lovesickness 〜彼の場合
(恋盛りガールその後)





愁生は恋をしていた。これまで恋愛経験がなかったわけではないが、こんな、心が攫われるような恋は初めてだった。

「はー…」

軽快に叩いていたキーボードから手を離し、椅子の背に体重を預ける。大袈裟に吐いた息は誰に聞かれることもなく部屋の壁に吸い込まれていった。
小説家である愁生はいつもマンションの自室にあるパソコンで執筆活動をしている。最近では複数の連載をこなす多忙な日々が続いているが、執筆は頗る順調であった。元来几帳面な性格である愁生は基本的にスケジュール通り仕事をこなすので、締め切り直前に焦った経験は皆無に等しく、物書きにしては珍しいと出版社や担当者に感嘆されたものだった。そう、仕事は順調なのだ。仕事は。
しばらく天井を見上げた後に、デスクの隅に置いてあった携帯電話に手を伸ばす。親指で数回操作すればすぐ画面上に表示された恋人の名前を愁生はいとおしげに見つめた。
かれこれ一週間、焔椎真とは連絡を取っていない。テスト期間中らしく先週会った時の「これ以上赤点取ったら、本当にやばいんだ…」と世界の終わりを見たかのような表情で重々しくテキストを開く姿は今でも忘れられない。
その際に、テストが終わるまで会うのは控えようかと提案したのは自分だった。学生の本分である学業の邪魔をしたくなかったし、何より焔椎真を束縛したくなかった。
そう、提案したのは自分なのに、いざその状況に身を置いてみれば毎日焔椎真のことを考えては会いたいと思ってしまう自分がいた。彼女より十も年上なのに、分別のできる大人のはずなのに、彼女のことを思うといてもたってもいられなくなるのだ。ああ情けない。

「、」

その時、手の中にある携帯が震え出した。メールのようだ。慣れた手付きでメール画面を開いた愁生は、本文を読み終わるや否やガタンと椅子から立ち上がり、上着を取りに寝室へ向かった。





「焔椎真」

夕方の帰宅ラッシュに賑わう駅のすぐ側にある公園にたどり着くと、制服姿の焔椎真がベンチに座っていた。
名前を呼べば嬉しそうに自分に駆け寄ってくる焔椎真に、愁生は顔を綻ばせた。

「愁生、仕事大丈夫?」
「ああ」
「ごめんなさい急に…」
「平気だよ」

それより何かあったのかと身を屈めて焔椎真の顔を覗き込む。焔椎真はふるふると首を横に振ると、申し訳なさそうに俯いた。

「…テスト、明日で終わるんだ」
「そうか」
「でも…明日は一番苦手な科目で」
「うん」
「だから勉強もしたんだけど、ちょっと…不安だから…」
「うん」

そこまで言うと焔椎真は目を泳がせた。手持ちぶさたに両手をもぞもぞと動かす仕草がとても愛らしい。愁生が続きを催促するように柔らかな頬に手を添えると、焔椎真はおずおずと口を開いた。

「愁生に会いたくて…」
「…」
「会わないって、私のために言ってくれたことわかってたんだけど、私…」
「…」
「本当に会いたかっただけだから、呼び出してごめん、でも、来てくれてありがとう。じゃあ、帰るからっ」
「待って焔椎真」

踵を返す焔椎真を慌てて引き留める。まさか焔椎真も同じように思っていてくれたなんて。気付けば頭で考えるより先に口が動いていた。

「家まで送るよ」
「え」
「荷物貸して」
「大丈夫だよ。あの、駅降りてすぐだし、人通り多いし…」
「違うんだ…いや、心配なのもあるけど、それだけじゃなくて」
「愁生…?」
「もっと一緒にいたいんだ」

ああもっと気の利いた台詞があっただろうに。かっこわるいなあと内心苦笑する。でも、これが自分の本心だった。
目の前の焔椎真はそんな愁生を呆然と見上げていたが、しばらくすると口をはくはくと動かし、両手で自分の頬をぺたりと押さえた。その顔は可哀想なくらい赤く染まっていた。

「あの、あの」
「俺も焔椎真に会いたかったから…連絡くれて嬉しかったよ」
「…迷惑じゃなかった?」
「とんでもない」

焔椎真の手を取り笑いかけると彼女もまた嬉しそうにふわりと微笑んでくれた。そのまま公園を出て二人並んで駅へ向かう。手はずっと繋いだままだった。

「テストが終わったら、デートしようか。ちょっと遠くに」
「遠く?」
「うん。水族館とか遊園地とか…焔椎真が良ければ泊まりがけでも」
「本当?!」

途端笑顔になった焔椎真に愁生は目を丸くする。焔椎真はハッと手で口を塞ぐと愁生の視線から隠れるように彼の腕に抱きついた。愁生は耐えきれず破顔する。焔椎真が喜んでくれるならかっこわるくてもいいか。なんて。




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