血潮より濃く、光より目映き | ナノ


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『こちら側』には存在しないようだけど、あたしが元々生まれ育った『あっち側』には、魔族という者達がいた。基本的に肉体を持たない精神生命体で、物理の法則から外れている。実体はあるものの、物理的な世界に属していない奴らに対抗する手段は限られているため、手練れの魔道士でも相当な苦戦を強いられる。
あたしの母ちゃん、リナ・インバースは、人間としてはあるまじき魔力許容量を持っていた。そしてそれに加え、恐らくは殆ど世界中の人間が存在を認識していないだろう、『最強にして最後の存在』から力を借りる術を知っていた。
本来黒魔術とは、魔族の中でも歴史に名を残す、超高位の上級魔族から力を借りて行使する魔術のこと。あたしの母ちゃんは、『あっち側』の魔王よりも高位である、唯一絶対の存在から力を借りる言葉を身につけていたのだ。

『ミュリー、これだけは言っておくわ』

『あっち側』の魔王すらも越える、本当の意味で絶対の存在。それ故に一時は多くの魔族に命を狙われたこともあったらしい。本来人間なんか『間抜けな捕食対象』にしか考えていない魔族共が、あたしの母ちゃんを『毒虫程度には驚異』と見なしたのだ。コレは多分、長い『あっち側』の歴史を振り返ってもそうそう無いことだと思う。

『絶対に不用意な使い方はするんじゃないわよ、ミュリー。良いわね、絶対よ』

それはその力の強さに違わず、凄まじいリスクを伴うものだった。それこそ、普段はあっけらかんと色々な術の手ほどきをしてくれた母ちゃんが、そんな釘を刺すくらいに。あんまり口うるさいもんだから、「そんなに嫌なら教えてくれなくても良いよ」と言って、拳骨で殴られたことすらあった。
けれど母ちゃんは結局、あたしに『それ』を教えてくれた。何度も何度も釘を刺し、言い含め、宥めながら。そしてあたしも、『それ』を学んだ。2種類の術の、完全版と不完全版。全部で4つ。文字通りの『最強』を、あたしは伝授された。

――楽しみにしてるわね。

まさかその7年後、他ならぬその『絶対』と……こんな訳の分からないゲームをすることになるなんて、思いもしなかった。

『あっち側』から落とされた『こちち側』に、あれから半年たった今も、あたしはいる。
ゲームのクリアは、未だに見えない。



「はぁあ!? 航路外の島に立ち寄るですってえ!?」

偉大なる航路、潜水艦の中。幾つもの船が行方不明になっているという『魔の三角地帯』と呼ばれる海域も、海に潜ってしまえば何の問題も無かった。寧ろ何も起こらなすぎて「おいおい大丈夫かよ」と思ったくらい……だったんだけど。

「全然聞いてないんだけど! どーゆーことよそれ!」
「どういうことだと?」

机を叩いて抗議するあたしを睨みつけるのは、この船の航海士であるベポ……じゃあなく、横に立っていたペンギンと船のコックだ。オロオロするベポを余所に、奴らはあたしを指さして口々に喚き出す。

「お前が考え無しにバクバク飯食うから食料が足りねえんだよ!!」
「ついでに医薬品もな! どっかの誰かが医務室氷漬けにしたから!!」
「はあ!? そんな昔のことギャーギャー言う気!? ねちっこいのよあんたら!!」
「医務室はつい3日前のことだろーが!!」
「3日も経ってりゃじゅーぶん昔よ! っつーかね! あれは正当防衛だて言ってるでしょうが!!」
「部屋中氷漬けにして何が正当防衛だ!!」

まあそりゃそうだ。そこは認める。反省はしないけど。
……が、そもそも根本の問題をはき違えられている。そもそもなんであたしが『此処』にいるのかって話だ。あたしは決して、好きでこの船に乗ってるわけじゃない。

「そこまであたしにさせたっつーのが問題なのよ! 文句ならあんたらの船長に言ってよね! そもそも食料の問題だって、トラファルガーがあたしを此処に連れ込まなきゃ起こらなかった問題でしょーが!!」

と、言ってしまえば、またぐうの音も出なくなる奴ら陣営。勝者あたし。思わず拳をたかだかと挙げてみせれば、「ふざけんなミュリエル!」「反省しろ!」「俺達の飯ー!!」というブーイング(一部悲鳴)が聞こえてきた。知らんがなそんなん。

「自分達で連れ込んでおいて餓死しろっての? ふざけてんのはそっちじゃないの?」
「ふざけてねーよ! 食い過ぎだっつってんだよ!」
「1人で何十人分食ってんだよ! 俺達の飯返せ!!」
「あーあーあー、聞こえませーん!」

両耳を塞いで雑音ブロック。激しくなるブーイング。ペンギンが「お前ら一度黙れ!」と特に煩いシャチ筆頭の数名を拳骨で殴った。

「分かった。誰が原因かはこの際問わない。が、実際問題として今うちは食料が枯渇しつつある。そんでもって薬が足りない。早急に近くの島で補充が必要。ミュリエル、お前だって俺等とこの船で心中したくはねえだろ?」
「……そりゃあそうね」

長い航路を進む船の上で、食糧問題は深刻だ。あたしには究極手段として『入れ食いの呪文』(仮名)があるが、それだって潜水している船の中じゃあ当然使えない。ついでに、魚しか食べないんじゃ色々な栄養素が足りない。壊血病にだって成りかねない。
……となると、ペンギンの案に乗るしかないのだ。が、

「ねえ、トラファルガーは?」

どうしてもその前に、あたしは確認しなきゃならないことがある。何でかこの場にいない『船長さん』の所在を問うたあたしに、「私室だ」とペンギンが答えた。

「そもそも別に話し合うことじゃねーからな、これは」
「あっそ」

要するに別の島に立ち寄るのは『船長命令』ってことらしい。そりゃあんたらにとっちゃそれで良いんでしょーけど、あたしにとってはそうも言ってられない。
あたしはすぐに広間を出て、船内の一番奥にある『船長室』に向かった。堅い扉を叩き壊す勢いでノックしようとすると、拳が扉に当たる前に声が聞こえた。

「入っていいぜ」
「……チッ」

足音は忍ばせていたってのに、なんで分かっちゃうんだか。思わず舌打ちなんてしちゃいつつ、扉は開ける。分厚い医学書を腹の上で伏せたトラファルガーが、ごろんとベッドに寝転がってあたしを出迎え――

「っ!」

何とはなしに奴の周辺を見回したあたしは、ほぼ無意識に目を瞠った。あいつの手に握られた、青い透明な箱みたいなものに入ったあれは……。

「返せッ!!」

あたしの心臓!!

「おっと」

咄嗟に腰に差した短剣を投げた、あたしの速さは及第点だったと思う。その機動も奴の顔面めがけて一直線だった。が、恐らく予想していたんだろうトラファルガーは慌てず騒がず。気づけばあたしのナイフは奥の壁にぶっささり、代わり部屋にあった本の1冊が、奴の顔の近くに落ちた。

「よお、ミュリエル。何か用か?」

これ見よがしに心臓を手でくるくる回しているトラファルガーに心底イラッとする。何か用か、だって? 本当にふざけてるわこいつ。

「用が無きゃ、わざわざあんたの顔なんて見に来ないわよ」

入って良いって言われているので、遠慮無くずかずか部屋に入って短剣を回収する。刃毀れチェック。うん、まあ大丈夫でしょう。

「この船が航路を一時変更するって聞いたからね」

何を考えてたのか知らんけど、トラファルガーが無理にあたしを引っ張り込んだ賭け。
『魔の三角地帯(フロリアン・トライアングル)』を抜けて次の島へ行く。その間にあたしが奴から心臓を取り戻せるか、否か。取り戻せればあたしの勝ちで、晴れてこの船を降りられる。奴からも解放されるって話になっている。
……奴が約束を守るかは置いといて、兎にも角にも心臓を取り戻さなきゃ、あたしはここから逃げることも叶わない。けど今のところ全戦全敗中のあたしは、このままじゃ心臓も取り返せず、正体も分からない奴の『要求』を呑まなきゃいけなくなる。

「あァ、そういう心配か」

『魔の三角地帯(フロリアン・トライアングル)』を抜けて、次の島へ。この場合の『次の島』とは当然、記録指針(ログポース)が指している島を指すって考えるのが普通だ。
が、トラファルガーの気まぐれ次第では、今回の『航路外の島』を賭けの期限にされちゃう可能性もある。
現在、悔しいことに全戦全敗というあたしの戦績を考えると、それは物凄く困るわけだ。

「心配すんな、俺の言った『次の島』は魚人島だ。お前が懸念するような真似はしねえよ」

にやり、と笑みを深めるトラファルガーは相変わらずの悪人面だ。とてもじゃないけど『正々堂々』なんて言葉は似合わない。つーか、そもそも信用なんて出来るもんじゃない。寝てるあたし(正確には気絶させたあたし)の心臓を勝手に抜き取るような奴だし。

「……」

とはいえ、今の時点ではとてもじゃないけど、こいつ相手に無茶ぶりは出来ない。普段ギャーギャー言ってても、肝心な所はいつも譲歩させられてばっかりだ。対等でも何でもない。これでこいつに賭けで負けたら、あたしは何をさせられるかって話だ。

「――あっそ。なら良いわ」

一応言質は取れたので、これ以上は長居無用。踵を返したあたしの背に、「ミュリエル」とトラファルガーの声がかかった。

「何よ」

取り敢えず足は止めて、返事はしてやった。振り返らないのはせめてもの意地だ。出来るだけ、声も刺々しくする。

「お前、『これ』を取り戻したらどうする気だ?」

これ、っていうのがあたしの心臓だってのは、すぐに分かった。だけど意図は分からない。これ以上話を続けるか否か、あたしは少し悩んだ。

「……決まってるでしょ」

少し、本当に少し悩んで、結局あたしはもう少し付き合うことにした。それは別に、ただの気まぐれ。別にトラファルガーとお喋りがしたかったわけじゃない。
ただ、そう。何となく、本当に何となくだけど、いつも良くも悪くも確固とした、憎たらしいほど自信に満ちあふれたトラファルガーの声が、少し調子を変えている――そんな気がして、ちょっぴり、ほんのちょーっぴり、気になっただけだ。

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