「今日も愚かな人間共の取るに足らん馬鹿馬鹿しい悩みを聞いてやるか…」

予約の時間は18時だったはずだ。時計の長針は9を指している。チクタクと絶えなく進む秒針の音が部屋に響き渡る。
どさりと椅子に沈む体に纏った白いスーツ、銀色の腕時計。金色に輝く髪の毛。鋭く光る赤い目。
これらの持ち主であるこの男は、名を風間千景と言った。平成を生きる、鬼の末裔である。

風間は立ち上がり、ぶ厚いドアを押した。中は一見すると応接室であるが、ただの応接室ではない。敵を迎え撃つ覚悟は出来ている、と言った様子で、彼は不敵に微笑んだ。

そう、その彼こそが―――鬼のお悩み相談室長である。

お悩み室長と聞けば、なんだよその程度かよ、と嘲る者もいよう。しかし彼らの中で無事に生き延びれた者はいなかった。

本来風間は人の悩みを聞き、助けるなどということの似合わない男であった。しかしこれも何らかの運命だ。彼の面倒見のよさが導いたのだろう、彼は優秀なお悩み相談室長をやっているのだった。その功績は後ほど記すことになるが。

「…遅い」
ぴかぴかと光る靴が小刻みに床を打つ。約束の時間はまであと10分。目を瞑りはぁと息を吐く。そうこうしていると5分経ったが客は来ない。無意識に眉間の皺が深くなっていく。そしてその状況は10分、15分と続いた。
そして風間が30分待ったところで、ようやく相談室の扉が大きく開いた。
「こんちはー!遅刻してごめーん!」
「帰れ」
風間は光速で言い放った。
どうやら、扉を蹴破り飛び込んできたこの女が今日の依頼人らしい。どうみても学生である。制服は2、3駅離れた高校のものだった。
「え?酷いよちーさま!」
彼女は依頼人のみょうじなまえと言う。風間の名前を知っていたのは、高校の近くに自分の顔の映った大きな看板があるからだと彼は推測した。しかも「様」まで付けられ、満更でもないようだ。そして勝ち誇ったように言った。
「お前の様な繊細さの欠片も無い人間に、悩みなんぞ有るとは思えん」
するとなまえがぐしゅりと洟をすする音がした。それを聞いた風間はなまえをいきなり泣かせてしまったかもしれないと酷く慌てた。同時に、背後でノック音と、失礼します、という声が聞こえて、男が入ってきた。彼の名は天霧九寿。相談室の経営をしている男である。
「彼女も反省しているようです。多少の遅刻は目を瞑り、早く相談にのってあげたらどうですか?」
「……致し方無い。話してみろ」
風間は天霧に促され、彼女の話を聞くことにした。すると彼女はすごいスピードで顔を上げた。
「あ、聞いてくれます?あのままの空気だったらどうしようかと思った☆」
風間は天霧を睨んだが、天霧はそれを難なくスルーした。
「で。相談なんですけど…ストーカー、なんです」
「そうか、自首しろ」
風間は即座に返答した。
「違います!されてるんです!!」
相談主はあくまで真剣なため、風間の言葉に憤慨した。
「…知り合いに精神科の医者がいる。そこに行くと良い」
「酷い!すごく困ってるのに…」
「相談主の方は貴方を信用して、相談室に来てくれたのですよ」
風間はやれやれと前髪をかき上げた。
「分かった…。仮にお前が、本当にストーカー被害に遭っていたとしよう。何があった?」
「ええっとね…。駅で、禿げたロッカー風のおっさんがよく追いかけて来るんだよね」
「ほう、そうか…」
彼は特大の欠伸と共に今日の夕飯は何かな?等と考えていた。
「今日の夕飯はオムライスです」
天霧の一言で、戦意喪失していた室長は少しやる気を出す気になった。
「で、そのおっさんが何をしてきたのだ?」
「あの、それが…。何か声かけてきたから、殴って逃げて来ちゃった」
「…。殺されても知らんぞ」
「…うん。今更ながら、まずいと思う。どうしたら良いのか教えて?」
「彼女の事態は中々深刻ですよ。風間?」
風間は少し考えた後、顔を上げた。
「一人で行動しなければ良い話だ。家族には言ったのか?」
「うん。大爆笑された」
「それはそうだろうな。どうしたものか…」
「風間、貴方が彼女についてあげれば良いのではないですか?」
「…」
風間は顔を背けて無視をした。
「?」
「…」
風間は無視をし続けた。
「…え?まじでか!」
風間が振り向くと、天霧となまえは携帯を翳し合っている。そしてひそひそと話し合っているが、内容は丸聞こえである。
「はい。因みに風間の携帯番号とメアドは…」
「どうして俺の許し無しに話が進んでいるのだ!?しかも、この距離なら普通に話せ!」
「諦めなさい」
「諦めろ」
相談主は物凄いスピードで携帯の電話帳に風間を登録した。
「では明日、駅に着く前に風間に連絡を入れてください。迎えに行きます」
「ラジャー!じゃ!ありがとうございました。よろぴく!」
風間を無視して颯爽と退室した相談主を他所に、風間はこめかみを押さえてソファに沈み込んだ。
「…実に厄介な依頼人だな」