「本当に、いいのね」
「…うん」
「わかったわ。今から天霧さん達に向かってもらうから待ってて」
引っ越しの日、私は千ちゃんに電話をかけた。もう吹っ切れた、なんて言っても、千ちゃんにはバレバレで、強がってんじゃないわと笑われた。
「…好きだって、やっと気づいたんでしょう」
「でも、ね。沖田さんは人気だし、私…自分を大事にしたいから。いいの」
電話の向こうの千ちゃんの表情が見えるように伝わってくる。呆れたように、はあ、とついた溜め息は、私のことを心配してくれてるから。
「ま、いいわ。じゃあね」
電話が切れると、まだ段ボールにつめたままだった荷物を見やる。ああ、私…この家にきてからほとんど時間が経ってないんだ。荷物もほとんど纏める必要がなかった。ぼーっとしていると、インターフォンがなった。玄関に向かう途中に、ちらりと振り向く。
「さよなら」
天井に、壁に、隣に住んでるあの人に、そう呟いて、部屋を後にした。



隣の部屋からは絶えず、家具や荷物を運び出す音がした。ガタガタと鳴り響くそれは、僕の頭をガンガン揺さぶる。
「うるさいなあ…!」
文句を口にしても、こころの靄は消えない。イライラは募る。ぎゅっと目を瞑る。しばらくして、隣の部屋から音がしなくなると、インターフォンが鳴った。
「何の用?僕機嫌悪いんだけど」
ドアを開けると、そこに立っていたのは、鬱陶しいくらいのキンキラな頭をした風間だった。学内だけじゃなく、相変わらずウザイんだな。
「随分情けないな。そのなまえの事だ。千に頼まれてな。不本意だが仕方あるまい」
「何言って…」
「お前にチャンスをくれてやろう。なまえが好きか」
僕が言葉に詰まるのを見た風間は、ハッと鼻で笑った。
「答えられぬか。何とも見苦しい有り様だな。護りたいものが護れず手を引くなぞ」
「うるさい!お前に何が…!」
「俺にはわかる。俺もかつて、お前の様な臆病者だったからな。だからこうして来てやっている」
風間は変わらず偉そうで、更にイライラしたけど。その赤い目にはどこか深い影が落ちていた。それを見て、僕は何故か諦めたような気になって、ゆっくりと口を開いた。
「…好きだよ。なまえちゃんが」
「そうか」
風間はにっと笑って、僕に何かを投げた。すかさずそれをキャッチする。顔を上げると、風間は既に目の前からいなくなっていた。
手に握るそれは、封筒だった。表には何か書いてあって、中に何かが入ってる。がさがさと開いてみてわかった。ああ、なるほど。鈴鹿さんに感謝だ。それとほんの少しだけ、風間にも感謝した。強くならなきゃ。なまえちゃんの為に。


(手が届くまで、もう少し)