“ど…して、泣くの”
“…血だらけじゃないか!”
“でも…ふ、しぎと、痛くない…”
血なんか今までいくらでも見てきたのに、後から後から彼女を染めていく血が怖くて。ぼろぼろと涙が零れる。情けないなんてわかっているけど。
彼女の血濡れた細い指が僕の頬の雫を拭う。とても優しい手つきだ。最期まで君はそうやって自分のことより他人のことを考えて。そんなだから君は…。
“さよなら、そう…じ”
“待って、待ってよ!”
君がいなくなったら、誰のことを思って眠ればいい?誰に口付けすればいい?誰を抱きしめればいい?
“しあわせ、に…なって……たまに、わたしを…おもい、だして…”
“僕は君を忘れたりしない!忘れる訳がない!だから…”
“あり…が、と”
その瞳から光が消えて、やがて力が無くなった彼女の手を握る。涙が手の甲を流れて伝う。体が震えて嗚咽が止まらない。君は力が強いくせに細くて。その体に僕の熱を少しでも分けてあげられたならよかったのに。
“どうして…君はいつも僕を置いて行くの”
声を枯らして泣く僕を無視して、桜はさわさわと音を立てて散っていく。嫌になるくらい綺麗だ。花びらが彼女の頬に落ちる。それをそっと拾った。
君がいない僕なんて、きっとすぐに壊れてしまうよ。だから、戻って来てよ。
ねぇ、なまえ―――!



「総司…また遅刻か」
「おはよう。はじめくん」
「全く、土方先生のお仕事を増やすなと言っただろう」
朝っぱらからくどくどと説教をしてくる風紀委員のはじめくん。全く…いつになっても変わらないんだから。今日もだるい1日になりそうだ。
「聞いているのか?総司」
「わかってるよ。土方先生のとこに行けばいいんだよね」
適当にはじめくんを流して、校庭に向かう。やってられない。つまらない毎日。
大きな桜の木の下に寝転がると、空がよく見えた。澄み渡っていて目が痛いくらいだ。花びらが僕の頬の上にひらりと落ちる。綺麗な桜吹雪だ。
ふう、と一息ついてあくびをしたところで、木の上から音がした。顔を上げて、僕はその存在に気付く。
「誰…?」
そういって僕を見下ろす女の子。
“総司”
僕を呼ぶ優しかった声と同じ。
ざあっと風が吹いて、束ねられた少し癖のある黒髪を揺らす。その表情が、瞳が、どくりと僕の胸を打たせる。僕はこの子を知っている。
「…僕は、沖田総司」
「おきたそうじ?」
「君の…名前は?」
「みょうじなまえ」
この世界で土方さんやはじめくん達に再会したときと同じ感覚。今までの記憶が、日々が、頭を駆け巡りだす。そうだ…。
暑い日は一緒に水を掛け合いじゃれて、寒い日は手を繋いで歩いた。巡察は逢い引きではないと土方さんに怒られた。お返しに、二人で寝顔に落書きをして、説教をされながら大笑いした。君をどうやったら喜ばせてあげられるか、馬鹿みたいにがむしゃらだった―――それは、紛れもなく僕が愛した人の名前だった。
「はじめまして」
彼女はそういって目を細めて微笑む。その言葉が刀のように僕を貫く。
彼女には…僕との記憶がないのか。
「よろしくね。君もサボり?」
震える声を笑って隠す。幸い彼女は気づいていない。ちょっと鈍いところも変わってない。
「だって土方先生の授業めんどくさいし」
「気が合うね。なまえちゃんは何年生?」
「高2です!一週間くらい前に来た転校生で。総司くんは?」
「僕は高3だよ」
「!じゃあ総司先輩ですね」
にこりと笑ったなまえの顔。泣きそうになる。僕は思いだしすぎている。なのに君には今の僕しか見えていないんだ。ねぇ、君は敬語なんか使っていたっけ?総司先輩だなんて呼ぶはずない。いつも総司総司って呼び捨ててたよね?
また君は僕を置いて行くの?



「またお前遅刻したそうじゃねぇか」
「……土方さん」
「何だ?」
「みょうじなまえ」
僕がわざわざ職員室を訪ねただけでも土方さんはびっくりしていたけど、なまえの名を口にすると、ついに土方さんは目を見開いて黙ってしまった。はぁ、とため息が聞こえる。
「…全く、いつになっても変わりゃしねぇな。お前もあいつも」
「本当に、あのなまえちゃんなんですよね」
僕がそう問うと、土方さんは言った。
「お前、思い出したのか」
「さっき会ったんです。それで」
「…でもあいつはお前を思い出さなかっただろ?」
「僕だけじゃなくて土方さんのこともわからないんですか?」
「ああ。転校初日に俺にも…はじめましてと言ってやがった。おそらく斎藤や新八に会っても変わらねえだろうな」
新撰組隊士として、共に戦った記憶。それが彼女には無いのだ。土方さんは煙草を置いて目を伏せた。次に発せられる言葉が痛いくらい伝わってくる。
聞きたくない。
「なあ、総司。あいつも俺達も…今を生きてる」
「……」
「…綺麗な記憶ばかりじゃねぇんだ。知らないことは知らないままでいい」
「っ、わかってます!でも!僕は…」
「とにかく、そっとしとけ。あいつは昔のあいつとは違う。…重ねるな」
土方さんの言葉は矢のように心を貫いた。残酷だと思った。
綺麗な記憶…確かに綺麗じゃないかも知れない。人をたくさん殺し、何が善で何が悪なのか見失って、それでも振り返らず生き抜けてきた。でも、彼女と過ごした時間の中では、誰がなんと言おうと僕は僕でいられた。なのに。
僕は彼女に、なまえに何も告げないで居ようと誓った。



/夢ならよかったのかな