「なまえちゃーん帰ろうー」
「ちょっ、離れて、離れてください沖田さん」
「いいじゃない。別に減るもんじゃないし」
最近沖田さんがやけに近くにいる。例えば講義が終わって大学を出ると、そこにはにこやかな沖田さんが立っていたり、毎日必ず食堂で顔を合わせたり。別に沖田さんが嫌なわけじゃないけど、私には彼のファンの人に睨まれることが怖すぎる。そう言っても沖田さんは「僕が守ってあげる」とかなんとかで、全然離れてくれそうにない。そんなセリフ、もっと違うシチュエーションで言われたかった。
「私、女のドロドロした戦いに参戦したくないんですけど…」
「?何言ってるの」
「…なんでもないです!」
しかし私が既に沢山のファンに目をつけられていることは確かなようで、同じ学部の千鶴だけじゃなくて、違う学部の千ちゃんからも聞いた。だから私は極力人前では沖田さんと接しないようにしようと思っていたのに、結局傍にいる羽目になっている。今も家までの道のりを並んで歩いている。すなわちとても危険である。
そんなことを悶々と考えているうちに、アパートに着いてしまった。私は取り出した鍵を差し込んでドアを開けて、中に入ろうとした。
「じゃあ、さようなら沖田さん」
「あのさ。暇だからなまえちゃんち入ってもいい?」
「へ?」
「お邪魔しまーす」
「あああ…ちょっとー!」
結局、私の許可も関係なく、沖田さんは部屋に入ってしまった。返事とか意味ないんじゃん。まだポスターとか貼ってなくてよかった!
「かわいい部屋だね」
「……ソファーにでも座っててください」
私はコーヒーを並べてあったマグカップに注ぐ。沖田さんのと自分の分。ペアのマグカップなんて使うのはいつぶりだろう。私はそれをそっと手渡して言った。
「今からアニメ見るんで邪魔しないでくださいね」
「じゃあ僕も見ようかなあ」
しばらくして、アニメが始まった。…なんかそわそわする。となりの沖田さんは変わらずテレビ画面を見ている。そういえば今、2人っきりなんだっけ。よく考えたら男の人を部屋に入れたのは初めてかも知れない。しかも同じソファに、手を伸ばしたら触れる距離に座ってる。私のじゃない、沖田さんの香りがする。なんでこんなに意識してるんだろう。単なるおとなりさんなのに。思わず足を抱えて顔を伏せてしまう。
「なんかさ、こうしてると僕たち恋人同士みたいだよね」
「っは、はい!?」
「あはは、声裏返ってる。冗談だよ」
そう言って笑った沖田さんに、いつもみたいに言い返すことができなかったのはなんで?並んだ青とピンクのマグカップが、私の目に焼きついた。アニメの音と沖田さんの言葉が頭に反響する。私は黙ったまま、アニメを見ることも笑い飛ばすことも、何もできなかった。


(どきどきなんかしてない)