リリィ
(高校生と、 )



軋む階段を上り、日の当たらない廊下を進む。愁生は現在はほとんど使われていない旧校舎にいた。委員会も部活もない木曜日の放課後、愁生は決まって廊下の突き当たりにある音楽室に足を運んでいた。
鍵のかかっていない古びた扉に手をかける。部屋に足を踏み入れた愁生の目に映ったのは、埃を被ったグランドピアノと全開の窓、風に揺れる黄ばんだカーテンとそして
金色の髪の女子生徒が窓の外を眺めていた。

「…やあ」

愁生は近くにあった椅子を引き寄せ、そこに腰を降ろした。それからもう一度窓辺の彼女に視線を合わせる。肩ほどの長さに切り揃えられた金の髪を風に揺らし、壁に寄せた椅子に座って窓枠に手をかけ外界を見つめる姿は、一枚の絵画のように美しかった。

「今日はいい天気だね」

女子生徒は何も答えない。時折風で乱れた髪を手櫛で直したり、欠伸をしたりするが、彼女が愁生の言葉に反応したことはこれまで一度もなかった。そのため愁生もまた、彼女の後ろ姿と横顔以外を見たことがなかった。
彼女は人間ではないと、愁生が気付いたのは先々週のことである。彼女の肩についた塵を取ろうと手を伸ばしたときだった。触れたのは女子生徒ではなく、その先にあった木製の窓枠だった。彼女の体を通り抜けた自分の手。愁生はこのときようやく、少女がこの世の人ではないということを理解した。(足は…ちゃんとあるのにな)
どうやら彼女の耳に自分の声は届いていないらしい。では目には映るのか、ということはまだ確認できていないが、声が聞こえないのならばきっと姿も見えないのだろう。愁生は落胆した。
人間の自分が彼女に気付き、幽霊らしき彼女は自分に気付かない。不思議なものだと愁生は思った。愁生はこれまで霊的なものを見たり感じたことはなかったが、彼女を怖いとは思わなかった。それより先立つ、彼女を知りたいという願望。本当に彼女は幽霊なのか。それならばいつ死んだのか。なぜ死んだのか。いつも何を求めて外を見ているのか。そればかりが気になった。凛とした美しい横顔。その瞳が自分を映す日は、永遠にこないのだろうか。

『―…』

ふと、無音だった音楽室に歌声が流れ出した。彼女は時折こうして気紛れに歌い出す。愁生の知らない歌。しかし愁生は彼女の澄んだ歌声が好きだった。
その時唐突に、愁生はこの音楽室に最初に訪れた理由を思い出した。彼女に夢中になるばかりで、すっかり忘れていた。愁生は椅子から立ち上がると、少女の背後にある埃にまみれたピアノの元へ移動する。蓋を持ち上げれば予想していた通り埃が舞い上がり、愁生は咳き込んだ。
ピアノを弾きたかった。新校舎にはここよりずっと設備の整った音楽室と丁寧に手入れをされたピアノがあるが、別にプロを目指しているわけではないし、人前で弾くのは好きではなかったので、誰もいないこの旧校舎まで足を運んだのだった。
誰にも聞かれる心配のない音楽室。目の前には美しい少女。これ以上の好条件はないと、愁生は少女に背を向けて鍵盤を一つ、叩いた。

ポーン

「え」

「え?」

調律のされていない少しずれたピアノ音と、驚いたような声が二つ、音楽室に響き、消えていった。
今の声は?愁生は顔を上げ、辺りを見回した。ここには誰もいないはずだ。そう、自分と彼女以外は。
まさか。
弾かれたように振り返った愁生は、思わず息を飲む。
窓枠に手をかけた少女の瞳は確かに自分を捉えていた。

「…」
「…誰だお前」

初めて自分に向けられた視線。
初めて自分に向けられた言葉。
その瞬間、愁生は自分が恋に落ちていたことにようやく気が付いた。




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