息を切らせたまま乗り込んだマンションのエレベーターの中で、愁生は身に付けている腕時計に目をやった。11時24分。思わずため息が出た。もうすぐ8月1日が終わってしまう!

今日は愁生にとってとても大切な人の誕生日であった。休日であったこともあり朝からずっと一緒にいるつもりだったのだが、先日客先に導入したばかりのシステムに不具合が生じ、案の定休日返上で駆り出されることとなった。昨夜別れ際に見た、彼女の寂しそうな顔が思い出される。神様は意地悪だ。愁生は天を仰いだ。
チン、と音を立ててエレベーターが目的の階に止まった。扉が開くと同時に愁生は駆け出した。
自分の部屋の前に着くと既に準備をしていた鍵でロックを解除する。防犯のため、彼女には自分がいないときは必ず鍵を閉めるよう何度も言い聞かせていた。その度に「しつこい」と怒られたが。
逸る気持ちを抑え、そうっと扉を開ける。部屋には電気がついていたが、愁生は音を立てないよう慎重に靴を脱ぎ、リビングへ向かった。そこには赤いエプロンを身につけた女性がソファーに丸まり寝息を立てていた。

「…」

持っていた鞄を壁に置き、愁生はそっと彼女に近づいていった。フローリングに膝をつき眠る彼女を見つめること数秒。ふと側にあるテーブルを見ると、そこにはラップのされた皿がいくつか置いてあった。
きっと苦手な料理に奮闘して、作り終えたら気が抜けてしまったんだろう。本当は今日が誕生日である彼女のために自分が腕を振るいたかったのだが。愁生は申し訳ないと思った。しかしそれと同時に、自分のために苦手な料理にも挑戦し、帰りを待っていてくれた彼女が愛しくてならなかった。
彼女の頬にかかっている金色の髪に触れ、耳にかけてやる。毛布か何かを取ってこようと立ち上がると、「ん…」と唸りながら彼女の瞼がゆっくり持ち上がったので、愁生は再度彼女の前にしゃがみこんだ。

「…ん、…しゅうせ…?」
「ただいま、焔椎真」
「…おかえり」

寝起きでぱちぱちと瞬きを繰り返すその目元にキスをする。焔椎真はふにゃんと嬉しそうに微笑んだ。愁生もつられて笑ったが、まず彼女に謝罪しなければと表情を引き締めた。

「悪い、こんなに遅くなって…」
「いいから…愁生」
「なに?」
「ぎゅってして…」

ああなんて愛らしい。焔椎真の可愛いおねだりに、愁生は喜んで彼女を抱きしめた。焔椎真も一日ぶりの愁生との抱擁に、満足したように彼の首に腕を回す。焔椎真は愁生に抱きしめられるのが好きだった。彼の腕の中が一番安心するのだ。

「…ゆめをみてた」
「夢?」
「うん」
「どんな夢だったの」
「昔の…幼稚園くらいかな…すごい小さい頃の…。愁生と一緒に遊んでた」
「そうか…あの頃から焔椎真は可愛かったな。天使みたいだった」
「ばーか」
「もちろん今も可愛いけど。…いや、ちょっと違うな」
「ん?」

焔椎真はもぞもぞと愁生の腕の中から顔を出した。そのせいで乱れてしまった髪を直してやりながら、愁生は彼女を抱き抱えソファーに座らせる。首を傾げる彼女の左手を持ち上げると、愁生はその真っ白な手の甲に口づけた。

「…綺麗になったよ。とても」
「…」

どきん、と胸が鳴った。膝を立て自分を見上げる愁生に、焔椎真は自分の体温が上がっていくのがわかった。もう何年も一緒にいるのに、同棲だってしているのに、どきどきするなんて。(まだ、恋してるのかな…)頭の端でそんなことを思った。

「焔椎真…俺は、すごく幸せなんだ」
「な、なんだよ急に」
「こうして家に帰るとお前がいる。可愛くエプロンなんてしてね」
「…うるさい」
「本当に…愛しくてたまらないんだ、焔椎真」
「し、愁生…」
「俺と、結婚してくれないか?」

そう言いながら愁生は焔椎真の手のひらに小さな白い箱を乗せた。それが何なのかは、今の愁生の言葉から安易に想像できた。でも、まさか自分が。震える手で蓋を開けると、そこにはキラキラと輝く指輪があった。

「愁生、こ、こんな、」
「気に入らなければ別のものを」
「ちが、違う!そ、じゃなくて…こんな、いきなり、」
「焔椎真」

愁生は顔を真っ赤にして俯く焔椎真の横に座り、その薄い肩を引き寄せた。驚かせてしまうだろうとは、愁生も考えていた。しかし、どうしても今日中に伝えたかったのだ。彼女の誕生日である、今日のうちに。

「焔椎真、愛してる」
「、」
「必ず幸せにするから、だから。…結婚してくれないか?」

その時、自分の肩を抱く愁生の腕が震えていることに焔椎真は気付いた。緊張しているのだろうか。あの愁生が。そう思ったら目の前の男がとても可愛く見えた。
突然のプロポーズに動揺はしたが、焔椎真の中で答えはとっくに決まっていた。それこそ夢に見たあの頃からずっと変わらない、揺るぎない答え。
焔椎真は震える愁生の手にゆっくりと触れた。安心させるように優しく指を絡め、それから、緊張で強張っている彼の頬にキスをする。今度は愁生が動揺する番だった。

「ありがとう愁生。すごく、…嬉しい」
「……焔椎真」
「私も…愁生のお嫁さんになりたい」

言い終わるや否や、愁生に思い切り抱きしめられた。力加減のされていないそれは少し痛かったが、焔椎真は何も言わず受け入れる。大好きな愁生の腕の中。約束された二人の未来。もう十分幸せだよ、愁生。息を吸えば鼻腔を擽る愁生の匂いに、焔椎真は少しだけ、泣いた。




「焔椎真、誕生日おめでとう」
「ありがとう愁生」

そう答えた彼女の笑顔は、その左手の薬指に輝く指輪よりもずっと、眩しかった。


そして二人は、
わらないをする。



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