一番よく分かってるわよそんなん!!

「おい!?」

ずるっっと見事に足を滑らせたあたしの視界が、がくんと景色を斜めにする。いや、要するにあたしの姿勢がおかしくなって、見えてる世界が水平じゃなくなっただけだ。ていうかものの1秒にも満たないのに、よくまあこんなことグルグル考えられるなあたし。脳の機能ってある意味凄いわー。

「い!?」

後ろにひっくり返りそうになったあたしの腰が、船の落下防止の手すりに強打される。ちょ、痛い痛い! 地味に痛い! 痣になった絶対! って痛みに呻いたのもやっぱり一瞬。そこで止まってそのまま止まれればよかったものを、あたしの身体は何故か勢い余って頭から海の方に反り返る。で、困ったことに脚も床から浮き上がってしまった。
あ、やば、落ちる。

「ミュリエル!」

トラファルガーの声が聞こえた。思ったより切羽詰まった、らしくない声。ていうか顔も珍しく慌ててるし。何よそれ、あたし別にカナヅチでも何でも……。

「んぎゃ!?」

なーんて暢気に考えてるうちに、宙に投げ出されたあたしの右手首を捕まえたトラファルガーは、そのまま凄い勢いであたしを船に引き戻した。今の今までとは反対の方向にかかった引力に、あたしは体勢を立て直す暇も無くトラファルガーの上に倒れ込む。
……色気の無い悲鳴だこと。我ながら唖然だわ。って、

「ちょっ、何この体勢!?」
「開口一番それかよ。可愛くねえな」
「あたしに可愛げやら色気やら求めんなって前も言ったわよね!?」

不可抗力! 不可抗力とはいえ思いっきりトラファルガーに抱きつく形になってしまい、あたしの血圧は上昇の一途だ。え、ていうか何これ。離して欲しいんだけど。え? 何? 何この状況。

「感謝の言葉もねえってか?」
「アリガトウゴザイマシタ!!」

だからあんたと違ってあたしは泳げるし何の問題もないんだっての! とは思うものの、心底思うけど、此処で何も言わないでいたら奴の思うつぼだ。これ以上こいつに餌を与えるわけにはいかない。ただでさえ心臓取られてるってのにこの上こんな体勢……。
……って、ちょっと待って。

「……」
「ミュリエル?」

落ち着け、あたし。冷静になれ。今の体勢を考えろ。
トラファルガーは相変わらずあたしの右手首を掴んでいる。さっきあの腐れ海賊にも捕まった手だ。トラファルガーの右腕はあたしの腰に回ってる。不本意とはいえ助けて貰ったんだから、別に不思議じゃ無い。セクハラでもない。……問題はそう、この密着具合。密着している理由がどうとかそういう話じゃなくて。

「おい、ミュリエル」

何であたし、トラファルガーにこんな触ってて平気なの?
それこそ父ちゃんとか、家族以外とは殆ど手も繋げないようなあたしが?
さっきの海賊相手に、思いっきり鳥肌立てたあたしが?

「……離して」

存外低い声が出た。トラファルガーは割とあっさり離れた。あたしは暫く顔も上げられなかった。自分でもきっと、酷く間抜けな顔をしているって分かっていたから。

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