薄桜学園に転校してちょうど一週間経ったその日、私は不思議な先輩と出逢った。

「総司!待ちやがれ!」
「あはは、やですよ」
「てめえ!!」
昼休み、職員室に行くと土方先生と総司先輩が走り回っていた。校長先生も止めずに、にこにこ笑いながら二人を見ている。二人が顔を合わせればいつも、先生が先輩を追いかけ、鬼ごっこが始まるようだ。そういうことが起きるのは決して稀でないことを私は知っていた。それは昼休みであったり、朝からであったり、放課後のときもあった。決まって土方先生の怒号が響き渡るのだ。
この学校で初めてできた親友の千鶴は、二人を見るといきなり不安そうな顔をした。よほど危ない思いをしたことがあるらしい。私はむしろ二人に混ざりたいような感覚を覚えた。なんだか、この光景が懐かしい気すらしてくるのだ。それは初めて桜の木の下で総司先輩に逢ったときと同じ。前にどこかで知ったような、それでいてとりとめもない感覚。
「ふふ…」
「なまえちゃん…?」
「ん、何でもないの。行こう」
ただ、私が彼らを見かけると決まって同じ会話が頭の隅っこから、ぶくぶくと泡のように出てきては弾けていった。言葉はいつも同じではなかったけど、内容は同じ会話。
"えっと、なになに…"
"止めろ!返しやがれ!"
"一人で俳句詠んだって仕方ないじゃないですか。評価してもらった方がいいですよ。だから僕がこの子に読み聞かせてあげないと"
"あっ、俳句ですね?私も見たい!聞きたい!そして笑いたい!"
"てめえらあああ!!!"
これは一体誰の会話なのか。最初は気のせいかな…と思っていた。聞いたことのある声が頭の中で再生されるのを私はじっと聞いていた。身近に俳句が趣味の人なんか知らないし。
「総司!!」
「遅いですよー土方さん。いい加減煙草やめたらどうですか」
「大きなお世話だ!」
ふと後ろを振り返ると、総司先輩と土方先生がこっちに向かって走ってくる。先輩、なんて飄々と走ってるんだろう。でも先生も負けていない。どくりと鼓動が鳴る。
「ごめん千鶴、先に教室帰ってて」
「えっ!?」
無意識のうちに私は横を走り抜ける総司先輩の手を取った。先輩が振り返って、驚いた表情を見せる。
「私も行く!」
「なまえちゃん…!?」
「総司!なまえ!待ちやがれ!!」
あれ、土方先生…私のこと、名前で呼んだ。普通の生徒は名字で呼ばれるのに。そういえば総司先輩も名前で呼ばれてる…。そう思った瞬間、ぐんと手を引かれて体が前へ傾く。
「こっち、逃げるよ」
「土方先生!私、次の授業さぼります!」
「っ…!逃がすか!!」
それから私たち二人は、校舎の中を駆け回った。私は階段で転げ落ちそうになった。でも先輩はずっと手を握っていた。先輩が私を引っ張って、びゅうびゅうと音がする。風景が目まぐるしく変わる。みんなが私たちを見て避ける。でも気にならない。肺が痛い。空気が足りない。でも私たちは笑いながら走り抜けた。



「はーーーー!疲れた!!!」
「ここなら誰も来ないでしょ」
屋上に出ると、真っ青な空が出迎えてくれた。きっと、みんなは今土方先生の授業でスパルタに苦しんでいるはず。サボってよかった。
「土方先生怖かったなあ」
「捕まったらうるさいからね」
「ふふ…」
この感覚が気持ちいい。心から落ち着く。不思議だ。先輩や先生といるとこんな気持ちばっかり。
"ね、幹部の話し合い抜け出せるかな?"
"あ、それ僕も思ってたんだよね"
"じゃあ甘味処で集合ね。はい決定ー"
"また?こないだ行ったじゃない。たまには他の所にしようよ"
あれ、まただ。誰かの会話が聞こえてくる。一体誰の会話なの?
"それに、どうして集合なのさ。一緒に行けばいいでしょ"
"だめだよ。待ち合わせも逢瀬の醍醐味だよ"
"ふーん?まあいいけど。僕、本当に君には甘いよね"
"ふふ。じゃあ土方さんとはじめくんにばれないように…"
土方さんと、はじめくん…?土方さんって、土方先生?はじめくんって誰だろう。そんな人知らない。
「なまえちゃん?」
はっと横を見ると、起き上がった先輩が寝転がった私を見下ろしていた。風がゆっくり頬を撫ぜる。
「な、なんでもないです!ちょっと考えごと…」
「そう」
そういって先輩はもう一度寝転がった。一面空しか見えない世界が広がっている。
「…昔ね、好きな人がいたんだ」
「好きな、ひと…」
「うん。その人はね、僕のこと覚えてないんだけど」
隣からぽつぽつと言葉が紡がれていくのを、私はじっと聞いていた。
「どうして、覚えてないの?」
「そうだね…。僕もそれは思った。で、多分、僕が前世で悪いことし過ぎたからっていう結論にたどり着いたんだ」
「悪いことって?」
「人を、いっぱい殺したとか…」
「……それは、確かに悪いことだけど…」
「あはは。ま、冗談だよ」
冗談。冗談だっていうなら、どうしてそんな辛そうな顔して…笑っているの。どくりと体に血が巡っていく感覚が走る。なんだか涙が出そうだ。何も悲しいことなんてないはずなのに。
「君は、今、幸せ?」
「あ…はい」
「…そっか」
にこりと先輩は笑った。さらさらと髪の毛が揺れる。きれいな茶色の髪だった。



/手のなるほうへ、と叫んだ日